子育てパニック 国語を楽しく
「実に面白い!」って、福山さん扮するガリレオ先生がいうのだが、その言葉が1番当てはまる教育書に出会った。
表紙の「楽しく」を見る前に、裏表紙からパラパラと捲ると
「ニ おおらかに見守る」
の太いゴシックがブシャと真愛のシャッターを切らせた。
幼児期に自然に始まる読み書きには、誤りも出現する。
しかし、それをいちいちとがめる必要はない。正しく読み直させたり、書き直させたりする必要もない。
むしろ、そのまま受け止めて
「すごいね!」
と喜んだ方が良い。
子どもは、誤っても叱られないというおおらかな環境で自分流に読み書きするうちに、相手に通じなかったり、誤りを友達から指摘されたりする経験をする。
そして、自分から直したくなって自分で直すときが来る。
大人は、ゆったりおおらかに構えて、その時を待てば良い。
それが、最も効果的な発達支援になる。
本書内の行数とすれば、たった7行の文章であるが、著者・首藤久義先生(千葉大学名誉教授・日本国語教育学会常任理事・言語教育研究会会長)の人柄を表している。
裏返しに読みながら、懐かしい「先生との出会いの頃」を思い出した。
40年前と変わらない。
言葉に対する思いとそれを取得する人間への愛情の深さは、全く変わっていないのだ。
教える側に立つのではなく、学ぶ人間の思いを模索しているのだ。
「アンタのやっているのは、自己満足で子ども
の気持ちはわかろうとしていない。
この提案からはそう感じる。」
と、千葉県教育研究集会・言語教育分科会で他支部の提案に対して助言者だった先生は言った。
まだまだ血の気も多く、知識も経験も乏しく学んでいない真愛は、
「その言い方はないだろう。
講師ともあろう方が、そんな冷たい講評を
言って…。何が自己満足か!
あなたの方こそ、
人の気持ちの分からん方だ。」
そこを口火に十数分、個人的な言い合いになり、結局、無能な真愛は泣きながら、自分の「言語教育論」を言い通した。
もちろん、その後の部会を気不味い雰囲気にさせてしまった事も、若気の行ったり来たり!
である。
先生の言語教育のあり方が当時としては斬新的であり魅力があったが、本当に若いは馬鹿いであって、「納得する事は負けを意味する」と思った。
また、助言者になるような偉い方の考えに靡くことは「媚び諂う事」であり、「そうですね。」と言えない性格の真愛は泣きながらの「屁理屈」を言った。
厚洋さんにして同情して貰おうとその話をすると
「いい助言者だなぁ。
面白い考え方だし、方法論的にもいい。
良い先生に出会えたな。」
と首藤先生を絶賛した。
その年の全国教育研究会の千葉県代表になり全国の実践に触れることができた真愛は、少しだけだが視点を遠く広くすることができるようになった。
厚洋さんも地区の学習会から全国レベルの教育研究会へ進んで行った頃だった。
我が地区の国語学習会に講師としてお願いする事も度々あり、その帰りは真愛の車で千葉大まで送って行った事もある。
車の中では、もっぱら実践報告と助言の会話。着いた教授室には面白い書物がたくさんあり、ちょっとした講義もしてくれた。
言語教育のあり方について語る瓶底眼鏡の奥の瞳は、射抜くように鋭かった。
山間の小さな学校(福野小)に赴任した厚洋さんが目指した教育は、首藤先生の学びだった。
首藤先生が若い頃、その学校の研究に携わっていた事、その方法が素晴らしかった事等々が、厚洋さんを首藤先生のファンにした。
男というのは、目標とか論とか生き方とかなんだか分からないところで気が合うと「友達」になるらしい。
同い年という事もあって、
「厚ちゃん!」
「久君!」
なんて呼ぶから(お酒を飲んだ時)気持ちが悪い。
しかし、そんな時の二人の会話は、素晴らしかった。
今回、出版なさったこの本の内容も何度も語られ、「人として、生涯、死ぬその瞬間まで学びたい。学べる人間でありたい。」と厚洋さんも真愛も思ったのだ。
厚洋さんはそれを実践して逝った。
真愛は、彼が逝った後もそれを実践する事で、毎日、発見し学び幸せを感じながら生きることが出来ている。
実に素晴らしい「言語教育」というより「生き方」を語る首藤先生である。
たくさんの本をお書きになっているが、専門書や実践例を踏まえた講義のようで、途中で眠くなる。
今までの真愛が教員であったため、必要な所を拾い読みしていたので、宝物に気づかずにいたのかもしれない。
ひょっとしたら、今回の「国語を楽しく」も表紙から読んでいたら、【おおらかに見守る】に出会えなかったかもしれない。
東洋館出版社の宣伝チラシが挟まっていた。
その通りだ。
今、真愛がnoteを書きながら、楽しみながら余生を謳歌しているのは、首藤先生の「生涯学習の考え方」のお陰である。
一生役に立つ!
おっと、夫の深き愛あっての真愛の生命なので、そこを記さないで締めることはできない。
↑ 福野小入学式のすぐ後に、厚洋さんが見せ
たいい物。
それは生命だった。
「厚ちゃん。
久君がね。
とっても素敵な話を書いて出版したよ。
真愛は、後輩の藤後ちゃんに贈ろうと思う
沢山の人が読んでくれて、
真愛のように幸せに生きられたらいいね。」
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります