子育てパニック お片付け
夏休みも終わりが近づいた。オリンピックやコロナ感染拡大・洪水,氾濫、世の中終わりが近づいているように、バタバタしているが、時間は過ぎる。
学期末にもらった通知表「伸びゆく子」に書かれていたことや、個人面談で言われた事をなんとか「反省させ、良い方向へ」と考えて、助言するのもお座なりになってくる頃である。
と書きながら、妙なことに気づいた。
息子がもらって来た「伸びゆく子」に書かれていた事は、
「伸び悩んでいる事であり、先生が困っている事を遠回しに伝える褒め言葉だったのだ。」
「身の回りを整理し、
忘れ物を無くさせたいと思っています。」
「自分の意見をはっきり言えます。
友達の考えの良さも気づかせたいものです。」
真意は、
「お宅のお子さんは忘れ物が酷くて困ってます。
上靴は洗って来ないわ、
机の中にカビパンがあるわ、
宿題も忘れたと言う。
さらに、友達とよく喧嘩をし困っている。
家庭教育をしっかりして!」
ってなもんだろう。
実際、同業者であった真愛も同じように,教務主任や教頭・校長に添削された。
厚洋さんは、「教育技術」なんて雑誌に所見の書き方なんて原稿を書いていた。
素敵なママさんは、その言葉の裏や表をしっかり読み取り、更に我が子のありのままを認め、この一夏をどうするか、ちゃんと考えた。
しかし、真愛のように通知表を読んで怒り、見栄と体裁で一夏の計画を立て、3日間だけは勉強を教える。
生活習慣も見直し、「ああしろ、こうしろ。」と口うるさく言う。
3日間である。
その後は、自分の学校の仕事にかまけて、あまり言わなくなる。
そして、夏の終わり茅蜩の声が我が家の裏手から聞こえる頃、
「拓、宿題は終わってるの?
自由研究は?工夫工作は?
課題図書ちゃんと読んである?」
なんて,ジタバタと思い出したように怒り始める。
あの怒りばなんだったのか。
本来ならば、世話をしてない母親である自分に対しての怒りなのに、子どもへの八つ当たりだ。
親がしっかりしていないから、中学校2年の頃「通知表」を無くした。
多分、部屋が汚かったので、強制的に掃除に入り、バンバンゴミを捨てたのだ。その中に紛れて大切なものも捨ててしまったのだろう。
今でも、再発行の印が押された通知表がある。
真愛の周りには、子育てをしながらも良いお母さん先生が沢山いた。
良いお母さん先生は、賢く時間を有効に使っていた。
真愛は、余分なところに力を入れ、思考の柔軟性もなく、学校の事しか考えられなかった。
それでも、長期休業開始3日間だけは、厄介な母親に戻った。
いや、長期休業末の3日間も体裁を繕うために母親になったのだ。
(それも小学校だけ、中学校・高校になると
口出し不可能になり、父親に頼んだ。)
可哀想だったのは息子である。
自分の部屋がなかった小三までは、息子も綺麗好きだった。祖母の家でも団地の我が家でも、しっかりと「片付け」が出来た。
狭い事と、大人の目の届くところが生活の場だったからだ。
ところが、小四から新しい家で自分の部屋をもらった。
初めは綺麗だったし、掃除も真愛がやった。
ところが、5年6年になった頃からだろうか、
「部屋の掃除は、僕がやる。
部屋に入らないで!」
と言われた。
厚洋さんも
「男だ。見られたくないもんだってある。
そっとしてやれ。」
と言う。
不安だったが、忙しさにかまけて「楽」をした。
確かに思春期の子の部屋には入らない方が良い。男であろうが、女であろうが、心身ともに悩みを抱えるのだから。
しかし、そこまでの間に「片付け方」を身につけさせておかないと、大変なことになる。
厚洋さんの綺麗好きも真愛の片付け魔も、全く遺伝しなかった。育ててくれた母には悪いが、「片付けられない」性格がしっかり育ってくれていた。
通知表に書かれた。
「身の回りが整理できない。」
「忘れ物が多い。」子なのである。
中学校一年生の時に息子が骨折をして入院した。その時に3年ぶりに部屋に入って驚いた。
床が見えないほどもので埋まっていた。
ベットの下も,机の上も物で溢れていた。
病院で「痛い,痛い」と唸っている息子に
「なんて汚い部屋なの。
変な本もあったし、何考えてんの?」
と、どやしつけ、厚洋さんに叱られた。
「いいだろう。男だ。突然だよな。」
と、そして言った。
「拓。いい本持ってるな。
俺のよりずっといい女がのってら。」
呆れて物が言えなかった。
しかし、厚洋さんが正しいかった。
人には見せたくないものがあるのだ。
また、見ない方が良いものもある。
子どもの人権を尊重するって事は、「心」をあるがまま認める事なんだと、今は思える。
その時は、怒りまくって捨てまくった。
ただ、厚洋さんがボソッと言ったのは、
「アイツに部屋を与えるのが早過ぎたな。」
と言う言葉だった。
子育ては、目配り・気配り・心配りだ。
生活の中で、「片付け」たら,気持ちがいい事を体験させ続ける事が必要だったのだ。
高校卒業と同時に東京で暮らし始めた息子の部屋に行ったのは、父親の厚洋さんだった。
男同士というより、息子を理解しあるがままを認められていた父親の方が、息子を苦しめなくて済む。
自分も傷つかなくて済むと思ったのだ。
だから、彼が何度も引っ越しても、一度も彼の部屋に行かない母親だった。
よく東京の出版社に出かける厚洋さんに
「ホテルじゃなくて、拓の部屋に
泊まればいいのに。」
と言ったことがある。
それに返って来た言葉は、
「あんな汚い部屋に寝られるか。」
だった。
その後も息子は、汚い部屋で過ごした。
が、仕事が安定して来た頃だろうか、携帯で撮った部屋の写真が送られて来た。
「モデルルーム」のように整った爽やかな空気感のある部屋の写真だった。
今、二児の娘のパパになった息子は、「綺麗好き」だ。
もちろん、良い嫁さんの影響もある。
可愛い孫達に、
「はい。もうお片づけ!
ほれ、これもしまってね。
えらいね。いい子だ。」
なんて言いながら、片付けさせている。
人はいつ変わるか分からない。
しかし、今の息子のように「子どもが片付け好き」になるために、小さいうちから声かけをすることは重要である。
自主的な片付け習慣を身に付けさせるためには、真愛のように「怒る」より「褒める」ことだ。
「片付けは良いものだ。」と感じさせることだ。
「片付けないとご飯は無いよ。」
「片付けないと連れて行かない。」
なんて、見返りのための片付けや「叱られない」ための片付けの嫌な面ばかりでは、ひとりになったら「片付け無い」。
「綺麗になったね。」
「気持ちいいねぇ。」
「パパもママも助かるよ。」
「ありがとう。」
「これ落ちたたら怪我したね。良かった。」
なんて片付ける意味まで言ってくれたら、最高に気分が良くなる。
「次も褒められちゃおう❣️」
って気持ちが刷り込まれる。
こうしてやってれば、息子に嫌な言葉を投げずに済んだと思う。
更に、息子の嫁さんが素晴らしい。
「片付け」を子どもに任せるのだ。
真愛のように任せっぱなしではなく、見守りながら…。
「そこの本棚にしまってね。ありがとう。」
「このオモチャは何処に入れるんだっけ?
出来たねえ。偉ーい。」
「Tちゃんは〇〇を片付けて。
Kちゃんは⬜︎をしまってね。ありがとう。」
一緒に片付けながら、褒めて刷り込んでいる。
更に、片付け易いように収納箱も工夫していた。
こんな母親だったら、息子の部屋にも行けたのかもしれない。
片付けられない大人がいる。
ゴミ屋敷にしてしまう人もいる。
何が原因だか分からないが、本人だって困っている人もいるだろう。
生きてる限り物を必要とし、その物の置き場所、収納場所が必要となる。
「片付けること」は、結構大切な行為だと思う。
厚洋さんが言うように
「片付けが面倒なら、物はない方がいい。」
厚洋さんが逝ってしまった今でも、我が家は整然としている。
寝る時には、「真愛が死んでも、この部屋に誰かが入って来た時、【綺麗な部屋だ】と言われるように」と片付けてベットに入る。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります