胃カメラ マンモ この日だから思い出すこと
病院のベッドの上だ。腕には麻酔の跡が残っている。
胃カメラを飲んで、検査をしている事は薄っら記憶にあり、
「綺麗だね。」
って胃の中を褒めてくれている先生の声も覚えている。
ただ食道や胃の中がムカムカしてだるかった後、車椅子に乗ってベッドへ来たと思う。
2時間ほど別の部屋で寝かされていた。
本来ならば、もう少し寝ていた方が良いのかもしれないが、バスで帰らなくては行けないので、起きて出てきた。
胃カメラを使う時、麻酔をかけてもらうので、「車を運転しての来院は、お断り」なのだ。嘘をついてくるまで来て、ゆっくり帰る事もできるが、もし事故でも起こしたら嫌なのでタクシーできた。
何時もなら、自分の車で来るはずが、今朝はタクシー。たった8分のところなのに2200円もかかった。バスなら200円。
坂道を歩く事になるがバスで帰る。
車に乗っていると気づかない事。
バスは、安い。(公共交通機関だからコロナ感染の不安もあるが、長い距離でもなく空いてるので密にはならない。)
バス停が近ければ、バスがいい。
タクシーは、楽だが、高い。
ただ、door to doorなので、炎天下で待つ事もない。雨の日なんかはタクシーに乗りたくなる。更に、分からない場所にも連れて行ってくれる。
結論としては、元気ならバス。歳をとったらタクシーかな?
で、バスに乗って思い出した。
「あっ!このバスに乗って厚洋さんは飲みに出掛けたんだ。この風景をみたのだね。」
毎日のように外で飲むのが楽しみだった彼は、3時ごろになると自分の車で出かけて行った。
行きつけのお店が開くまで、パチンコ屋さんとか本屋さんとか図書館に行って楽しみ、5時になると飲み始めた。
6時になるとお終いなので、真愛に
「迎えに来てくれ!鰻屋」
と電話をしてくる。
真愛は、迎えに行って、ちょっと食べさせてもらって(必ず)お買い物に付き合ってもらったりして帰る。それから、お家での晩酌が始まる。
翌朝。10時頃になると「厚洋さんを乗せて車を取りに行く。」
何年か続いたが、真愛に悪いと思ったのだろう。出かけて行く時には、バスを使うようになった。真愛は、迎えに行くだけで「車取り」には行かなくて良くなった。デートの時間が減って寂しかった。
バスの車窓から見る風景を彼も見ていたのだと思うと泣きそうになった。
バスを見送り、坂道を登り始めて思い出したのは、母の事だった。
真愛の母は、厚洋さんが面倒を見てくれて、一緒に18年も生活した。車にも自転車にも乗れない大正生まれの母は、どこに行くにもバス・電車だった。足が達者で84歳までしっかり歩いていた。
この横断歩道を渡って、買い物袋を両手に持って登って来たのだと思うと、その年にもなってない真愛がタクシーを使ったり、バスを降りてから「こんな坂登るの?」なんておもったりしたのが情けないと思った。
きっと、厚洋さんも母もこの道を楽しんだのだろう。
今年は、露草が溢れるほどに咲いていた。
午後からは、マンモグラフィーで乳がんの検査だった。
厚洋さんが亡くなって、激痩せしてしまった真愛を心配してくれた先生がいろいろな検査をしてくれた。
その結果、ちょっとだけ引っかかった。
「大丈夫だと思うけど、1年後様子を見ようか
ね。」と言うことで、今年も受けた。
真愛は、いくらマッサージをしても、母乳がでず、拓を取り上げてくれた先生に
「こりゃあ。パパのおっぱいだね。」
と言われ、赤面した思い出がある。
もう、パパもいないので、悪くなったら取って仕舞えば良いが、あちらに行った時
「あれ?なくなっちゃったの?」
って、厚洋さんが悲しむのも嫌なので、検診は毎年する。
毎日、毎日。
今日だからこそ思い出す事がある。
切ないけれど、幸せな事だ。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります