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紅葉狩り

 ボランティア活動をしているところで、親しくなったRさんと着物を着て「紅葉狩り」に行こうということになった。
 そんな話を聞いていたIさんが、我が街の紅葉情報を教えてくださった。
「黄葉の場所です。」
 見事な銀杏の木が一本入った素晴らしい情景だった。

黄葉

 無知な真愛は初めて「黄葉」も「もみじ」というのだと知った。
 万葉集の歌に詠まれる「もみじ」は、「黄葉」と書かれているものが圧倒的で、「紅葉」はごくわずかなのだ。
 その理由として、「奈良時代には黄色く色づくものが注目されたためだ」という。

ー 秋山に落つる黄葉(もみちば)しましくは
   な散り乱ひそ 妹があたり見む ー

 秋山尓 落黄葉 須臾者 勿散乱曽 妹之當将見
 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の歌である。
 意味としては、秋山に落ちる黄葉よ、しばらくは散らないで。妻が居る方をもう少し見ていたいから…。
 この歌は、柿本人麻呂が石見の国から妻と別れて都に旅立ったときの歌(反歌)の一つ。
 厚洋さんが読んでいた梅原猛さんの「水底の歌」は柿本人麻呂のこと、随分、人麻呂さんの話を聞かされたが、「黄葉」については聞かなかった。
(余談・梅原猛さんの「隠された十字架」って 
 いう聖徳太子の話も面白かった。)
 本の読み方もどこに心奪われて読むかで、気づかない事が多いと思いながら、奈良時代にもみじは「黄葉」だったのだと初めて知った。

 さて、真愛達が計画したのは、「紅葉狩り」であって「いろは紅葉」の赤い色づきを見たいと思っている。
ー 奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 
   声聞くときぞ 秋は悲しき ー
 猿丸太夫の歌があるがこれは、人麻呂が生きていた説をもつ歌である。

我が家の紅葉

 ここまで書いてきて、紅葉を観に行くのに
何故「紅葉狩り」と言うの?
 何もとらないのに「狩る」というのは?
 雑学博士に聞いた気もするが、覚えていない。仕方がないので調べてみた。

「狩り」の意味は、獣を捕まえること。
 しかし、それが時の流れとともに、小さい動物や野鳥を捕まえる「捕る」という意味にも広がったそうだ。
 更に、果物などを「採る」という意味でも使われるようになったという。
 確かに、「いちご狩り」「みかん狩り」
「ぶどう狩り」という言葉にも「狩る」が使われる。
 栗は拾う。 桜は見る。 梅は探す。
 日本人って面白いね。

「狩り」の理由には、長い時の流れとカッコつけマンの貴族の考えがあったようだ。

 まず、紅葉や黄葉(もみち)という言葉は「万葉集」に記載されているので、いにしえ人もその美しさを楽しんでいたのは確かであるが、奈良時代は紅葉を眺めに行くことが行事としては定着していなかった。
 観に行くようになったのは、平安時代。
 平安時代は邸宅内に桜やうめなどは植えられたが、紅葉は山へ出掛けていかなければなら見られなかった。
 そこで、貴族は紅葉を楽しむためには、山や渓谷に足を運ぶ必要があった。
 ところが、当時の貴族にとって歩くことは「下品な行為」とされており、そのため、紅葉を見に出かけることを「狩り」に見立てるようになったそうだ。

 現在の紅葉狩りは、紅葉を眺めるだけだが、平安時代の貴族たちは紅葉を求めて遠くに行くのだから、真っ赤に染まったもみじの木を手折り、実際に手に取っていただろう。
 更に行けなかった好きな人には、その枝に歌でも結んで贈ったのかもしれない。
 つまり当時の紅葉狩りは実際に紅葉を採っていたという事だ。
 要するに、「狩り」が紅葉や草花を愛でる意味になったのは、狩猟をしない貴族が使ったからなのだ。
 やりたい事を「言葉」を変えてやる!
「お坊さんが飲んではいけないお酒を
 般若湯。
 食べてはならない鰹節は、牛の角。
 草鞋なんて、牛肉の事。
 食べてたんだぜ。言葉を変えてね。
 人はみんなずる賢いよ。」
と笑って話してくれた。
「口にしてはならない四つ足の兎の肉を
 鳥に見立てて、一羽って言うのも…。
 言葉を操り、「悪いなぁ!」と思いながらも
 やってしまう自分を安心させる。
 そんな人間が好きだな。」
と言った言葉が好きだった。
 なんだか、真愛のやる事を許してくれているようでよく覚えている。

 しかし、「歩くのは下品」だったというのは知らなかった。さぞかし、糖尿病とか成人病とかで哀れな姿をしていたのだろうなと思う。
 さて、紅葉狩りを本格的に楽しむようになったのは室町時代以降。
 実際に豊臣秀吉は秋に醍醐で紅葉狩りを開こうと計画していたという。派手好きな彼らしい。
 江戸時代になると紅葉狩りは庶民の間でも人気になる。
 今のような紅葉狩りが世間一般に広まったのは江戸時代中期。
 伊勢神宮へお参りする伊勢講や熊野詣などの影響で庶民の間でも旅をする事が流行ったからだ。
 何と紅葉の名所のガイドブックも出たらしい。紅葉の木の下に幕を張り、お弁当やお酒を持ち込んでワイワイ…。
   お花見と同じだ。

いつもの道

「黄葉」「紅葉狩り」知らなかったことが分かりちょっと厚洋さんに自慢したくなった。
 紅葉の頃になると日没も早く、飲みに出かけた彼を迎えに行って帰って来る頃には、オリオン座が舞い上がって来る。
「オリオン座が出てくると、大熊座と小熊座は 
 狩りで殺されちゃうだろう?
 だから、その血が降って紅葉になるんだ。」
と話してくれるが、厚洋さんはオリオン座が何処にあるか分からず、真愛が教えた。
「お前。よく分かるな?
 あんな点だらけの空なのに!」
って褒めてもらったのもこの季節だ。
 日本にも同じような伝説がある。

 紅葉伝説は平安時代の話。
 紅葉って名前の美しい女の人が京都でどこかの殿様の正妻さんにお仕えするのだが、そこの殿様に愛されて側女になる。
 紅葉が殿様の子どもを身籠ると同時に正妻さんが病気になり、その原因が「紅葉さんの呪詛」だと言われる。
 紅葉は京から鬼無里(きなさ)に追放されるが、紅葉は京への想いを断ち切ることができず、京へ戻るお金を集めるために村を荒らすようになる。
 紅葉は「鬼女」と呼ばれるようになり、その噂を聞いた朝廷が征伐する。
 その時の血が鮮やかな色に葉を変えるのだそうだ。
 そうそう、紅葉を「もみじ」と読むようになったのは染め物の「揉み出づ(もみいづ)」が語源だそうで、紅花染めにはベニバナの花びらを使うそうだが、この花びらには紅色と黄色の色素が含まれていて、最初に真水で揉むことで黄色い色素を揉み出すことができ、次にアルカリ性の灰汁(あく)に浸して揉むとその色は一気に紅へと変化するそうだ。
 ベニバナの花びらが黄色や紅に変化する様が秋の樹木と似ていることから「揉み出づ(もみいづ)→紅葉(もみじ)」になったという。

紅葉狩り

 我が街の最高のスポット「九十九谷」の絶景にイロハモミジの鮮やかな紅が…。
 「和装で紅葉狩り」も素敵なイベントだと思う。
 お天気だけが心配!

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります