地域の伝統行事 お宮造り
2023年1月15日。小正月!
降り出しそうな曇り空の下で、節分の時に焚き上げるお宮造りが始まった。
一週間前に、駐車場になる場所の草刈りを行い、竹林から何十本もの竹を切り出して、立ち上げる場所へと運んだ。
刈り取った茅を入れるらしいこと、竹を立てて番線で支柱を押さえて「お宮」をつくるらしいことは、以前厚洋さんから聞いていた。
以前にも書いたが、地域の伝統文化が大好きだった厚洋さんが、まるで、自分が偉いかのように
「うちの地区のどんど焼きのお宮が
一番カッコイイ!
何てったって、番線で引っ張って立ち上げ、
高いんだ!
スッーと伸びて見上げるような高さは
他の地区にはない。
凄いだろう!」
「うんうん。」と聞きながら、何故そんなに興奮していうのだろうと思っていた。
ただ、寡黙な協調性のない厚洋さんが、地域の行事のために準備・作業や役員までも引き受けることに驚いて見ていた。
先週の作業は、真愛にでもできる借り草を熊手で集めることだったのでやらせてもらえたが、今日の仕事は「やれそうもなかった。」
やってはいけなそうな気がした。
男尊女卑とか、ジェンダーフリーとか叫ばれている方からすれば、「貴女の考えはおかしい」と言われるかもしれないが、
(言葉に出来ない、冒してはならない何か)を肌で感じた。
だから、
今、私に出来ることをした。
自主的記録係りである。
すっくりと真っ直ぐに伸びた竹を探すと、その美しい竹に達磨を括り付けた。
達磨は既に両目が入っていて、大願成就の証である。
今日は、小正月で大安。
何だか凄くいい日に「お宮造り」をしているのだと思った。
さて、この後、中心になるこの竹を掘った穴に埋め込み、番線で引っ張って立ち上げる。
一番かっこいい場面だったのだろうが、何もすることができない真愛は、
「今、私に出来ることは…?」
「みんな頑張っているのだから、休憩の時に
小正月の小豆粥なんか振る舞えたら?」
と勝手に思い立ち、我が家に帰り「小豆汁」を作ったのだ。
だから、戻ってきた時には、男たちの掛け声と共に達磨さんが高々と空に上がるのを見ていない。
更に、失敗したのは「小豆粥」なんて、前日から作らんとダメなので、「ゆで小豆」を購入
温めながら、お砂糖を加えて、塩を加えて…お汁粉になってしまった。
お粥の代わりにしゃぶしゃぶ用のお餅を入れて「無病息災」をと考えた。
(薄いお餅なので、休憩の前に温めればいい)と思っていたら、何と直ぐに休憩だった。
いくら薄くても、お餅にはまだ芯が残っている。我が家でお餅を柔らかく煮てくるのだったと後悔しきり。
どこか、すっぽり抜けている真愛である。
にも関わらず、
「久しぶりだな?」
なんて言って食べてくれる。
完全に硬いお餅を食べて…。
いつも、思いつきでやる自分の愚かさが情けない。きっと、甘いものを制限されている方だっていたのだろうに本当に申し訳ない。
お代わりをしてくれた若い青年がいた。
その頃は、お餅も柔らかくちゃんと良く伸びるように煮えていた。
余分な事で作業を止めてしまった気がする。
そんなわけで、「記録係」戻った時には、達磨さんがこっちを睨んでいた。
いや、笑っていたのかもしれない。
聞くところによると、この達磨さん最初は正面を向かず、何度かやり直したという。
さて、足元がスカスカのところに、先週切って運んだ、竹を立てかけていく。
やっぱりこの作業集団には入れない。
そうだ。
大相撲の土俵の上は女人禁制だと聞いたことがある。女は不浄のもので上がってはいけない。何処かの修行僧が入山する所も、女人禁制だとか…。
みんな厚洋さんから聞いた事だが、真愛は男尊女卑とは思わなかった。
「上らせない、入らせない。と
差別をしているように感じるが、
女を守っていたんだと思う。
元々、原始から女は子を宿す神だったし、
母系社会だろう?
女の方が偉いんだ…。」
というのが、亭主関白宣言をしていた厚洋さんの意見だったからだ。
勿論、真愛は可愛がられ大事にされていた。
だから、カッコいい男集団は見ているのが好きで、入りたいとは思わなかった。
黙々と作業をしている。
厚洋さんはこの時間が好きだったのだろう。
次何をやるかなんて、誰も問わない。
ここ2年はやれなかったが、それまでずっとやって来た作業なのだ。
伝統行事の根底に流れる力は「結束」だと思った。
番線を利用しながら、立てかけた竹が固定されて行く。
作業が難しくなれば、安全や仕上がりのために、様々な方向から声がかかる。
この男集団。格好が良いが結構な平均年齢である。
失礼だが、お年寄りが「若々しく」見える。
脚立は梯子になり、三角錐の中に枯れ茅や柘植の枝が差し込まれ、詰め込まれていく。
梯子の上を太い藁縄が回され、更に上を固定する。
梯子が外され、三角錐の部分の化粧を施す。
ここで漸く、真愛にも出来る仕事がもらえた。
雌竹が足らないので切り出すという。
切り出した竹を3本運ぶことができた。
喜んで運んでいると、
「もう良いぞ!」
「何だか太って来たな?
下っ腹が出て来てるぞ!」
と声がかかる。
「へっ?」
真愛のお腹じゃあるまいし、何とも、
「お宮」の下の部分が膨らみすぎて、格好が悪いのだそうだ。
厚洋さんが好きだったのは、こんな一連の作業の中に
「俺らのお宮が一番、美しい!」と言う
男の美学?
いや、男のロマン?
いや、「地域の誇り」があったのだ。
閉鎖的だとか、田舎じみていると言うかもしれないが、男が他者よりも優れた力があると誇示したいのは当然の本能であり、それを素直に出せる場所がこの「どんど焼きのお宮造り」だったのかもしれない。
理解し難い厚洋さんの気持ちがちょっとだけ分かった気がしたし、羨ましいとも思えた。
「大丈夫だ!
今から、ぎゅっと締めるからさあ!」
いやぁー!
美しく絞られている。
マリーアントワネットが両サイドから、コルセットを絞られているように
美しくなっていく!
もう、時刻は正午を指す。
今年は、規模を縮小して再開することになった「どんど焼き」なので、お宮は一基しか建てない。
2基も建っていた頃は、1日がかりだった気がする。
3時間の作業だったが、男達の姿が若返って見えたのは気のせいだろうか。
神事をする男達が若く見えるのは、年神様が力を与えてくれているのだと思う。
無病息災だったからこそ、この「社殿造り」に参加できたのだ。
何もできなかったが、たくさんの発見と気づきをもらった。
最も嬉しかったのは、厚洋さんが何故あんなにもはしゃいで話していたのかという彼の思いの一欠片をこの目で見ることができたことだった。
その人の思いを共有すると言うことは、その人と共有する事実や経験が無ければ近づけないと言うことも痛感した。
軽はずみに
「あなたの悲しみが分かる。」
なんて言えなくなった。
本当に、我が地区の「どんど焼きの社殿」は格好が良くて、美しい❣️
こんなに美しい社殿を焚き上げ、年神様を天上に送るのだ。
2023.2.4。
節分の夜空に紅蓮の焔をあげて、
思いは火の粉となって
星になる。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります