最後の砦
「えー!
やばーい!」
「マジヤバ!」
って、50代後半と思しきお母さんと30代後半の娘さんの会話である。
昔むかし、清少納言が言ったそうだ。
【何事も、古き世のみぞ慕はしき。
今樣は、無下に卑しくこそなり行くめれ。
かの木の道の匠のつくれる美しき器ものも、
古代の姿こそをかしと見ゆれ。
文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。
たゞいふ詞も、口惜しうこそなりもて行く
なれ。
古いにしえは、「車もたげよ」「火掲げよ」
とこそいひしを、
今様の人は、「もてあげよ」「かきあげよ」
といふ。
[主殿寮人数立て」といふべきを、
「立明し白くせよ。」と言ひ、
最勝講なるをば、「御講の廬ろ」とこそいふ
べきを、「講廬(こうろ)」と言ふ、
口をしとぞ、古き人の仰せられし。】
《どんな事でも、昔が懐かしく思えのよね。
今は、やたらと下品になって行くようで、
いやんなっちゃう!
あの木工師の造った美しい什器も、
古代の姿の方が風情があって良いわよね。
手紙の言葉も素敵。
昔の人の書き損じたものだって素晴らしい。
いまは、日常の話言葉も情けないわ。
昔は、「車もたげよ」「火掲げよ」
と言っていたのが、
今は、「もてあげよ」「かきあげよ」
と言う。
「主殿寮人数とのもりょう・にんじゅだて」
と言うべきところを、
「立明し白くせよ」と言い、
「御講の廬ろ」と言うべきところを、
「講廬」と言う。
残念だと古老が仰った。
分かるわぁ。最近の人はねぇー!
清少納言の時代から
「最近の言葉遣いは変よ!」
って言われていたのだから、言葉の変遷と押さえて仕方がないと思うしかないのだろうか。
「最近の若者は」というフレーズの後には、褒め言葉は繋がらない。
真愛の見聞きしたのは、「若者ではない。」同じ年齢層だからといって、考え方や行動を十把一絡げに批判することは出来ない。
婆さんが若作りのために「やばい」を使っていることもある。
更に、どっかの番組で
「ヤバイって言う言葉は、凄いですよ。
あの一つの言葉で、ほとんどの感情表現が
出来そうですからね。」
と言っていた。
最もである。
たった3文字で、「可愛い」「凄い」「元気」「高い」怖い」「美しい」「悪い」…。
ヤバッ、書ききれない。
「近頃の若者は…。」という批判は、古代エジプトにもあったそうだ。
今から約5000年前、ピラミッドの建設に携った人々が、ピラミッドの天井裏など、人目に触れない場所に「近頃の若者は…。」と、書き込まれているのが見つかるのだそうだ。
紀元前3000年代の古代エジプトの賢人ギザのイプエルは、
「今は衰退の時代だ。
子供たちはもはや素直でなく、
言語は破損し、
風俗はたるんでいる。
罪深い人類が死に絶える日、
もはや子供たちが生まれない日、
地上のすべての騒音がやむ日、
もはやすべての不快なものと
戦わなくてよい日が来るだろう。」
と、かなり悲観的な若者批判の言葉を残している。彼の気持ちを分かっては困るが、真愛も末世だと思う。
古代ギリシャの哲学者プラトンも、反抗心が旺盛な若者を批判する言葉を残している。
「最近の若い者は年長者を敬わず、
両親に反抗する。
法律は守らないし、
ギャングのように暴れる。
道徳心は腐れきっている。
このままだといったいどうなって
しまうのか」
プラトンさん、貴方が思った困った世の中はずっとずっと続いているのです。
際限なく崩壊しているということは、ある意味凄い事だと思う。
人間が産まれ続ける限り、無限に崩壊し続けるのだから…。
「約4千年前の中国での話ですが…。」
と聞いたのは民俗学者柳田國男さんだという
「最近の若者は体力や若さにものをいわせて、
風紀が乱れている。
年長者の誠実で歴史のある流儀を軽視して
いるのは嘆かわしい。」
と。
特に、歳を経るごとに、自分の知らない内に、固執する度合いが高くなっていく、それだけ体験や経験も多くなるし、知識も増えるのだから、自信と一緒に文句も出るのだ。
清少納言もプラトンさんも真愛と同じだと考えると、勇気凛々である。
「最近の若者は」と批判をされると
「この、老害が」と敵対心を抱く人もいる。
老害とは、本来は世代交代に失敗して老朽化してしまった組織を指す言葉だそうだ。
これが変化して、現在では「能力が衰える事で、周囲に迷惑をかける老人」という意味になっているのだ。
確かに真愛も息子達に迷惑をかけないように生きたいと思ってるいる。
だから、あの親子の「ヤバイ」を取り上げてああだこうだと言っているのは老害かもしれない。
厚洋さん何生きていてくれたら、真愛のこの思いを上手に表現して、一緒に言葉の乱れを嘆いてくれると思うのだが、…。
老害は、自分が老害であるとは自覚しておらず、行動や言動が暴走しやすいため、周囲から疎まれるそうだ。
真愛の思いは、暴走なんだろうか?
心理学では、他者の批判ばかりしている人は、必ず自分自身に劣等感を持っているという。
自分にない物を持っている人と自分を比べて羨む気持ちが、つい批判となって言葉に出ているのだそうだ。
あの母親の若さを嫉んでいたのかな?
若者批判をする人は、自分にはない若者の若さや行動力がとても魅力的に映るのだそうだ。
現実として若くない事を言葉「ヤバイ」を通して、使わない自分の老いを自覚したのだろうか。
noteテーマには
「真愛は、言葉遣いの最後の砦になりたい。」と思って書き始めたのだが、最終的には言葉は時と共に変化しているのについていけない自分の僻み根性を確認することになった。
やっぱり、清少納言さんと同じで、「今時の若い人は、「着られる」事を「着れる」と言い、「食べられる物」を「食べれる」とら抜き言葉を使う。
ウエィトレスは、「狸そばになります。」という。
厚洋さんではないが
「そうですか。
何分ぐらい経ったら、
狸そばになるんですか?」
と聞いてみたくなる。
意地悪ばあさんである。
意地にかけて、自分だけでも正しい日本語を使いたいものだ。
「最後の砦」になりたいと思う。
はて、正しい日本語っていつの時代のことを言うのかな。
暫く、文化庁の冊子も読んでないから…。
砦になんてなれない。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります