お稲荷さん
今日は、厚洋さんの命日。
彼が大好きだった?お稲荷さんを作った。
大腸癌で全身転移し、食べられないはずなのに真愛の手作り料理なら食べてくれた。(きっと無理して食べてくれたのかもしれないと思う)
入院直後は、「真愛と一緒じゃないと入院しない。」と駄々を捏ねたので24時間の付き添いだった。だから、手料理なんて作れないどころか、自分自身の食事もとれなかった。
落ち着いて来ると「病院食は、嫌だ。お稲荷さんが食べたい。」と言う。
急いでコンビニに行って「助六」を買って食べさせると「お前のお稲荷さんがいい。」と言って困らせた。
彼が真愛のお稲荷さんを初めて食べたのは、まだ、付き合う前のことだ。
厚洋さんは真愛の教育実習の時の指導教官と同学年の先生で体育の指導教官だった。大失敗した精錬授業の後、長い手紙に「いい教師になると思う。応援するから頑張れ」と書いてくれた先生だった。
教員になる気がなかった真愛は、その日から夢中で試験勉強をして採用試験を受けた。
翌年、彼の友達のいる学校に赴任しその友達にも妹のように可愛がってもらった。
お稲荷さんのお弁当を持って行ったのは、市の体育祭のときだった。参加者にはお弁当が支給されるなんて知らなかった真愛は、彼のお友達のために一生懸命作ったのだ。
「おっ!旨そうだな。」と何個も食べた彼は、
「料理も出来るんだ⁈」と馬鹿にしながら笑った。きっと「こいつなら、旨い手料理が食べられる。」と思ったのかもしれないが、真愛は期待外れだった。
結婚してから真愛は、厚洋さんに沢山の料理を教わり、美味しいものを食べに連れて行って貰いその味を覚え作った。今では、「料理上手」と言える。
食通を気取っていた厚洋さんが、真愛のお稲荷さんには文句を言わなかった。
病気が進行し「全がゆ」になっても「真愛のお稲荷さん」を食べたがったので、稲荷揚げを煮てそれをすり潰して食べさせた。
「美味しい。」と言ってくれた厚洋さんのちょっと笑った顔が忘れられない。
だから、命日にはお稲荷さんを作る。
今日は、風邪を引いたらしくキッチンに立つのは辛かったけど頑張った。
作りながら、「風邪薬飲む前にちゃんと胃の中に優しいもの入れるんだぞ。」って厚洋さんの声を聞いた。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります