子育てパニック 野菜嫌い
ちょっと食べすぎた日の息子へのLINEに
「お母ん元気。
昨夜、マツコの知らない世界とか言う番組で「ナポリタン」の特集をやっていました。
無性に食べたくなって、しばらくぶりでコー
ヒー屋さんに行って「ナポリタン」を食べて
きました。
厚洋さんが作ったナポリタンと同じ味です。
太ったと思う。笑笑。
昔懐かしいナポリタンを食べ過ぎた。笑笑」
と送ると
「こちらも月1の糖質解放日!」
と送られてきた。
「親子だね。」
と返した。
息子はなかなかの偏食で、大人になっても野菜嫌い。お嫁さんを困らせているようだ。
彼のお食い初めの時、なんでも食べられるようにと、様々な食品を口に運んで食べる形をさせた。厚洋さんは、「お祝いだ。」とお酒のついたお箸まで近づけた。
にも関わらず、彼の偏食は凄かった。
離乳食の時は、何でも口に入れられたが、少しずつ大人と同じものが食べられるようになると、「ちゅるちゅる!」と言って喉ごしが良いものを好んだ。
噛む事が面倒だったのか、うどん・ラーメン・とろろごはん・スパゲティ・素麺と「ちゅるちゅる系」である。
その中に野菜を細かく切って誤魔化して食べさせた。
幼稚園のお弁当はパパが作ってくれたので、好きなものしか入れなかった。
小学校に上がって給食を食べるようになると、学校では適当に誤魔化していたのだろうが、家では嫌いなものは一切食べなかった。
厚洋さんも野菜が好きな方ではなかったので
「野菜を食わなくったって、
死にゃしない。
残したって良いじゃないか。」
と言った。
息子の偏食を直そうとしたら、自分にお鉢が回ってくるのを嫌がったのだ。
彼の野菜嫌いを直そうと思った真愛は、
「これを食べたら〇〇を食べても良いよ。」
と言いながら、食事を作ったが、最終的には親子喧嘩になった。
最高に馬鹿げた喧嘩は、
「何故食べないの?食べられない病気?」
「食べられないことはない。
食べようと思えばなんでも食べられる。」
「なら、ピーマン食べられるの?」
「食べられるね。」
「嘘!」
「じゃ、食べたらどうする?」
「5,000円あげる。」
(一万円じゃなかったと思うが最高額を
賭けた。)
人間やれないことはない。
彼は生のピーマンをまるまる一個🫑食べた。
その後、偏食は益々酷くなった。
家から独立して一人暮らしの時が一番いけなかったと思う。
久々に我が家に戻って来た息子に、馬鹿な母親は、彼の好きなものだけを出した。久々会った息子に嫌いな物を出して嫌われたくなかったのだ。
話は飛ぶが、息子の叔父、真愛の兄もひどい偏食だ。
兄も18歳で家を出て、遠方で暮らした。その後、若くして結婚し早く子育てが終わったので、その後の家族の食卓は、彼が残す物をわざわざ出さなくなったのだ。
真愛は、18までの兄しか知らなかった。
母親の出す料理をしっかりと食べている兄だった。
40年ぶりに食事を共にした時に、
「好き嫌いが多くなったわね。
前は食べてたでしょ?」
と尋ねると、
「いや。昔からだよ。
母さんが、俺には好きな肉を食わせてくれた
んだ。
お前は肉が嫌いだったろう?
だから出さなかっただけ。」
と、ヘラっと言った。
よく思い出せばそうだ。
真愛は、大の肉嫌い。
小学校2年生の頃、精肉店の前に止まっている車の中の「ぶら下がった豚の姿」を見た。
私にとっては、養豚を生業とする友達の家の可愛い豚の死骸だった。
それからは、給食のカレーに入っている肉も食べられなかった。
そうだ。母が「兄の好きな肉料理」しか出していなかったのだ。
真愛と母は、漬物があれば何膳でも食べられる幸せな貧乏人だったので、気がつかなかったのだ。
厚洋さんもそうだ。18歳で一人暮らしをしている。自由気ままな一人暮らしは偏食を助長する。更に、厚洋さんは飲食店に行って「自分の口に合わなかった物は全て残す」という徹底的な偏食家である。
真愛は、人が作った物は残さず食べる。
「料理人も労働者。
自尊心がある。
残された時の気持ちを思え!」
と先輩に言われた時から、なるべく残さない。
厚洋さんは、
「金を払って作ってもらうんだ。
上手くなかったら食べない。
お前も残せよ!」
とよく言い、酷い時は一口食べて
「帰るぞ!」
と言う時もあった。
美味しいものを少しだけ食べる厚洋さんは、
残す事が多かった。
頼んだ物は、全て食べる真愛。
だから、大デブになった。厚洋さんのせいだと思っている。
子どもの偏食
ー 親が全身で伝えたい食事の楽しさ ー
と言う特集が目についた。
その中で、「気をつけたい3大NGワード」が書かれていた。
⓵「これ食べたら〇〇していいよ。」
誘導型
⓶「じゃあ、もう食べなくていい。」
妥協型
⓷「残さず食べなさい。」
威圧型
声を出して笑ってしまった。
18歳一人暮らし偏食説は、大外れ。
間違っていたのは、真愛が「食事の楽しさ」を全力で伝えていなかったのだ。
食欲は、3大欲求(食欲・性欲・睡眠欲)のひとつで、本能で欲する行為なはずが、母親(
真愛)のNGワードによって、邪魔をしてしまったのだ。
子どもの偏食を予防するには、どうしたら良いか。
「新しいもの」や「初めて見るもの」を警戒したり、恐怖に感じたりするのは、防衛本能で仕方がないこと。
そんな時、親がまず食べてみせるのだそうだ。
「これは安全だ。」
「これは美味しい。」
「これは食べ物だ。」
と親が伝えれば、子どもは真似をして食べると言う。
見本になるのは親だけではない。
ピーマンが食べられなかった子が、保育園で食べられるようになるのは、先生や友達がモデリングとなり、真似をして食べられるようになるのである。
貧しい家の真愛は、チーズを食べる事ができなかった。まるで固形石鹸のような臭い物をよく食すなあと思っていた。要するに食わず嫌いだ。
ところが、中学校2年のある日。
好きだった男の子が言った。
「俺、チーズ大好き。
ジェリー見たいだろう?」
当時、トムとジェリーというアニメがあり、真愛は、猫よりもネズミのジェリーが好きだった。その男の子もネズミのように前歯が2本だけ大きくて可愛い顔をしていた。何よりもジェリーのように賢かったのが、お馬鹿な真愛から見れば魅力的だった。
そんな彼の一言で、チーズとやらを食べてみた。
「・・・美味しかった❣️」
依頼、チーズ好きな部類に入る。(臭いやつはダメ。カッテージチーズは、スパゲティが見えなくなるほど掛けてもいい。)
食わず嫌いは、モデリング効果のチャンスがなかったということ。
偏食の原因として挙げられることに
『嫌悪学習】なるものがあると言う。
3歳を過ぎ食べられるものが増えて行くと、嫌いな食べ物も増えていく。
口の中に入れた食べ物が消化されていく間に起きた出来事がその食べ物のイメージと結びついてしまうのだ。
嫌な出来事→嫌な食べ物。
食べられていたものが嫌いになる時は、嫌悪学習を疑って見ることも必要なのだ。
真愛は、厚洋さんをモデリングに「生牡蠣」が大好きになった。しかし、その「生牡蠣」でノロウィルスらしきものに罹り、激しい嘔吐・下痢で死ぬかと思った。点滴を受けて生還したが、それからは「生牡蠣」=「死ぬかも」の【嫌悪学習】をしたのだ。
この嫌悪学習の反対に《嗜好学習》と言うのもあり、嬉しかったり楽しかったりする記憶と結びついた食材は大好きになるそうだ。
真愛の「生牡蠣」「チーズ」は、その部類かもしれない。
厚洋さんが「真愛のお稲荷さん」を好きなのもそれだと思う。
初めて彼と地域の運動会で昼食を共にし、
「お前、料理できるのか?
このお稲荷さん美味いなぁ。」
と言ってくれたのが、彼との食の始まりだった。結婚して、お弁当と言えばお稲荷さんが好きだったのもそうかもしれない。
あの時、太巻寿司だったら結婚してないかもしれない。
食事は、良い記憶にも悪い記憶にも繋がるわけだ。
だから、偏食を防ぐ一番の方法は、
ー 食事が楽しい ー
食卓での笑顔・食べっぷりの良さ・言葉で美味しさや楽しさを表現して、全力で食に向かえばいいのだ。
「美味いと思えば、栄養!」
厚洋さんの名言だと思う。
※過ぎたるは及ばざるが如し。
食べ過ぎは、良くないです💦
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります