MAAちゃんパニック言葉
「これは、私のことだ。」と思った一言。
【他人の言葉に振り回されない】事が大切。
拙著でも書いたが、思い込みが強い真愛は人の噂に振り回されて、自死も考えるほど精神の安定を欠いた。
そんな他人の言葉に振り回される真愛がチェックしたリストが次の通りだ。
ー 他人の言葉に振り回され度チェック ー
⬜︎ 他人からどう思われているかがしばしば
気になる。
⬜︎ 他人の言葉をスルーすると、自分の評価が
下がると感じる事がある。
⬜︎自分は真面目な性格である。
⬜︎ 他人に対して誠実でありたいと思っている。
⬜︎他人が怒っていないか、
気分を害していないか気になる時がある。
⬜︎嘘をつくのが苦手だ。
⬜︎自分の秘密を作る事が苦手だ。
⬜︎いい人でいたいと考えている。
⬜︎失礼な事、理不尽な事を言われても
反論したり、怒ったりできない。
⬜︎自分に厳しい指摘ほど耳を傾けなければ
いけないと感じている。
⬜︎意味深な言葉には、真実が隠れている気が
する。
⬜︎何かあると自分が悪いと思ってしまいやすい
⬜︎いい加減に言葉を扱う事ができない。
⬜︎他人の話を聞かない人、耳を貸さない人、
独善的な人と思われたくない。
⬜︎どちらかと言えば自分に自信がない。
振り回され度
9個以上→かなり振り回されやすい。
6〜8 →振り回されやすい
3〜5 →少し振り回されやすい
0〜2 →振り回されにくい。
※以上は大まかな目安として捉えて下さい。
と明記されていたが、真愛の場合ほとんど✔︎が⬜︎に入った。死角である。
厚洋さんと一緒に国語の研修をして来て、言葉に対する意識が高いと思っていたし、人間関係でも言語活動がどんなに大切な要素になるか分かっていたつもりだった。
「言葉を大切に使いたい。」とずっと思っていた。
しかし、それは、《言葉は単なる言葉で絶対的なではない》という事を考えなかった真愛の死角だったのだ。
移ろいやすい人間が使う言葉なのであるから、「言葉」もまた、揺らぎやすく決して完全なものではない。
人間と言葉がいかに不安定でいい加減なものであるかを確認し、「自分の言葉を取り戻そう!」
このように提唱するのは、公認心理師のみきいちたろう氏である。
心理士カウンセラーとして相談者に携わる中で、彼らの悩みの一つに「他人の言葉に振り回される」という事だったそうだ。
高圧的・断定的・上から目線で言われた言葉が頭から離れない。
気にしても仕方がないと自分に言い聞かせても、ふと気づくとその事ばかり考えてしまう…。
まさしく真愛である。
他人の言葉に振り回されてしまう人の特徴は、他人の言葉の価値を高く捉えて、自分を低く捉えている事が多いそうだ。
そういう人は、「人間とは立派なものだ。」「言葉はたいさつなものだあ。」という前提があるので、言葉をスルーする事が容易ではないのだ。
人は置かれた状況や心身の状態によって言葉も変化する。
普段温厚な人でも、体調が悪かったり、睡眠不足・空腹・(酔っ払っていたり)そんな時言葉がきつくなったり、高圧的・上から目線になったりする。嫉妬心があったりすると言葉には棘がいっぱいついて吐き出される。
思えばあの時、真愛は厚洋さんを亡くしていたが、最期の最期まで愛し愛されて恋愛状態で旦那様を看取る事ができた。
側から見れば、羨ましい限りのことである。
43年間も一緒にいると「愛だ!恋だ!」なんて感情は無くなるのが普通らしい。当然、夜も一緒では無い夫婦が多い中、「愛してる!」「大好き!」と言っている真愛達を見て、呆れると同時にちょっとした嫉妬心もあったのだろう。
それが、噂大好き女性誌記者みたいな人なら、言葉巧みに「傷口に塩を塗りにくる」
その痛みで苦しんでいる人間を見るのが好きなのだ。
人は、自身の安心安定を安全に支える基盤、社会的な地位と役割・礼儀が保たれた関係性などの環境が揃ってかろうじてまともでいられるというのが実際のところだという。
危ういバランスの上に在るのだ。
そんな移ろいやすい人間の言葉もまた、揺らぎやすく危うい決して完全なものでは無いという。
納得である。
人間の言葉は、不安定でいい加減なもの。
みき氏は、【自分の言葉を取り戻そう】と言う。
【自分の言葉を取り戻そう】とは、言葉に対する主権を自分のものにすると言うことだそうだ。
言葉を受け取る時も、自分で発信する時も
《自分の基準で取捨選択、解釈する》こと。
どの言葉を受け取り、どの言葉を受け取らないかを自分の基準で判断することであり、どのように解釈するかも自分で決めることだと言う。
みき氏の言葉に対してもそうである。
また、発信する側になった際も自分を主語にして自分の考えや感情を話すことだと言う。
そうだった噂話をしてくる輩は、必ず主語は『噂があったのよ。〇〇さんはね…。』であって、「アンタの主語は誰なんだ!」と言ってやればよかった。
「自分の言葉を取り戻す」ために
⓵言葉を体の中に入れない。
自宅を訪ねて来た人は、玄関か応接間で対応する。自分の寝室になんて入れない。
まして親しく無い人とは、玄関先で終わりだ。言葉も玄関先で適当にやり取りすれば良いのだ。信頼性が確認できたものだけを“家”に入れることなのだ。
真愛の場合、その信頼性を見誤ったのだ。いい人だと思っていたから入れた。旦那様を亡くし精神的に不安定な時に漬け込まれてしまった。(ある宗教への勧誘だった人もいた。)
⓶身体感覚で判断する。
ピンとくるかどうかで判断する。
胸騒ぎがしたり、嫌な感じがしたりするときは、どんなにもっともらしい言葉であってもスルーする。言葉をじっくり吟味してり、取捨選択する余裕のない時には、「ピンと来るかどうか」を意識するのもいい。
しかし、余裕のない時には誰かの言葉に縋ってしまうのも人情。
だから、日頃から第六感も働かせて言葉に接すると良いようだ。
⓷偽ルールに要注意。
人間はルールから外れる事に無意識に抵抗があるのだそうだ。
「これはルールです。」
「これは常識でしょ!」
と言った言葉に弱い。(まさしくそれだ!)
人は、そんな性質を悪用して、自分の不完全感を“常識”“ルール”と偽って、相手をコントロールしようとしている。
これは【ローカルルール・偽ルール】と言い身近な人間関係でもよくやられているそうだ。
分かるなぁ。
表面的にはもっともらしく聞こえる言葉でも、受け取って違和感がある場合や苦しいと感じる時は、偽ルールの可能性が高い。
常識知らずって言われ事が多かった夫婦なので、厚洋さんが「そんな事気にするな!」と言われて、体の中に入れなかったものが、頼れる彼が逝ってから、偽ルールもみんな真愛の体の中に入って来てしまっていた。
自分の基準で取捨選択しなくちゃ!
⓸頭の中を覗き込まない。
相手の頭の中に本音が隠れていると考えがちだが、それは誤りだと言う。
他人の頭の中は様々な価値観や感情が整理されないままドロドロとした状態で渦巻いていて、高圧的な言葉が吐き出されるのだ。
そんなドロドロした考え、暴言に耳を傾けようとすると相手の暴言に振り回されてしまう。
言葉に振り回されない人は、外側に現れた相手の行動や表情だけを見てやりとりすると言う。
気を遣いやすく、他人の機嫌や考えが気になる人は「他人の頭の中をのぞいている」のだそうだ。
スルーする(やり過ごす)とは、決して他人を無視したり、反抗的になったりすることではない。
それは自分自身が主体的に言葉を扱うことで、他者と健全な関係を築くことである。
みき氏の一言ひと言が、応接間から寝室への階段を登らせてしまっていた。
言葉も自分も大事にするために、玄関払いの言葉があっても良いと思うととっても気が楽になった。
真愛婆さんの残りの人生。
いろんなことを(やり過ごす)こともしていかなくてはと思った。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります