法事法要 幸せ笑い
酷暑見舞いをLINEで送っているときに、馬酒!と画面に入ったのは、《読経が始まるや否や、走り回る子どもたち。謝罪するママの声。笑いをこらえる父。止まらない読経に、叫ぶ祖母…》というお知らせ文が入った。
あっ!
厚洋さんの新盆の時の我が家だ。
鮮やかに蘇った悲しみの中のお笑いの一幕。
愛しい人が残してくれた息子一家は、幸せを生み出す源泉だと思ったひと時だった。
それと同じことがどこでもあるんだなと思う話題だった。
まいどなニュースから
混沌とした法事に、
「祖父はあの世でニッコリだろうな」とつぶやいた現役僧侶の「ぜんG坊主」さん(@76together)の投稿が共感を呼んでいるそうだ。
ぜんG坊主さんによると、法事があったのは、夏休み最初の土曜日。
8畳ほどの和室に15人の親族が集い、うち5歳以下の子どもは8名。
読経開始2分で、一部の子どもがぜんG坊主さんの背中に当たりながら、走り回ったことで雰囲気は一変!
謝罪するママの声が飛び交う中、
パパは必死で笑いを堪えている様子。
読経が続く中、祖母が叫び…。
『親が拝めば子も拝む後姿の美しさ』
という言葉があるそうだ。大人の拝む姿を見て子供は育つ。
我が息子は、真愛の母に育てられたため、3歳ぐらいから道祖神を見るたびに手を合わせたり、野の花を摘んで供えていた。
一緒にお山にハイキングなんて行くと、息子の姿に夫婦揃って学ぶことがあった。
そんな息子だから、父親が亡くなってから我が家に娘を連れてくると、小さくても必ず
「おじいちゃんにナムナム〜。」
と、お仏壇の前で手を合わせる。
この記事の「ぜんG坊主」さんは、
「子供はうるさいから…と除け者にせず、
みんなで手を合わせ、亡き人や神仏に思い
を馳せる事が出来たなら、
それはとても素敵な事ですね」
とおっしゃる。
本当にそう思うし、あの夏の日もそうだった。
一年も経っていないので、真愛は悲しみの海に沈みそうになっていたのだが、
ご住職は、真愛の教え子さんで、息子の同級生。
御前様ではなく、まだ若住職である。
厚洋さんの菩提寺は北海道。
真愛の菩提寺は東京。
お葬儀の際に、お弔いをして頂くにはどなたが良いか考えたとき、ご縁の有るご住職様に。
と考えてお願いした。
若はやりにくかったと思う。
笑っちゃいけないのに、施主の…未亡人の真愛が笑っちゃいそうになる。
同級生の息子は、声を殺して笑っている。
父親の新盆の法要だというのに…。笑笑!
そのうち、真愛ばあちゃんのお膝に来たが、お数珠が気になる。
キラキラしていて素敵だったのだ。
じっとお数珠を見つめた後。
「そうだ、これは首にかけるものだ。」
と考えたらしく、頭を突っ込んで見たものの…。
まるで一休さんである。
「ふたわにしてくびにかける数珠」
手首に掛けるのではなくて、「二輪にして、首に掛ける数珠」なのだろう。
この動画を撮ったのは真愛ばあちゃんである。
おかしくって笑いたくって、厚洋さんの事なんて思っていられなかった。
多分、厚洋さんも大笑いしていたと思う。
読経が終わる頃には、満足げにお数珠を腕にかけている孫がいた。
良い子である。
亡き夫と出会えて、息子を産ませてくれたからこそ、この愛しい孫がいるのである。
命とは、絶えてしまうものではなく、紡がれて繋がっていくものなのだ。
読経の後、家族中で笑いながら謝った事を思い出す。
その後の若住職様のお話もこの「ぜんG坊主」さんと同じようなお話をされ、
「おじいちゃんも仏様も
喜んでいらっしゃいます。
ご法事は参加する事に意義があり、
元気な子供が騒いで怒る仏様やご先祖さまは
おられないと思います」
父母を10代遡るだけでも
1024人ものご先祖様がおられます。
その1人でも欠けていたら、
今私達はここにいないのです。
そして、いずれ私達も此方から彼方の彼岸へ
向かわねばならないのですから…。
命とはそういうものなのでしょう。」
と。
8月は真愛の誕生月。
盂蘭盆会が来る。
亡き夫が笑いながら帰ってくる。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります