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子育てパニック勿体無い!

 お正月も3日になると朝ごはんはいつもの朝食に戻りたい。厚洋さんは、2日目から
「俺が朝ごはん作るから…。
   真愛は寝てろ!
 寝正月も朝からしていいぞ!」
と、いつもの朝食を作ってくれた。
 白いご飯・お味噌汁・鮭の塩焼き
 ほうれん草のお浸し・納豆・焼き海苔。
 暮からずっとお節料理をつくっていたので、甘塩っぱい味に飽き飽きしていた頃なので、彼の朝食は嬉しかった。  
 しかし、真愛が自分で作ったお節も残っている。そうなると、
「真愛は、お節も食べるわ。
 残ったら勿体無いもの!」
「金平は夜のつまみで食べるぞ。
 来年からは、もっと少な目に作れよ。」
「うん。毎年思うんだけど…。」
「お前さ!
 勿体無いっていうけど、残り物を全部食べて
 太って服が入らないからって、新しい服買う
 のもっと勿体無いだろう?」
 真愛が残り物を「勿体無いから」と食べる事を良しとしなかった。

2023年のお節

 どうしても多めに作ってしまう真愛の今年のお節。
 写真の上の段と下の段の右端は、無理矢理息子一家に貰ってもらった。
 だから、本当に少量が真愛分のお節だ。それでも多い感じがする。

 厚洋さんが逝って一人になって暫くは、二人分を作ってしまって
「勿体無いから食べなくちゃ!」
と残飯整理をしては具合が悪くなって吐いていた。厚洋さんが言った言葉が頭をよぎった。
「もっと少な目に作れよ。」
なのである。
《捨てるのは勿体無い。》
 それは正しい事である。
 しかし、残ると分かっているなら、その分を少なくすれば残らないのである。
 勿体無いというのは「残さないように」「捨てないように」考えれば良い事である。
 残りのお節を食べながら考えた。
「勿体無い」って、確か日本だけの言葉で、それを誰か外国の方が世界に広めてくれたんじゃないかしら?
「日本の良さを知らない情けない日本人!」
と厚洋さんが言ったことだけ覚えている。

 そう!
 ワンガリ・マータイさんだ。
《MOTTAINAI(もったいない)》
私たちが普段意識するまでもなく使っている「もったいない」という言葉。
今から16年ほど前、この言葉に感銘を受けて「MOTTAINAI精神を多くの人に広めよう!」と言ってくれたのだ。
 マータイさんは環境分野で史上初のノーベル平和賞を受賞した。

マータイさんの活動は、真似ができないほどの徹底ぶり「私には出来ない。」と取り組まなかった真愛大変な私だったのだと思う。あまり覚えていないのは、そのせいだ。
 しかし、今の異常気象・気候変動・戦争をニュースで見る度にもっともだと思う考え方だ。《何も世界規模の環境保護活動をしなくても、
 身近なところに潜む「もったいない」
 を見つけることができれば、
 少しずつでも地球環境をより良い方向に
 変えていけるのではないでしょうか。》
という。

2022のお節

 私たちの暮らしに最も身近な「もったいない」としてまず挙げられるのは、何と言っても食品ロスである。
 農林水産省のデータによると、日本における2017年度の食品廃棄物は、なんと612万トンだそうだ。これは世界的に見ても多く、食品に高品質を求める日本の性質ゆえに招いてしまった結果だとも言われている。
 そこで、このnoteのマガジン「子育てパニック」に入れたいと思って、以下を書き始める。

 小さな子どもさんがいると必ず言う言葉があると思う。
「あら?どうしたの?
 残さず食べようね。」
 好きな物から食べ始めたら、残りは嫌いなものになる。それも満腹になってからでは、
「ご馳走様でした!」
となるだろう。
「なぜ残してはいけないの?」
と尋ねられたら
「アフリカの子は飢餓で死んでる。
 食べられるあなたは幸せ。」
と言ってやりたいが、絶対理解しないだろう。
「勿体無いから!」
と答えるのが1番いいと思った。
「勿体無い!」は、もともと仏教の言葉で、命の大切さを伝える言葉なのだそうだ。
「食べ物はみんな生きていた物の命。
 私たちは命を頂いて生きている。
 命を貰って自分の命を繋いでいるのだから、
 命に感謝して頂く。
 残して捨てるなんて、命を無駄にすること。
 だから、食べ物を残すなんて勿体無い!」 
 
 ここまで書いてきて思い出した。
 厚洋さんが教えてくれた給食指導の中に、
「頂きます。」
「ご馳走様でした。」
の意味をしっかりと教えるということ。
 以前のnoteにも書いたが、
「生きていた命を頂きます。
 そして、その命で別の命を育みます。」
「沢山の人たちの営みによって、
 この命をご馳走になりました。
 頂けたことに感謝し、
 この命で世の多くの人に感謝してもらえる人 
 になります。」
 小学校教員よりどこかの僧侶みたいな厚洋さんだった。真愛も彼に教えてもらった事を子どもに伝え、金子みすゞ氏の「大漁」の学習もし、家庭科で「残菜のでない料理」なんて授業をしたことがある。
・野菜の皮や茎の部分は捨てず丸ごと使い切る
 キャベツの芯やにんじんの葉っぱも使った。
・自分達が育てたジャガイモやピーマン人参を 
 使えば殆ど、大事に食べ切る。
・スーパーなどで買い物をする際、
 食材は腐らせず食べ切れる量だけ購入する
・食べきれない料理や食材は早めの段階で
 冷凍保存する。
「これをみんな一人一人が実践すれば、
 それだけで日本から排出される食品ロスの
 量を大幅に減らすことができるはず!」
と言ったはずなのに…。
 年と共に世の中の流れにしっかり流されて、大事な事を忘れていた。
「勿体無いから!」が、
「高価な物だったので…。」に変わりそうだった。
「勿体無い。」
「自然の恵みに感謝して、
      環境を大事にしよう!」
に戻さなくてはならない。
 更に物価高になったからではなく常に
《電気・水道の無駄遣い》もなくしたい。
 自然の恵みであり、地球環境を考えればのことである。
 使っていない部屋の電気を点けっぱなしにしていたり、水を水道から出しっぱなしにすることも、十分に「もったいないこと」だ。
「電気は使う時に使う部屋でしか点けない」「水道から水を出し過ぎない」といった当たり前だからこそついつい疎かになってしまう部分こそ徹底して習慣づけなければいけない。
 この物価高が収まったら、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」では困るのだ。
 あれ?コロナ対策についても「喉元過ぎれば熱さを忘れる」になっていないだろうか。
 政府が思うように
「経済を回したいから…。」って、個人も予防の手を緩めたら、また「別の何か」が起きそうな気がする。
 話がまた飛んでしまった。

和食

 お節も和食。
「和」って「違うものが出会って、違いが有っても一緒にいる事を楽しむ」という意味もあるのだ。
 相手を否定せず、受け入れて、尊重して、違いを楽しむことが出来れば、戦争なんて怒らないと思うのだが。
「和食」
「和の心」
「和の心は、敬う心」
「勿体無いは和の心。
 勿体無いないは敬う心なんだ。」

 結論。
 一人暮らしの真愛は、食べ切れるだけの量
(食べ過ぎない健康に良い量)を上手に作ることが大事。
 そんな料理を考えればボケることも遅くなると思う。
「子育てパニック」ではなく、
「真愛ちゃんパニック」のまとめになってしまった。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります