お父ん似
父の日前夜の息子のLINEで、ガンダムのプラモデルの完成写真が送られて来た。
母親の安否確認のため、毎日19:00の定期LINEを送る。
14日の夕方には
「女の人達は今日鎌倉に旅行に行きました笑
僕は家に帰ってプラモデル作ります!」
と送られて来た。
父親である厚洋さんも良くプラモデルを作っていた。彼の場合は、ガンプラではなくデァゴスティーニでチマチマと毎日作って楽しんでいた。
翌15日 夕方
「お母んプールから帰って来ました。
凄いプラモデルが届いていてびっくり、
一晩で作ったの?
細かい仕事上手なのは
お父ん似なのですね。笑。」
幾つのパーツがあるのかわからない結構なガンプラである。
(ガンプラ HGUC 1/144 機動戦士ガンダムUC RGM-96X ジェスタ)後で調べたらこれに似ていたが、色や雰囲気が違う。
彼は塗装をするので、自分なりのこだわりがあるのだろう。お母んは検索したガンダムより彼の作った方が気に入った。
「一晩で作ったの?」
「うん、昨日徹夜した笑」
と返信された。
大笑いである。
親子である。
遺伝である。
明日は父の日。
厚洋さんに知らせなくっちゃ❣️
息子が生まれた明け方、厚洋さんはプラモデルを作っていた。
子どもが生まれたら見せるのだと言って、牛が売られていく🎶ドナドナ🎶のようなレトロな家畜運搬車を作っていた。
出産する時には、旦那様が病院の待合室でウロウロと心配そうに待っている姿を想像していたのだが、厚洋さんはお酒を飲んで、プラモデルを作っていた。
真愛の想像は、テレビからの影響だったのでそれを彼に押し付けてもいけないので、言わなかったのがいけない。
今は、出産時に彼が手を握り、一緒に励ましてくれるという。ちょっと羨ましいが、ちょっと恥ずかしい。
我が家の場合は、母が産院に付き添ってくれて、出産時は医師と看護師がついてくれた。
母が産室の前でウロウロしたのだろうなあ。
厚洋さんは、プラモデルを作っていた。
人が死ぬ思いで苦しんでいる間…。
母は、生まれてすぐに厚洋さんに電話をかけた。
「良かった。
ありがとうございます。
俺、呑んでて行けないので、
明日行きます。
真愛にお疲れ様と伝えてください。」
「お疲れ様!」って!
翌日、厚洋さんに向かって、ブンブン怒りながら
「普通は違うでしょ!
産んでくれてありがとうって
花束とプレゼント持ってくるでしょう?」
「すまん。
初めてなもんで…。」
ちょっと懲らしめたが、心配した彼は寝られずお酒を飲みながら、プラモデルを徹夜で作っていたのだ。
もちろん、生まれてくる子が男の子だとはわからないのに「車のプラモデル」なのである。
そのプラモデルは、息子が一歳になる前に息子にぶち壊された。
厚洋さんの名誉のために記しておく。
初めて自分の子を産んでくれた真愛に
「俺の子、産んでくれてありがとう。
お疲れ様!」
と薔薇の花束とネックレスをプレゼントしてくれたのは、息子を連れて退院をした日だった。
厚洋さんはなかなかのロマンチストなので、そういうシュチュエーションは、ちゃんと真愛の希望通りにしてくれた。
後で聞いた話だが、息子が生まれた時、直ぐに病院に「プラモデル」をプレゼントに届けたかったそうだ。
(生まれてくる子への最初のプレゼントは、
俺が作ったものを俺が渡す!)
のが夢だったそうだ。
考えてみれば、結婚してから子どもが産まれるまで、「プラモデル」なんて作ったことがない。
小さい頃の趣味ではあったが、真愛の前で作っているのを見たことがない。
出産に対する彼なりの思いが「プラモデル」それも「牛さん🐃付きの車」だったのだ。
遊び人と言われていた厚洋さんが、とんでもない「子煩悩」になり、息子を溺愛し、素敵な父親に変身を遂げたのは、息子のお陰である。
亭主関白だったのが、本来の料理上手・裁縫上手・洗濯上手・子育て上手のパパになったのも息子のお陰だと思う。
言い返せば、真愛の仕事を手伝ってくれて、自由にさせてくれて、応援してくれて、愛してくれていたからだということなのだ。
プラモデル。
何かを作り上げること。
その過程で、たくさんのことを考えながら進める。
息子も親父もプラモデルを作りながら
「哲学」の時間を過ごしていたのだ。
作り上げた時の達成感を互いに話し合いながら、父の日に酒を酌み交わすことが出来たら最も幸せだったのかもしれない。
厚洋さんの思いの全てを伝えることはできないが、息子を授かった幸せをここに記す。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります