子育てパニック 家族会議
ニャンコはどんなに暑くてもひたすら一番涼しいところを探す。それが落ちそうな段ボールの上だろうが、ペットの下だろうが…。
「チャーが寝てる所が、一番快適だぞ!」
って、言いながらニャンコの横にゴロンと横になる厚洋さんを見て可愛いと思った。
自分では冷房を入れられない動物は、自力で快適な場所を探すのだ。
好き好んで檻の中にいる訳ではないのだから…。
檻の中に入れられてしまった動物は、その中で一番快適な場所を探すしかない。
更に、「死に至らないために体を休める」
まあ、チャーちゃんは寝子・猫だけあってよく寝た。
早起きで昼寝をしない厚洋さんも、チャーちゃんのためには、腕に乗せたままじっと布団の中にいたり、お膝に乗せたまま一緒に昼寝のような様子を見せた。
居心地の良い所を作ってあげていたのだ。
先日、友達に「不登校の子」がいるのだけどどうしたらいいかと相談を受けた。
「うーん。逃げるようで悪いけど、
不登校ってケースバイケースで、
10000人いれば10000通りの原因が
あって、対処法があるんだよね。
だから、専門家ではない私には解決策を
教えることができない。」
と正直に言った。
「ただ、あなたも含めて、その子も家族も
先生もみんな頑張っているんだよね。
その頑張る方向がみんなバラバラで、
本音で心から話し合っていないから、
噛み合わないでいるんじゃないかな?
その子だって、「頑張っているんだよね。」
その頑張っている子に「頑張れ!」って
いうのは「もっと!」ということだから、
辛いと思うよ。
おばあちゃんが心配するのも、頑張って
いること。
お母さんが「仕事を辞めなくちゃいけない
かしら?」って悩むのも、頑張っている
こと。
みんな頑張っているのに…。
誰もお互いにお互いの「その頑張り」や
「辛さ」を分かってないのじゃないかな?」
真愛も自分の心を語らないことが誤解の始まりであるということは、嫌というほど体験して来た。
「うちの旦那はね。
「沈黙は美徳」と思っていたの。
「言わなくたって分かってるはず。」ってね。
でもね、自分の心の中の声ですら、聞こえ
なくなっちゃってるのに、
人の心の声なんか聞こえるかな?
真愛は、聞こえなかった。今思うとね。
聞こえていたら、もっと旦那様に優しく
できたね。
旦那様は、真愛の気持ちをよく分かって、
よく聞いてくれた人なの。
だから、こんな変な私でも、彼に認めて
もらって、なんとか生きてきた。
引きこもりにならなくて済んだの。
厚洋さんが、真愛の「居心地のいい居場所」
だったのね。
今、学校に行けないその子は、
「家が一番居心地のいい場所で、
安全な所なの。
学校は不安で怖い,
嫌な所なのよね。
理由はわからないけれど…。」
こんな取り止めもない話を数時間した。
友達はとても優しい人で、人の痛みを我が事のように感じることが出来、何かしたいと真から思う子だった。(高校の頃から。)
だから、なんとかしてあげたいと思ったが、何もしてあげられなかった。
ただ、厚洋さんみたいに、彼女の話を聞いてあげたい。
彼女も「頑張っているんだ」という事を彼女自身に認めてほしかった。
そんな折に、新聞の教育欄に
「なんでも言い合える場」が問題を未然に防ぐ
という大見出しが飛び込んできた。
すでに、不登校だというが、この記事の子も、一度不登校だったのが改善して、投稿し始めたが、また、夏休み前に不登校になったという。
ケースは違うが、どこか共通項があるのではないかとと読み始めた。
ここの家庭は、父親の影が薄くあまり関わっていないようだった。
そこでカウンセラーの方は、
「夏休みの家族旅行についてみんなで話し合ってもらえませんか?あ、お父さんも一緒にね。」
というと、
「主人は必要ないです。いえにいないし、あればゴロゴロしているか、小言ばっかりで屁のツッパリにもなりません。」
と母親。
ところが不登校の子は、乗り気だった。
以前、その子が個人面接の時に家庭の雰囲気を「窮屈・楽しくない。」とこぼしていた事を思い出しての提案をした。
「夏休みの家族旅行の話の別に
『何でも言えるコーナー』を設けてはどうか?と。
これが良かったのだ。
普段喧しい父親が、会議の日には、ずっと聴き役に回ったとか。
その後も何度も会議を開いたという。
議題は、「ゲームと携帯の時間制限」
「食事会の店決め」
その中で「何でも言えるコーナー』が一番人気だったという。
似たような家族にも同じような提案をしてうまく行っているケースが多いようだ。
それらの要因は、壊れかけていた夫婦連合(ある目的のために二人が力を合わせる関係)が、自然に再生されたのではないかという。
家庭内で発生する様々な問題は余程の専門家ででもない限り、早期にその原因に気付くことは難しいという。
多くは、「子どもの困り事」を通してしか気づけない。問題解決のために莫大な時間と労力をかけた彼らは、すでに自分達だけでは話し合うことさえ出来なくなっていることもある。
そうならないために、月に一度の「家族会議」を開催できればという。
現代人は、人が自由に何でも話せる時間と場所はほとんどない。
学校での子どもたちは、先生が期待する答えをいつも探さなくてはならず、家でも親の顔色を伺う。
父親も働くために自分の思いを全て話せることなどない。
母親も子供の顔色、旦那の思い、義父母の考え、世間体なんて気にして生きているのだ。
だからこそ、自由な雑談や遊びの時間を時折保障する必要がある。
大切なこと
「いいかい。
今から開く家族会議の時だけは、
何を言ってもいいんだぞ。
これは、父さんと母さんが決めたルール
だからね。」
初めは、子どもたちは、
「たまたまだろう?出来もしない約束で…。」
と呆れるかもしれない。
いくら意見が違っても、何でも自由に話せて親子夫婦のコミュニケーションが絶えない家族は、元気な家族なのであり、会議は必要ない。
何でも言える場は、良い居場所なのである。
さて、「家族会議のルール案」が提示されていた。
⓵テーマは何でもOK。
無理して意見をまとめない。
※出された意見は記録係がノートに残す。
⓶どんな意見でも否定しないで聞く。
※ただし、その通りにする必要はない。
⓷誰かを責める目的では開催しない。
⓸家族の誰かが希望したら会議を開く。
定例でも可。
⓹司会は誰でもいいし、交代でも構わない。
※自由なやりとりを促すこと。
コロポックルって、蕗の下の神様のこと。
息子は、可愛い神様でした。
子ども中心の生活になりがちかもしれないが、母にとって私は(いくら歳を取っても)可愛い子どもなのである。
人は人に対してたくさんの思いを持って、良かれと思って行動をし、話をしているのだ。
誰が一番ではない。
互いに互いを尊敬し、頼りにし、「何でも言い合える」そんな家族であっても,問題は起こる。
全ての家族に「家族会議」が必要とは限らないし、このルールがあっているかはわからない。
ただ、誰もが「居心地の良い居場所」を持つことは、本当に大事なことだと思う。
少なくとも、家族が家族の居心地の良い場所でありたいものである。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります