松の根は岩を砕いて
冬至が過ぎ、お正月準備が近づくと、様々な店先に松の枝が置かれる。
日本の良き風習としての正月飾りに欠かせない縁起物の松竹梅・最高位の松である。
我が家が新築の頃。植木屋さんに頂いた「門被りの松」は、それはそれは見事な松で、その松を潜って上がってくる階段は厚洋さんの自慢だった。
しかし、今からに20年ほど前に枯れてしまった。松食い虫に侵されていたと言う。
それからは、毎年来てくれる植木屋さんも体を壊して来なくなり、庭木の手入れは真愛がすることになった。
と、言っても手の届くところだけを摘んでいたので、現在の我が家は手入れの行き届かない「雑木林になってしまった。
見事な松の後には、我が町の木「三葉躑躅」が大きく育っているが、その後買った松の木は何年経っても大きくならない。
仕方がなく今年も松を買おうと思う。
松の枝を見ると必ず歌ってしまう歌がある。
松の根は岩を砕いて伸び、生きて行く。
真愛が小学校の頃のドラマの主題歌だった気がする。
白黒テレビで見ていたのか、再々放送で見たのかよく覚えていないが、松を見るたびにそのメロディは真愛について回った。
「次郎物語」
そのドラマ自体がいじめられて辛い思いをする少年の話だから、真愛と重ね合わせて、「頑張れ。いつかは…。」って思ったのかもしれない。
結婚して幸せになっても、松を見ると思い出した。
愛しい人が逝ってしま一人になってからは、より多く思い出す。
「次郎物語」は『愛の枯渇の切なさ】もテーマなのだろう。
次郎は母親の乳の出が悪く乳母に預けられる。
幼児が優しい乳母に懐くのは極当然のこと。
実家に無理やり戻されても馴染めないのも当然のこと。
当時の家長制の中で祖母に疎まれた二郎は、悪戯し放題の悪タレ小僧になる。
小さな生き物を殺したり、お兄さんの教科書を便所に捨てたりする。
まるで、新美南吉の「ごんぎつね」のごんちゃんである。独りぼっちのごんは、菜種殻に火をつけたり、芋を盗んだり…。
余談であるが、冬至や端午になると思い出すお風呂の話「ごんぎつね!」の話を残しておきたい。
体育人であった厚洋さんが国語の授業研究会のために指導案を書いていた時のことだ。
教材は「ごんぎつね」。
当時の一般的な赤刷りと呼ばれる教師の虎の巻では、この教材のテーマは「人と獣では、分かり合えない世の無常」だったと記されていた記憶がある。
厚洋さんは、それに納得がいかず、何日も悩んでいた。
指導案原稿に向かって、何度も書き直し、晩酌をしながらも、トイレでも考えていたのだ。
結婚して間もない頃だったので、
「教員としては素晴らしいがこだわりの強い人」だと思った。(自分に似てるとも思った。)
2週間ほど続いただろうか。
突然、お風呂場から厚洋さんが怒鳴った
「おい、かみ!」
鼻血でも出したかと驚いてティッシュを持っていくと、
「馬鹿野郎!かみだよ。
鉛筆と紙!
早くしろ忘れちゃうだろう!
愛の枯渇だ。愛が欲しかったのだ。
愛する対象が出来たんだ。
幸せだったんだ。
愛の枯渇だ。」
ごんぎつねのテーマは、【愛の枯渇である】と記すようになった。
新美南吉が母親の愛を求めた切なさをごんという主人公を使って表現したのだ。
真愛も当然そのテーマであると今でも思っている。
「分かり合えない世の無常」より、
【愛しさゆえの悲しい結末、それは幸せ】
がいい。
このnoteを書くようになり、あの時の厚洋さんの怒鳴り声が思い出される。
いい文章表現が浮かぶのだが、プールにいたり、運転中だったり手が離せないことが多い。
家に帰って、さて何だったかとメモをしようにも全く思い出せない。繰り返し繰り返し文章を声に出して言っても忘れてしまう。
頭の中のメモリーを再生できるアプリが欲しい。
(この事もずっと書きたくて、
何ヶ月も溜めていた事だ。)
さて、本題に戻る。
松と次郎物語と歌の話だ。
次郎は全ての人から疎まれていたわけではない。彼の父親が素晴らしかった。
次郎のことを思い、様々に諭す言葉がある。
それが、「この松を…。」なのだ。
自分がしなければならないことは、どんなに辛くても、苦しくても、最後までやらなければいけない。その力こそがお前の宝になるのだ。
そんな感じの言葉だった気がする。
次郎は、母親の愛の深さをその死の直前に理解する。ごんと同じだと思う。
いろいろな困難や、今風に言えば、周囲からのいじめにもめげず、逞しく成長していく少年を描いたドラマ。
最近岩を砕いて生きている松どころか、「松」が聳え立つ所を見ていない。
霜が降りた田圃から、白鳥が飛び立つところも見ていない。
辛うじて、凍た手に息を吹きかけながら、オリオンを見上げ、北極星が小さく瞬いているのは見られた。
年を経て、時代が変わり、自然が変わり、愛の形が変わってしまっても、きっと普遍なものがあるはずである。