山の麓の小さな村に
山の麓の小さな村に、咲いた可愛いれんげ草。
真愛の小さい頃のお話。
れんげ草畑に真っ白いコットンのワンピース姿で、足を踏み入れる。
小学校2年生の寡黙な女の子は、れんげ草の香りを楽しんだ後、靴を脱ぎ捨てて柔らかくほのかな暖かさも感じるれんげ草を踏みつけながら、クルクルと回った。
フレアスカートの裾はまあるく広がって、ふわふわと絡みつく。
大きく広がった裾をそっとれんげ草の絨毯の上に広げ、風を孕んで座る。
れんげ草の香りは、足先から胸に向かってフワッと上がって来る。
手を伸ばし、ピンクの花を摘み編む。
これが、小さい頃の真愛の春の楽しみだった。
今は、そのれんげ草畑(田んぼ)は市役所通りの大きな交差点になってしまっている。
真愛は昔からフェミニストだったのだ。
いや、ナルシストだったのかもしれない。
寡黙児は、ひとり遊びが上手である。
厚洋さんに歌ってもらったビリーバンバンの
「れんげ草」
山の麓の小さな村に思いを馳せた。
下の写真の水田には水が張られ、2、3日後にはれんげ草の田んぼも耕運機が入って、花は肥料の役目をする。
「れんげ草」は、1972年の歌だという。
「穀雨」の時に書いた井上陽水さんの「傘がない」もこの年だという。
いい歌が多かった。
最近、若かった頃のフォークソングが素晴らしかったとつくづく思う。
つい先夜も、NHKのSONGSとか言う番組で、「森山直太朗」さんをやっていた。
当然スペシャルゲストは母親の森山良子さんである。素敵な番組だった。
フォークの女王と言われた彼女にもスポットライトがあたり、懐かしの曲が聴けた。
folk songは、1960年代後半 反戦・学生運動と若者たちの行き場のない悩みを歌に込めメッセージ性の高い曲が多かった。
真愛のために一晩中寝ずに歌ってくれた厚洋さんも、ギター1本で厚い歌本を広げて、次々に歌ってくれた。
この番組では、直太郎くんが
「フォークソングの魅力」を語ってくれた。
⓵機動力だ。
ギター一本でいい。
歌が歌えて、どこにでも行ける。
ピアニストにはやれない技である。
⓶団結力だという。
難しい曲ではなく、リードしてもらえば全くの
初めてでも歌えちゃうところがすごい。
キャンプファイヤーの時、ギターを弾いてる人
がかっこよかった。
そういえば、フォークダンスってのもあった
なあ。いい時代だった。
⓷サステナブル(持続可能)
何年経っても、懐かしい思いが持続する。
不朽の名作である。
「若者たち」
「悲しくてやりきれない」
「神田川」
「風」
「花はどこに行った」
「この広い野原いっぱい」
「今日の日はさようなら」etc。
親子でギターを弾きながら歌ってくれた。
番組キャスターの大泉洋さんも思わず歌ってしまったが、真愛もテレビの前で歌ってしまった、それもハモリのパートを口ずさんだ。
厚洋さんがいたら、ギターを取り出して,
「ああ。いい歌ばっかりだな。
懐かしいな。
俺、一人で黒ヘルだぜ。」
一晩中歌っただろう。
途中で、
「しばらく弾いてないと、指が痛え。」
と左手の指を振りながらも、ピックでジャカジャカと弾きながら歌ったのだろうなあと思った。
絶対に、真愛も歌っていたはずだ。
「いいですね。
みんなで歌えるんですよね。
今の歌はすぐには歌えないんですよ。」
と大泉さんが言うと、森山さんが大きく頷きながら
「私も最近の歌はなかなか歌えないんですよ。」
と苦笑いをした。
フォークの女王様でも、そうなんだ。
真愛も何百曲と歌えた。何十冊も「愛唱歌」を持ち、ほとんど歌えた。
一晩中、歌えなくなるまで歌おうなんてゲームもした。
「悲しい時」も「嬉しい時」も「おめでとう」も「頑張れ」も「悔しい」も「笑い」も「恋心」も「戦争反対」も「哲学」もすべてフォークソングと唱歌だった。
教職について、真愛の朝の会は「フォークソング・歌謡曲」で1日を始めた。
現在校長先生をしている由香ちゃんは、5年生で担任した。
思い出に残るいいクラス(考えたら全てのクラスがいいクラスだったし、良い子達)だった。
彼女は、3月のお別れ会で一冊の大学ノートをプレゼントしてくれた。
その中には4月から教えた「教科書以外の歌」の歌詞が教えた順に、全て書かれていた。
結婚前の若い女教師が感動しないわけがない。
結婚しても教職に就いていたいと思ったのは、この子のお陰かもしれない。
人生をやめないでこられたのは、素晴らしい子どもたちとの出会いがあってのことかもしれない。
(もちろん愛しい人の支えがあってこそだったが…。)
やりたい放題のいい時代だった。
それは、素晴らしい音楽が生まれ続けていた時代だったからだと思う。
真愛は、今でも「あいみょんさんの裸の心」が好きだし、「AIさんのアルデバラン」も好きだ
今の楽曲も素晴らしいと思う。
しかし、この素晴らしい歌たちが、50年後、みんなで会った時に
「なぁ、みんなで歌おうや」
と言うだろうか?
50年後会った時に何を歌うのだろう。
50年後には真愛は生きていないから、何ともいえないが、なんだか、「今の時代が人間関係が希薄になっているのは、フォークソングみたいな曲がなく、みんなで歌う場所がないのだと追う。
厚洋さんのギターの弦は錆び始めている。
真愛が弾けないからだ。何度か挑戦したが、「禁じられた遊び」と「真夜中のギター」と「薔薇が咲いた」しか弾けない。
にも関わらず、2月から「三絃」を練習し始めているし、彼の弾きたがっていた「長唄三味線」を飾っている。
もうじき、結婚記念日が来る。
厚洋さんの歌が聴きたいな。
一晩中、フォークソングを歌いながら、若い頃の話がしたいな。
そして、厚洋さんにしっかりと話したいな。
れんげ草の咲く中で真っ白なドレスを着て
「お嫁さん」になる日を想って楽しんだ日と、
本当に厚洋さんのお嫁さんになって嬉しかったことを話したいな。