子育てパニック 遊び
暫くぶりで学校帰りの子供達に出くわした。
その道は通学路に指定されているし、両脇に自転車通行帯・歩道が整備されている。
だから安全に走行できるとは言えない。
学校でも元気に過ごして、帰り道でも更に元気に暴れるのが、子供であり、何処から飛び出して来るかわからない。
真愛は、徐行運転をしながら彼らの横を通り過ぎようとした。
案の定。
縁石の上を歩いていた女の子が、ふざけ合っていた2人の男の子にぶつかりフラついて倒れた。
手を打ったらしいが、お互いに謝って事なきを得たらしい。
その後ろでは、一年生ぐらいの男の子が、田んぼに向かって立ち幅跳びをしていた。
稲刈りが終わった後なので、危なくはないと思うが、すでに靴はどろどろの様な気がした。
子どもはどうして、危ないことをしたがるのだろう。
ちょっとの段差が有れば、登りたがり、飛び降りたがる。
彼らにとって、段差は危険な場所ではなく、格好の「遊び場」なのである。
下校時の全てが「遊び」なのだ。
真愛も小学校の帰り道が1番楽しかった。
スカートの裾をパンツのゴムに挟み込んで、小糸川に入って遊んだ。
護岸工事なんてしていなかったので、何処でも自由に降りて行けた。
岸辺の葦の原を分け入ると川の流れの緩やかな所に良質な粘土が溜まっている。
足の指からニュルッと出てくる程の柔らかな粘土は、歩いても良し・滑っても良し・物を作っても良し。暗くなるまで遊んで帰って母に叱られた。
友達と茱萸のなっている生垣の道を帰り、クレヨンのビニール袋に山ほど盗んだ事もある。
柿泥棒をして、逃げ遅れて捕まった事もある。昔は貧しかったので、茱萸も柿も食糧である。今の子どもたちのように食べられるものは粗末にしない。
真愛を捕まえたおじさんも
「知ってるよ。
うちの柿美味いだろう?
母ちゃんの分もやるよ。
あんちゃんの分もな。
今度は盗むんじゃなくて、欲しいって言う
んだぞ。」
って、スカートの裾いっぱいに広げるほどもらった。後で、母と謝りに行った。
真愛は、遊びの中で社会を学んだ。遊びの中で自然を学んだ。遊びの中で生き方を学んだ。
「正直が大事。」「思いを言葉にする事が大事。」「楽しいことは自分で見つける。」
今日見た子どもたちも同じである。
ちょっとだけ、危ない気もするが…。
出来れば危なくない場所で、伸び伸びと遊んでほしいと思う。
こう書いてきて、思い出したのが、「プレイパーク」だ。
公園の様な既成遊具があるわけではなく、
木や土や水や火。ノコギリ・シャベルなどの道具とガラクタ(何かに使えそうな?)があるのだそうだ。
そして、見守り隊がいる。
見守り隊はあくまでも見守り。子どもたちが自由な発想でやりたい様に遊べるように見守る。必要がかれば手助けはするが、あくまで余分なことはしない。
そこの人が、素敵なことを言っていた。
「遊びとは本来、自分がやりたいと思うこと
を主体的にやる事。
嫌々遊ぶ子なんていない。
遊びは「自主性」の塊なのだ。
そして、遊びは「自分の人生を手作りする
ための練習」とも言われる。
自分で決めていい事が確保されていれば
《やりたい事をしていいのだ》との
安心感に繋がる。」
その通りだ。
《やりたい事》をした後の失敗は自分の責任であることも気づくものだ。
それは、自分で決めた事なので、人のせいにしない、言い訳をしない生き方になる。
真愛はいいお婆さんになったが、今だに「やってみたい」がいっぱいあって忙しい。
真愛の人生、辛い苦しい事もあったが、母にも夫・厚洋さんにも《やりたい事》を伸びやかにやらせてもらった。だから「我が人生に悔い無し」である。
その思いは、母も厚洋さんも同じだと思う。
たくさん遊び、やりたいように生きたからだ。
子どもにとって、危険なことは魅力的な行為なのだ。大人だってちょっとの冒険は楽しい。
だが、やりたいからと言ってなんでもOKなわけでは無い。大人なら事前に危険を取り除けるかもしれないが、また判断が弱い子どもなのだから、命に関わる危険や法に触れることは取り除かなければならない。
リスクは「自分から挑戦する危険」
・木登り・塀登り・アイロンかけ・ライターで火をつける・刃物を使う・階段をジャンプするなどが挙げられる。
「高所平気症」というのがあるそうだ。高い所にいても恐怖を感じにくい心理状態をさす。
高さの感覚は、6歳までに大人の8割まで育つと言われている。高いところが怖いという感覚が育たないまま大人になると大きな事故につながるという。
厚洋さんは高所恐怖症。
「きっと小さい時に大事に大事に育ってきた
のでしょうね。」
と馬鹿にした事があるが、
「お前は高いところが好き。
煙と馬鹿は高いところに上がりたがる。」
と言い返されてしまった。
遊びの中でバランスの良い安全も考えられる感性を身につけて欲しいものだ。
もう一方の「ハザード」は
「子どもの目には見えない危険」「子どもが自ら選びようが無い危険」である。
柱から釘が出ていたり、腐食した柱が折れたり、強風で鉄扉が閉まったりと子供にとっては想定外の危険がハザードだ。
真愛が小学校三年歳の時、友達が釘が出ている登り棒から降りてきて、太ももを何十針も塗った事がある。
それを間近で見ていた真愛は、トラウマになった。それまで登って遊んでいた登り棒に触ると足がすくんで棒の上から血が下垂れてくるのだ。体育の授業も受けられなかった。
目の前で子どもがある遊びに挑戦しようとしている場合、
「危ないと思ったらやめる」のが基本だそうだ。
その上で「ハザード」を見つけ、その時点で取り除くのだ。
リスクについてはどれくらい危険か挑戦させても大丈夫かを判断して、大丈夫そうであれば見守り、意見度が高ければ子どもの気持ちを尊重しながらリスクを減らす工夫をするという。
なんだか、真愛の生きた時代は「リスク」はやらざるを得ない生活の事であって、「ハザード」は、いつでもハザードだった気がする。
遊びは危険が伴った魅力的な活動だったのだ。よく生きていられたと思う。
兄貴や先輩なんかは、鉄橋を歩いたり、線路に釘を置いて磁石を作ったりしていた。
考えたら恐ろしい事だが、紙一重のところで無事に生き延びている。
子どもが
「何に興味を持っないるのか。」
「どこにワクワクしているのか。」
「何がしたくてたまらないのか。」
そういう子どもの視線を考えて感じて、子供を見てほしい。
遊んでいる子どもたちの表情を見るとよく分かる。
面白い物を見つけたら、口を開けたまま顔が固まるそうだ。
そんな可愛い顔をたくさん見たいものだ。
しかし、帰りは遊び!
ジャンケンで、妹に負けたらしい。
バックパックは自分の物が後ろで妹のが前。
そう言えば、小学校の帰り道何個もランドセルをもたされたっけ!
「ジャンケンポン。」
「勝った!パイナップル」と5歩進み、
「ジャンケンポン。」
「勝った!グリコ!」って3歩進む。
「チョコレート!」は6歩だった。
負けが続くと、ずーと後ろで置いてけぼり、
泣きそうになった帰り道だった。
しかし、必ず遊んで帰った。
今の子は可哀想だ。
過疎化が進んで、学校がいくつか統合された。遠くから来る子は、バスで帰る。
とても安全だが、遊びがない。
バス停で降りて、
「じゃ、遊びに行くからね。」
っていう子が何人いるのだろうか。
家に帰れば、ゲームをするか、学習塾に贈って行ってもらうか。
「やってみたい事は?」
「ゲーム!」
危険もあるけど得る事が多いのは、体を動かす遊びである。
水切りが得意な子が育つといいなあ。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります