見出し画像

変な昔話

 昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
 おばあさんは山に芝刈りに、おじいさんは川に洗濯に行きました。
 川上から大きな桃が“どんぶらこっこどんぶらこっこ”と流れてきました。
 おじいさんは「こっちゃこい。こっちゃこい」と言うと大きな桃は寄って来ました。
 おじいさんは桃を持ってお家に帰りました。 
 大きな桃を割ると元気な男の子が生まれました。
 子どもの名前は桃太郎。
 そう「桃太郎」のお話です。
 桃太郎は大きくなると村人を困らせていた鬼を退治しに出かけました。
 普通の話だ。
 ちょっと違うのはジェンダーレスなので、おじいさんは川に洗濯に行ってるんだ。
 おばあさんは山に芝刈りに行くんだが、真愛はどちらかと言うと、おばあさんは川に洗濯に行ったほうがいいなと思う。
 真愛婆さんは膝が痛い。降るのも登るのも辛い。だから、芝を刈って、薪を背負って降りるなんて膝にガタが来る。
 ちょっと沢まで杖で降りて、褌洗ってくる方がいいな。
 さて可笑しいのは、この後なのだ。
 桃太郎は、おばあさんにもらったキビ団子とと引き換えに仲間に入れた🐒🦆🐕と一緒に鬼ヶ島にやってくる。
 そして鬼を退治すると言うわけだ。
 桃太郎さんは木刀は持っているが使わない。 
 鬼に向かってこう叫ぶ
「こら!鬼たち。
 村の者からせしめた宝物を返せ!」
と。
 そう。
 要するに暴力は使わないってこと。
 通常ならば、鳥が様子を見に行き、猿が門を開け、犬はワンワンと言って噛みつく。
 そして、桃太郎も剣を振るって戦うのだ。
勧善懲悪のスカッとする場面である。
 戦うわけだな!
 ところが戦ない。
 犬がワンワン。返せワンワン!
 猿がキャッチャー。返せ返せ!
 鳥がケーンケン返せ返せ!」
とみんなで叫ぶと
 鬼は耳を塞いで
「うるさい。うるさい。わかった。わかった。 
 もう返すよー。」
というのだそうだ。
 ずーと昔、
「シュプレヒコーール
 安保条約反対!
 憲法改正反対!」
なんて、全国から集まってデモ行進に参加したことがあるが、「わかった!」という回答をもらったことがない。
 体制側はいつも鬼より怖く搾取していたんだ。
 昔話も変わったもんだ。
 鬼は騒音が酷かったので降参したというお話。
(可笑しくね?)
 その番組に出ていた伊集院さんが言った。
『問題はあるかもしんないけど…。
  言わせてもらいます。
 おかしいんじゃないですか?
 その村人の自治会も…。
  だって、騒音で『ごめんなさい。』
 って謝って宝物を返すような鬼たちに
 宝物奪われちゃったんでしょう?」

 もの凄く笑えた。
 彼のものの見方も指摘の仕方も…。
 真愛が感じた違和感を代弁してくれた気がした。

人権の花

 昔話と言うのはその話を聞かせながら、何かを伝えていたんだと思う。
・子どものない夫婦もしっかり元気に生きていれば必ず良いことがあると言うこと。
・子どもをしっかりと育てると立派になって
 仕事に行くと言うこと。
・おじいさんやおばあさんに育てられた桃太郎
 は人のために役に立つ人になろうと思うんだ 
・犬や猿や鳥と一緒に力を合わせたら、それぞ
 れの力が相まって、大きな力となって良く
 ないことを改めることができる。
 助け合うことは、良い力になるのだ。
・悪いものも心を入れ替えてみんなと仲良く
 すれば良い社会ができる。
・みんないいじゃないか。
 更にこの話の元には申酉戌の方位についても伝えたらしい。どちらに進んだら良いのか考えさせられるわけだ。
 迷信かもしれないが、そんな小さな思いを持って前進することができる。
 かつての日本人はとても素晴らしかったと思う。
 今の分からない誰かからのクレームを恐れて本当の大切なものを失っていく世の中が恐ろしい。
 いつ頃だろうか「人権」と言う考え方で、ことわざの「めくら蛇に怖じず」と言うことわざが無くなった日のことだ。
 真愛と厚洋さんは同じ思いを持った。
 平等とか自由とか人権とかを一番に考えていた厚洋さんだったので、特にそれに引っかかったのだ。
「盲と言わずに目の悪い人と言う言葉」
 言い方や表現を変えただけで、何も中身は変わってない。
 意味は、「盲人は、気味の悪い蛇の姿を見た
 ことが無いから、それを怖がることが無い。  
 あることに知識の無いものは、怖れを知らず
 立ち向かおうとするものであるということ」

 目が見えないからと知識のない事に喩えること自体が良くないが、下手な知識を持って逃げ腰になる輩よりずっと良いと思う。
 猪突猛進の真愛なんかマムシを踏んでも分からないで進んでいるのだろう。
「石橋を叩いて…。
 渡らないよりずっと良い」
と思っている。
 猪年の厚洋さんと巳年の真愛は、
「変だ!おかしい!」
と首を傾げたが体制には逆らえなかった。
 目の悪い人が昔から差別されていたのはよく知っている話だ。
 目の悪い人だけではない流れついた外国人は真っ赤な顔で酒呑童子にされた。
 獣の毛を剥いで着ていた人は、猪の人間だと人間扱いにされず、親のわからない子は父無し子(ててなしご)親なし子と言われ差別を受けた。
(昭和生まれの真愛でさえ、憲法が基本的人権
 の尊重を掲げてくれても就職で差別された) 
 でもその差別の中で力を合わせ、何クソ!と思って生きて来た。
 立派になった方もいっぱいいる。
 「盲」と言う言葉をなくしたからと言って、「差別はなくならない」「おかしい」というのが私たちの疑問だった。
 その後も面白おかしく昔話は変えられていった。
 昔話には、「恩返し」の話が多い。
 当然、この桃太郎だって「育てられた恩に報いる話である。」
 助けた亀も恩返し、可愛がられた犬も恩返し、大事にされたうさぎも恩返し、猫だって恩返し…。
   そうだ「鶴の恩返し」なんて最悪で人間が汚い。美しい心は「してもらった事に感謝し」
「その恩を返す」
 今日読んだ新聞に新渡戸稲造の言葉があった。
「偉大なる心は、常に感恩の情に満つ」と。
 恩を知り、恩にに報いる生き方を貫きたいと書いてあった。
 新札は「津田梅子さん」になっちゃって、
に「新渡戸稲造さん」遠い昔?
 今、恩返しなんて言う言葉は無いのかもしれない。「感謝」なんていうのも無いのかな。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります