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竹が奏でる

「竹が奏でる」と検索すると、「竹笛」「笙」
「尺八」などの楽器の画像が現れる。
 竹自身が光と風とともに奏でる音楽は、竹林に一人で降り立たなくてはなかなか感じられない。
 いにしえ人が竹から新たな音を生み出したのは、あの節があってその節の中が空洞になってるいたからで、木しか存在しなかったら…。
 空しさも豊かさも持ち合わせた竹が存在したことによって、真愛は今日、また素晴らしいものと巡り合うことができた。

房総楽竹団 opening

「房総楽竹団 竹に生きる」という演奏会で巡り会ったのだ。
「房総楽竹団」については、この夏三船山の麓での演奏を聴いたのが最初だった。
 小学校の音楽鑑賞の中で世界の音楽という単元がある。
 その中で「ケチャ」というインドネシアの音楽を聴くのだが、その曲を演奏してくれた。
 竹の楽器で!
 懐かしさもあった。
 いつの6年生も「ケチャ」のリズムに直ぐ乗り、何も説明しなくても十分に楽しんだ。
 それもそのはず、ケチャは民族舞踊なのだからである。
 チャッ、チャッ、チャッ、チャッという合唱とともに大勢で円陣を組んで踊るバリ島のユニークなダンス。
 ほかの国では決して見ることのできない、 バリ島独自の民族舞踊である。人間はリズムと一緒に生きて来たので、遠いどこかの地点でそのリズムを感じているのだろう。
 円陣は50人から多いときは100人に及び、会場に響き渡るリズミカルな男声合唱はなんとも神秘的でダイナミックで映像がなくてもその姿が想像できた。
 鑑賞学習が終わり音楽室から帰る子ども達が
♪チャッ、チャッ、チャッ、チャッ♪
と踊りながら帰る姿も忘れられない。
 山の麓で演奏した事もあって、竹の音は宇宙に吸い込まれ爽やかに聴き終えた気がする。

三船山の麓で

 この「房総楽竹団」を元々知っていたわけでは無い。
 日本語教室のボランティア活動で知り合ったFさんがなかなかの音楽家でサックスを吹かれるというので今年の夏に三船山の麓でのジャスコンを聴きに行った。
 サックスの魅力もあり、Fさんの魅力もあり
「今度、竹の楽器での演奏会があります。
 いらっしゃいますか?」
のお誘いに出向いて知った「房総楽竹団」だった。
 当然、今回のお誘いもFさんから…。

房総楽竹団

 素晴らしかった。
 夏の時とは別の竹の魅力と音楽の魅力を感じた。
 夏は野外だったが、今回は富津の葬祭場
“和葬空間か志゛屋”さんが、コンサート会場だった。
 愛しい人を亡くした想いに応えるように柔らかく響く音響が、竹の空洞に命を蘇らせるような感じがした。
(こんなに竹の音って、いい音なんだ!)
 思わず泣きそうになった。
 空洞といっても、そこには必ず命の支える空気がある。
 目には見えないけれど、あるのだ。

竹のバイオリン
バンブリーナ 

 珍しい竹の楽器での演奏も素敵だった。
 彼らは、竹林に入って竹を伐り出す作業から始めるそうだ。
 この節で、この長さで、この太さで、この触り心地だから🎶な音が出るのだろうと考えながら、たくさん伐るのだろう。
 そして、楽器を制作する。 
 まさに、いにしえ人が行った事である。
 更に
【房総に竹の音色を響かせたい!】
という素敵な思いを持って活動をしてくれている。
 我が家の直ぐ下を流れる小糸川の両岸には、山ほどの竹が茂っており、洪水災害の恐れもあり目の敵にされている。
 そんな竹達が羨ましがっているのだろうなと思う。姿を変えこんなに素晴らしい演奏家に奏でてもらえるのだから、何かを楽器にしてしまう事の素晴らしさである。

4歳に癒された
幼子の愛しさである
フル出演だった

 真愛がお婆さんになったからだろうか?老化
 小さな子が一生懸命に演奏していたり、素晴らしいリズム感覚でノリノリで演奏していたりすると硬い心が柔らかくなる。
 4歳の女の子が素晴らしかった。
「ファンになりました!」
と言ったら、ソッポを向かれてしまった。
(帰ってnoteを書きながら、井上道義氏とN響
 の演奏を聴いた。良い!良いものは良い!
 そして、良いものに共通する
「演奏する者がそれを好きである心が聞こえ
 る」事を感じた。)
 真愛を癒してくれた4歳の彼女からも
「好きだよ❣️竹の音って…。」
と聞こえて来そうだった。

sucks and bamboo  Mr.F

 Fさんとのご縁で、癒しのひとときを頂いた。
 なんと、プレゼントも頂いた。笑笑。

 present

 なんと、この「房総楽竹団」の団長さん長谷川友美さんは、真愛が勤務した山の学校。今はもう、閉校しまった大好きな「蔵玉小学校」にマリンバの演奏をしに来てくださった方だった。

人生を奏でる竹


 あれから、10年以上も経っている。
 奇跡の人とも出会え、
 子どもさん《あの4歳!》も生まれて
 しなやかに伸びて
 たくましく生きることこそが
 人生を奏でることなのかもしれない。

 気づいたら、
 厚洋さんの素数日1553日めの出会いだった。


ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります