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七夕まつり

 我が家の玄関のディスプレイは、梅雨明けになり、紫陽花から「金魚鉢・七夕飾り・蓮・建水を見ているニャンコちゃん」になった。
 小物ばかりを並べているので、笹飾りもとても小さい。短冊などは長さ1cmしかない。
 この笹飾りを作っている時に
「お前は器用だな。でっかい身体で
 ピンセットで七夕飾りを作るなんて。
 米にでも絵を描いてみるか?」
と厚洋さんが笑いながら言った。
 素直に「上手だな。」って褒めてくれたら、その夜のおつまみは高級食材になっただろうに…。 
   しかし、この頃のおつまみは、鰻巻き卵焼きとか、鰻胡なんて結構良いものを毎晩作っていた気がする。
 虐められても意外に、優しい真愛だったのだ。 
 思い出しながら、(厚洋さんが本当に好きだったんだな。)とほくそ笑んでしまった。
 七夕は五節句のひとつで、縁起の良い「陽数」とされる奇数が連なる7月7日の夕べに行われるため「七夕の節句」という。
 次は、9/9で重陽の節句だ。
 七夕は、笹を用いて行事をすることから、別名「笹の節句」ともいう。

 元々、七夕は、中国伝来の【七夕伝説】と【乞巧奠(きっこうでん】に、日本古来の【棚機つ女】の伝説や、【お盆前の清めの風習】などが結びついて、現在のようなかたちになったというから、複雑な思いがたくさん込められているのだろう。
 
「七夕伝説(星伝説)」が七夕の由来。
 七夕のルーツは、中国伝来の七夕伝説
(星伝説)
 一般的なのは、天の川の西岸に住む機織りの
 名手・織姫と、東岸に住む働き者の牛使い・
 彦星が、織姫の父親である天帝のすすめで
 結婚する。
 しかし、二人は仲睦まじくするばかりで全く
 仕事をしなくなってしまい。
 これに怒った天帝が、天の川を隔ててふたり
 を離れ離れにしてしまう。
 ところが、今度は悲しみに明け暮れるばかりで
 またもや、働かなくなってしまう。
 天の神様の着物を織らずにみんな困ってしまい
 天の牛は汚く汚れてしまう。
 困った天帝は考えた。
「しっかり仕事をするならば、
    一年に一度は合わせてやろう。」
 仕事に励むことを条件に七夕の夜に限って再会
 することが許され、七夕になると天帝の命を
 受けたカササギの翼にのって天の川を渡り、
 年に一度、再会するようになったという。

織姫様の真愛です❣️

 真愛は、29歳の頃から毎年この頃の集会活動では「織姫様」をやらせてもらった。
 手作りの衣装で、七夕の話を織姫目線で語るのだ。
 年に一度の逢瀬から、七夕のメインテーマは恋愛だと思われそうだが、ふたりが引き裂かれ再会に至る経緯から、技芸に励み働くことの大切さを説いた話なのである。
「文字が上手になる」とか「小針が上手になる」
「お三味線が上手になる」なんて習い事が上達するお願い事を書くことが多かったようだ。
 だから、子どもたちにも願い事は芸技や仕事上達を願うように言ったはずだが、自分の短冊には
「自費出版が出来ますように!」と書いた。
 今は、「宝くじがあたりますように!」なんて書いてみたいとも思う。

夏の大三角

 この時期の厚洋さんのお迎えの帰りは必ず、家の階段で南の空を指差し《天の川と夏の大三角》の話をしていた。
 天の川に輝く「夏の大三角」が七夕伝説を表しているからだ。
 同じ小学校教員で、高学年を担当することが多かった二人は、この時期の夜空は共通の話題になった。
 夏の大三角を形成している琴座のベガが織姫(織女星)
 鷲座のアルタイルが彦星(牽牛星)
 白鳥座のデネブが二人をとりもつカササギである。
 厚洋さんは、星の話だけではなく、万葉集や古今和歌集の歌なんぞを引っ張り出して、「俺の方が博学だぞ。」と饒舌に語る。
 真愛もそれを聞いているのが楽しかった。
 知っていても、初めて聞くように
「へぇ〜!そうなんだ!」
と毎年恒例のイベント会話だった。
 
 中国伝来の儀式「乞巧奠(きっこうでん)」が、今の七夕行事につながる。
 七夕伝説の織姫と彦星の逢瀬を祝い、
 織姫にあやかり機織りなどの技芸の上達を願う 
 巧みになるように乞う祭り(奠)という意味の「乞巧奠」が中国で催されるようになったという。

 日本では、奈良時代に乞巧奠が伝わると、
 貴族は庭に祭壇を設けて供物を供え、梶の葉に
 和歌を綴ったり、
 7本の針に五色の糸を通して裁縫の上達を祈った 
 角盥にはった水に星を映して眺める「星映し」
 などを行うようになった。
 これは、我が家でもやってみたが、映ったのは街頭・蛍光灯の明かりだった。
 また、里芋の葉を天帝の水を授かる傘ととらえ、里芋の葉に溜まった夜露で墨をすって文字を書くと、願いが叶うとされている。
 我が家も里芋を育てて、葉の上の朝露をためて書いたこともあったが、なんの願い事を書いたか覚えていない。
 今では、ほとんどの里芋がイノシシくんの餌になり葉は茂っていない。
 
七夕、たなばた と読むのは、中国の織姫と日本の棚機つ女(たなばたつめ)が結びついて、七夕(たなばた)に。
「乞巧奠」が七夕の節供に変化してきたが、もともとは七夕と書いて「しちせき」と読んだ。
 七夕を「たなばた」と読むようになったのは、日本古来の「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説に由来する、

「棚機つ女」とは、神様を迎えるために水辺に設けた機屋に入り、棚機(たなばた)と呼ばれる機織り機で神様に捧げる神御衣(かんみそ)を織りあげる女性の話。
 中国の織姫と日本の棚機つ女が結びつき、七夕と書いて「たなばた」と読むようになったと言われる。
 
 七夕(たなばた)の行事には、水が関係していることが多い。
 これは、天の川との結びつきだけではなく、
 お盆前の清めの風習にも関係している。
 旧暦のお盆は7月15日なので、7月7日はお盆の
準備をする頃にあたり、お盆前に身を清めたり、井戸をさらって梅雨どきにたまった不浄を清めるなどの習わしがあった。
 今でも「七日盆(なぬかぼん)」といい、墓掃除をしたり、仏具を洗ったり、墓参りの道を掃除したりする習わしが残っているそうだ。
 真愛は、必ずお墓参りをする。
 なんだか、天との何かが繋がるのではないかと思っているからだ。
 江戸時代に七夕の節句が五節句のひとつに定められると、人々に親しまれるようになり、七夕の後、七夕飾りを川や海に流す風習を「七夕流し」といい、七夕飾りが天の川まで流れ着くと、願い事が叶うといわれるようになったのだ。
 今は、そんな事をしたら不法投棄で罰せられる。
 もう少しで七夕祭りだ。
 年に一度でいいから、厚洋さんに会えないかな?
 早く会わないとおばあさんになって、分かって貰えないかもしれない。
 仕方がないから、願い事は、
【若いままでいたい!】
と書いたら、【若いままで痛い!】と表記された。無理なお願いは、きっと「痛い!」のだろう。
 ちなみに、七夕祭りの時の願い事は、習い事の上達を願うもの。
 くれぐれも真愛のように
「厚洋さん!宝くじ当てて!」
とか
「もう少し痩せたいの!」
なんて願ってもきいてくれない。
「もう少しnoteへの文章が上手にかけますように」だ。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります