子育てパニック 吃語
吃音症の人は100人に1人の割合で存在し、日本では約120万人、世界では約7000万人もいると言う。
現在では、その人そのものを指す「どもり」という言葉は差別用語になったが、そんな状態の人を前に奇異なものを見るような顔を見ると差別は無くなっていないと思う。
しかし、50年ほど前の新作落語の中で、三遊亭歌奴という噺家さんが「吃語の子の授業風景」を演じて結構な人気をとった。
山のあなた
カール・ブッセ
上田敏訳 『海潮音』より
山のあなたの空遠く
「幸さいはひ」住むと人のいふ。
噫ああ、われひとと尋とめゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸さいはひ」住むと人のいふ。
噺は、授業中にこの詩の朗読をさせるのだが、吃語の少年が
「やま、やま…。」と詰まってしまうのだ。
そして、オチは
「あなあな……。あなたもう寝ましょうよ。」
とちょっといやらしい言葉はスラスラと話してしまうところで、ーお辞儀ー
だったと思う。
真愛も落語が好きだったので、よくその話を聞いては笑ってるいた高校生だった。
(その噺家さんも元々吃語だったので、吃音
が治るかもしれないと先代の門を叩いたの
だそうだ。ネタにして笑い飛ばしてしまい
たいと思ったと思うと切ない。)
そうとも知らず、笑っていた真愛や観客。
とんでもない差別だらけの世の中だった。
今でも、笑いは人をこき下ろして、馬鹿にして笑っている様に思える。
「人の不幸は蜜の味」は変わっていないのが人間なのだろうか。
品格のある笑いとはなんだろう。
一昨日、真愛の大好きだった三遊亭円楽師匠が亡くなった。
(以前から好きだったが、不倫騒動の会見で、
記者からの質問に、
「円楽から“老いらく“の恋”に改名する」と笑い
を誘い、更に、取材陣から「今の心境は?」
と問われると
「今回の騒動とかけまして、東京湾を出て
行った船と解きます。
(その心は)コウカイの真っ最中です」と応え
た。その落語家魂が好きだった。
当然、厚洋さんも
「流石だ。浮気も芸の肥やし!」なんて言って
真愛に拗ねられて困っていたのを思い出す)
自虐ネタでも笑えるが、根本的に卑屈な辛さを笑いにすり替えているような気がする。
真愛自身、自虐ネタで笑いを取る傾向にあると思う。その時の自分は誤魔化しの中にいる…。
話が外れてしまったが、自虐ネタが売れる時代になったし、差別問題が取り上げられるので「吃語」を笑う人は少なくなったと思う。
真愛が教員なりたての頃には、自分のクラスにも吃語症の子どもがいた。
クラスの子どもたちは、真愛が怖くてその子を笑いものにする姿は見られなかったが、心の中では、あの落語家さんが演じていたクラスメイトのように笑っていたのだろうと思うと、指導不足を恥いるばかりである。
市役所の一階で吃語の方が、一生懸命に届出の書き方を質問していた。
暫くそんな場面を目にしていなかってので、吃語症について、最近ではそういう方が少なくなったのだと思っていた。
しかし、現在でも、吃音症の人は100人に1人の割合で存在し、日本では約120万人、世界では約7000万人もいると言う事を知った。
吃音は、
・最初の語を繰り返す「連発」
(ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは)と、
・最初の言葉を引き伸ばす「伸発」
(ぼ―――くは)と、
・言葉が強制的に発話阻害される「難発」(………ぼくは)の三種類があるそうだ。
真愛が担任したM君は「連発」だった。
知識のない真愛は、彼に
「ゆっくりでいいのよ。」
と背中に手を置いて話させることしかできなかった。言語障害という言葉も知名度が低く、ましてや、病院なんてなかった気がする。
何年か前に、厚洋さんと映画
「英国王のスピーチ」というのを見た。
イギリスの王様の話だ。
ジョージは幼い頃から吃音症の悩みを抱えていた。大勢の国民の前でのスピーチはもとより、家族と話すときでさえどもって話してしまうのだ。
妻エリザベス妃はこのジョージの症状を心配し、言語協会が推薦する言語療法士ライオネル氏の元を訪ね、治療を始める。
ライオネルの治療法は驚く方法ばかりで、
ヘッドフォンをして、音読した声をレコードに録音したり、言いたいことは歌いながら発したり、時には汚い言葉を叫んだり。
ジョージの症状は次第に良くなっていく。
そんな時、ジョージの兄、エドワード8世は離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリスと結婚すると言い出す。ジョージはこれに反対し、その旨をライオネルに話すと、ライオネルはジョージが王位を継ぐべきだと言うのだ。
ライオネル氏は、ジョージの「王としての能力」を感じていたのだ。しかし、
ジョージは「兄の代わりはごめんだ」と激怒し、ライオネルの元に通うのをやめてしまう。
1936年に国王が逝去し、エドワードが即位するが、その一年後エドワードはウォリスと結婚するため、王位をジョージに譲ってしまう。
王になったジョージは王位継承スピーチに失敗。
ジョージはライオネルに謝罪して和解し、再びライオネルと特訓に励むことになる。
その頃、ヒトラー率いるナチスはイギリスに開戦宣言し、ジョージは国民を元気つけるスピーチをすることになる。
このシーンが感動的である。
ライオネルはジョージの側に付き、ジョージのスピーチ中も励す。
もちろん、ジョージのスピーチは
「イギリス国民を励ました世紀のスピーチ」
として大成功し、ジョージとエリザベス妃はイギリス国民の大歓声に包まれるというお話。
実際にあったことだそうだ。
厚洋さんに馬鹿にされながら、隣でオイオイと泣きながら見ていた真愛だった。
苦しく辛い日々でも、支え合ってその中から立ち上がる姿は、見ているものを感動させる。
流石の厚洋さんもウルッとしていた。
しかし、こんな感動話でハッピーエンドの生活をしている人ばかりではない。
現在でも、吃音症の人は100人に1人の割合で存在し、日本では約120万人、世界では約7000万人もいるのだ。
アメリカのバイデン大統領も吃音に悩んでいてそうだ。
近年、吃音をめぐる状況に変化が生じているのは良いことである。
『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』
(押見修造、太田出版、2012年)という吃音のある女子高校生を描いた漫画もあり、吃音症のある人が、自分の名前を言うときに強制的に発話阻害されることが細かく描写されているし、吃音症のある人の悩みに共感の輪が広がって2018年には映画化された。
少しではあるが、その辛さを理解してもらえるようになったのだ。
しかし、真愛のようにいまだに無知のままのお馬鹿さんもいる。
さて、子どもの吃語。
いや、まだ言葉もはっきり言えない子どもが、すっと話せないのは当然なことなのだが、吃音が起こり始める2歳から5歳の子について、勉強したいと思う。
吃音が起こり始める事を「発吃」といい、2歳から5歳頃に突然、もしくは徐々に現れるそうだ。小中学生や成人になって発吃する場合もあるそうだ。
現れ方は、前述の「連発」が最も多いそうだ。発吃した子どもの8割は小学校入学前に消えるが、残りの2割の子どもさんは辛い思いをするのだ。
当然、親御さんも辛い。
今までは、吃音が起こる原因は、不安やストレスを抱えているからと思われていたのだが、現在では、脳のある働きによって引き起こされる現象のため発達障害の一つであるとされている。
吃音は、人と話そうと構えた時に出る。
動物や赤ちゃんに声をかけたり、真似をしていったり、歌を歌ったり、独り言を言うときにはほとんど出ない。
誰かに聞かれているとでる。
また、出る時とできない時の波がある。
治ったと思っても年単位で再発のように出ることもあるそうだ。
親御さんは、治ったものがまた出ると何かあったのかもしれないと原因を考えてしまうようだが、専門家は、吃音が多い時は悪い状態、少ない時は良い状態というわけではないと言う。
たんに多く出るときの波が来たと考えた方が良いようだ。
また、吃音がある子どもは話すのが苦手でも下手でもなく、また、子ども自身常に困っているわけでもないという。
吃音のある子が吃音を伴って話すことは実に自然なことなのだ。
障害者を見て「可哀想」と思ってしまう事こそ、真愛の偏見である。
どの子にも、安心して話せる「配慮と支援」が大事という。
吃音の治し方は今でもはっきりしていないそうだが、はっきりしているのは「吃音を出さないようにする事で悪化する」と言う事である。
最初に出た「連発」
「こここれ、あげる。」を聞いた周りの者が
「ゆっくり話そうね。」なんて言い直しをさせたりすると自分の話し方に意識を向けていまい、直そうと
「こーれ、あげる。」と「伸発」になる。
それを聞いて、
「あら?何故伸ばすの?」なんて言われると、
伸ばさないように構えてから、(せーの)
「・・・これあげる。」と話す。
周りの者は吃音が無くなったと思う。
しかし、この話し方を続けていると慣れによって気が緩み、再び連発がで始めてしまう。
すると「もっと気をつけないと」と思い更に体に力を入れてしまう「難発」へと悪化するのだそうだ。
周囲の理解が足らないためである。
真愛の知識があったら、M君が構えなくても済んだのかもしれない。
吃音を伴いながら話し続けていく過程で、別の言葉に言い換えて言おうとすることも出てくる。
『言い換えて話す』ということは、本人がとても苦しく感じている。言い換えは真実ではないように思うのだ。そんな自分に対して自尊感情を低くし、話す立場を避ける「回避」が加わると「二次障がい」となる。
悪化を防ぐ方法
🟠その子にとっての自然な吃音をそのまま
安心して出せる環境を家庭・園・学校等で
作っていうこと。
🟠本人・周囲の人達が吃音悪化予防について
理解すること、協力してもらうこと。
🟠吃音の特徴・波・悪化の過程をきちんと
伝えること。その上で本人の気持ちを
しっかり聞くこと。
🟠親の一貫した考えを子どもに伝えること。
🟠自然な吃音を伴いながら話すことで
悪化するだけではなく、コントロールも
できるようになる。
吃音を隠すためだけではなく、話したい・
伝えたいと思える「話せる環境」を保障する
こと。
吃語症の方だけでなく、どんな人でも
「安心して話せる配慮と支援」は、大切なのだ。
先日書いた「待つ」ことも、
「思いやる」ことも…。
ただ、相手の心的、身体的状況を正しく理解していないと「思いやり」にはならないということだ。
真愛の話し相手が、心の「悪化」へ進まないように心したいものだ。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります