愛って何
好きって事は分かる、嫌いの反対だから。
久々に出した「与勇輝さんの妖精」は、大好きな人形たちだ。
河口湖ミュージアムに厚洋さんが行って初めて買ってくてくれたのが、「腕を組んで考え事をしている妖精」のレプリカだった。
秀でたオデコとちょっと出たオヘソ、見つめる先は30cm先の何か。
「可愛い💕素敵💕いいね❣️ありがとう❣️」
を何度も繰り返して、妖精を飾った。
一体だけだったので、ベットスタンドの横に置いた。好きな物は自分の周りに置きたい。
厚洋さんも「与勇輝さん」の作品が好きだった。彼は何度も河口湖に足を運び、美術館を訪れては、真愛に妖精を連れてきてくれた。
今思えば、「真愛の喜ぶ顔が好き」だったのだろう。
妖精の人数が増えてからは、玄関の季節のデスプレイになった。自分の「好きな物」の良さを見せびらかしたいと言う真愛の嫌らしい思いから、ベットルームから玄関に降りてきた。
物でも、食べ物でも好き嫌いは分かる。
人間の好き嫌いもわかる。
人間の好き嫌いは、微妙な違いがあって、
・大好き・好き・ちょっと好き・
・感じない
・ちょっと嫌い・嫌い・大嫌い(見るのも嫌)
こんな分類は大雑把な方だ。
大好き以上、大嫌い以上も限りなくある。
亡くなった厚洋さんは、真愛の人生の中で一番好きな人だ。
生き方も、考え方も、博学なところも、
意地悪なところも、服のセンスも、
優しいところも、顔も、身体も、笑い方も、
話し方も
どこが好きとか言い切れないほど好きだ。
(直してくれたらと思ったところもあったが、
亡くなってしまった今、そこも好きだ。)
さだまさしさんの「さだ丼」と言うアルバムが届いて、「奇跡」と言う曲を何度も聞くうちにわからなくなった。
ー 奇跡 ー
どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは
あなた独りじゃない
僕は神様でないから
本当の愛は多分知らない
けれどあなたを想う心なら
神様に負けない
たった一度の人生に
あなたとめぐりあえたこと
偶然を 装いながら
奇跡は いつも近くに居る
ああ 大きな愛になりたい
あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても
いつでも 隣 を歩いていたい
どんなにせつなくても
必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは
あなた独りじゃない
今日と未来の間に
流れる河を夢というなら
あなたと同じ夢を見ることが
出来たならそれでいい
僕は神様でないから
奇跡を創ることは出来ない
けれどあなたを想う奇跡なら
神様に負けない
ああ 大きな愛になりたい
あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても
いつでも 隣 を歩いていたい
ああ 大きな夢になりたい
あなたを包んであげたい
あなたの笑顔を守る為に
多分僕は生まれて来た
どんなにせつなくても
必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは
あなた独りじゃない
どんなにせつなくても
必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは
あなた独りじゃない
彼方に逝った厚洋さんが逝っているような気がした。
「いつでも、隣りいるよ。」
「お前の右肩に居るよ。」
って、いつも聞こえる声のようだった。
そして、さださんと同じように
本当の「愛」がどんなものなのか、わからなくなった。
「愛してる」なんて言葉は、恋に落ちた若い頃、子どもができるまでの2人きりの生活では、何度も何度も、真愛が言った言葉。
いつも厚洋さんは、「うん。」って言って、微笑んでくれて、髪を撫でてくれて、抱いてくれた。
あの頃の「愛」とは、「好きで堪らず、2人でくっついている事」だったと思う。
子どもが生まれ、父母になり、仕事もし、
「愛」とは、「尊敬」であり、「感謝」であり
「安心感」であり、「してあげる幸せ」だった。「愛してる」と言ったのは、いつも真愛だった。
子どもが新しい家族をもち、2人が年を取り、彼が病に倒れた時、厚洋さんは、
「愛してる」
を声に出して言うようになった。
もちろん真愛の「愛してる💕」の回数は、数えきれなくなった。
あの「愛」は、若い頃の「愛」と人生を共に過ごしてくれた大好きな人への「別れの挨拶」だったのかもしれない。
「ありがとう。」
「嬉しかったよ。」
「美味しいね。」
「嬉しいよ。」
「気持ちがいいね。」
「幸せだよ。」
「お前がいい。」
「あなたが好きです。」
ー 全てを 「愛してる💕」に
置き換えてくれた。 ー
言葉だけではなく、
「今、世界中の誰よりも
真愛のことを大事に思い、
死ぬほど好いてくれている」
と言う想いを若い時以上に感じた。
あれが「愛」だったのだろうか。
厚洋さんが、逝ってしまった今も、真愛はあつひろさんが好きだ。
小さな遺影を見つめては、
「愛してる💕」ってキスをし、微笑んで見せる。
今の「愛」は、
「思い出を振り返ると
いつもあなたが守っていてくれたこと、
いつもあなたが思っていてくれたこと、
いつもあなたが自由にさせてくれていたこと
いつもあなたがやってくれていたこと、
いつもあなたが教えてくれていたこと、
いつもあなたが
真愛を人として認めてくれていたこと…。
「幸せ」をありがとう。」
なのかもしれない。
真愛も「愛」って分からない。
でも、厚洋さんが今でも好きで、
厚洋さんの思いが、今でも真愛を包んでくれていることは分かる。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります