あら!あんな所に
あら!あんな あんな所に 合歓の花
ー満望ー
厚洋さんがひねった32年前の句だ。
山の中に家を建て、四方を木々に覆われていた頃の7月。
二階のベッドルームから見つけた「合歓の花」だった。
国語の勉強で「おじぎそう」の説明文の指導法について話し合ったときに
「道路の向こうに、でっかい「おじぎ草」が
あったぞ。「おじぎ草」ってあんなに大きく
なるのかな。」
と、厚洋さんが話していたのだ。
児童会行事のための竹取を終わらせた翌日。
眠いのに朝早く起こされた。
「真愛。見てみろ。あれ!
あれは、おじぎ草じゃなくて、(合歓の花)
って言うんだ。」
ピンク色のふわふわした鶏冠のような扇な花が咲いていた。
森の更に東から昇り始めた朝陽は、柔らかなピンク色で合歓の花と同じ色だった。
美しい情景だった事。
おじぎ草の花を牧野植物図鑑で調べたら、
「合歓の花」だった事。
この二つの発見に興奮した厚洋さんに真愛は、叩き起こされた。
しかし、「早起きは三文の得」と思うほど素晴らしい時間だった。
そのとき詠んだ句が
「あらあんな あんな所に 合歓の花」だ。
真愛は、
「なんだか、芭蕉の真似?
松島や ああ松島や 松島や
と同じでしょう?」
と、面白がったが、内心では真愛の見た瞬間の思いを詠ってくれていると思った。
真愛が「合歓の花」を描きたいと思ったのは、7年前。入会しても一年に一度しか行かなかったスポーツクラブに通い始めた7月。
天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)をお迎えして植樹祭を行った時に開通させた新道を通った時の事だ。
正しく
「あら、あんな あんな所に 合歓の花」だった。そして、思い出したのが「合歓の花」に関しての思い出だった。
・「合歓の花」を見つけた時に真愛は、厚洋さ
んに「皇后美智子様の(合歓木の子守唄)」
について話し、歌を歌った。
その頃は、まだ正田家後の公園にその木はあ
った。厚洋さんも真愛も美智子様のブァンだ
ったので「合歓木」と新道の横にあった事。
・真愛の教え子が「ねむの木学園」に勤めてい
て、宮城まり子さんの事をなんとなく近しい
人と思っていた事。吉行淳之介と同居し、良
きパートナーとして過ごしていた事。
・勿論。あの時の句が素敵だった事。
(素直に褒められたね。)
すると、
「取ってやろう。描きたいんだろう?」
と、二人で「花盗人」になったのだ。
その時描いた「合歓の花」だ。
今日は、彼が居ないので手も届かず、枝も掴めず、写真だけだった。
何があっても、時は流れ季節は巡る。
思い出は100年もしたら誰も覚えていないけれど、「合歓木は、花を咲かせ 実を結び 種を飛ばして生き続ける。」
「合歓」は、男女が共寝すること、喜びを共にすることを表す言葉だそうだ。
「合歓の木の葉」は、夜になると開いていたものが閉じてぴったりとつく。それは、男女が共寝する姿で有ると思われた。
不機嫌になった夫にネムの花を酒に入れて飲ませると、機嫌が良くなるという中国の伝説から、家族が仲良くなる、喜びを共にするという意味で「合歓」が用いられたと考えられる。
合歓の花は、甘い香りがし幸せのfragranceだ。
真愛も厚洋さんを思い出して甘く切ない思いになった。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります