清明
4月4日は二十四節気の清明(せいめい)。
草木がいっせいに芽吹き花が咲く時期で、「万物が清らかで生き生きしている」
という意味だそうだ。
桜が満開になる時期とも言われるが、今年は、すでに散ってしまって葉桜になり始めている。
そんな折、何時ものスポーツクラブで先輩にお会いし、素敵なニュースを聞いた。
「知ってる?
東君のうちのチューリップ畑。
凄いのよ。
何年もかけて、増やしていてね。
とっても綺麗よ。まだ、見られるかもしれな
いわ。
ぜひ、行ってご覧なさい!」
東君は、マレーシアの子どもたちのhomestayのホストハウスをした時にお世話になった「街づくり推進課」の青年である。
真愛がボランティアを始めた時にも、会議があるとよく声をかけてくれた。
真愛が以前勤めていた小学校の卒業生であると言うだけのご縁だが、とても優しくて、格好いい青年である。
先輩の話をして聞いても、「畑」と「彼」が結びつかなかった。
土曜日の日本語教室を済ませてから、1時間かけて山の中に出掛けて行った。
「明日は清明の日」に相応しい
春、真っ盛り
命がみんな歌っていた
「見て!見て!」
「見て!見て!いるよ!」
「ここに、いるよ❣️」
♫綺麗だね♪
🎶咲いてるね♪
♬並んだね♩
「Lilly tulip❣️」
「symphony❣️tulip」
「ハウステンボスという名のチューリップ」
東君がいなければ、踊り出していた真愛だ。
昔、美智子上皇后陛下が、
「木を植えた男」と言う絵本を読まれていらっしゃると言うので、読んだ事がある。
その本に出てくる「男」のような東君だった。
厚洋さんが
「物言わぬ物・もの言えぬ物を愛することが
出来る人は、本当に優しい。」
と言った事も思い出した。
優しいのだ、本当に。
畑の中に立ち、チューリップを見下ろす青年は、どこか「宮沢賢治」にも似ていた。
「もったいない。」
写真で撮っても伝えきれないチューリップ畑だった。真愛が春の神様の力を借りられたら、この畑ごと、もっと人に見てもらえる所に移動させたかった。もっとたくさんの人に見せてあげたいと思った。
たった一人で行った事が残念だった。
(なので、東君に了解を得てnoteで公開する
ことにした。)
「皆さん、そう言ってくださるので、
来年は道路沿いの畑を借りて植えよう
と思ってます。」
と恥ずかしそうに笑った。
お決まりの言葉だが、チューリップみたいに可愛かった。
帰り際、彼の庭の花を一通り眺めてきた。
全ての花の名前を言い、説明をしてくれる。
もの言えぬものたちが、
「ねぇ。私のことも話して!」
って、彼を見上げている気がした。
チューリップの原種だと言う。
古木の下に、チューリップの原種が、
「I'm flower」
って、胸を張って、大きく手を振って見送ってくれた。
このnoteを読まれた全国の方々に伝えたい。
「あなたの街のあなたの知らないところに
誇らしいほど素敵な事をしている人がいて、
誇らしいほど素敵な場所がある。」と言うこと。
そして、来年の「清明の日」よりちょっと早くこの山の中のチューリップと青年に会いにきて欲しいと。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります