子育てパニック 老いては子に従
「老いては子に従え」の意味は「年老いたら子どもに任せた方がよい。」という。
男性・女性を問わず高齢者のあり方を説いたもの。
ここでの「子」は、話題になっている高齢者の子どものこと。親子関係に関する諺のため、若い世代全般のことを例えているわけではないようだ。
実は、知人Rさんが亡くなったが、この時期でもあったので、3ヶ月も遅れてその情報が入って来た。
厚洋さんが若い時からのお知り合いで、真愛も一緒にお会いしていたのだが、噂好きな方だったために、厚洋さんの嫌な噂をたくさん流していた事を、厚洋さんが亡くなってから分かった。
真愛は、その噂に振り回されて、精神錯乱をおこし、「自死・殺人」を考えるほどになり、息子に迷惑をかけた。
その時の息子は
「今までが良かった人でも、今の自分にとって
良くない人とは無理に付き合わなくて良いん
だぞ。」
良い顔見せることないんだから。」
と、一線を引く事を教えてくれた。
厚洋さんに縋って生きてきた真愛は、誰に判断を頼って良いかわからなかった。そんな時、支えてくれたのは息子であった。
今でもそうだが、情けない母親の面倒を見るのは面倒くさかったと思う。
それから3年。その知人が厚洋さんの方に逝ったのだ。
息子にLINEを送った。
【お母ん元気。
今日は、ロンシャンのお弟子さんのお店に行っ
て来て、その後、ロンシャンのパティスリーと
連絡を取ることができました。
で、情報です。
Rのマスターは、去年亡くなったそうです。」
「ええ、Rのおじさん亡くなったのか…。
もう店やってないのかね?」
【うーん。
厚洋さんの嫌な噂を流したのが彼だったので、
ずーと行ってなかったので、内情は分からない
です。
お店のシャッター空いて無いものね。
今度、奥さんにご挨拶をしに行ってきます。
私の心が騒つかなくなったらですが…。
一応、ご挨拶だけは行かなくてはと思ってい
ます。】
「母ちゃん大人だな。
無理しない範囲でね。」
【はい。
亡くなったらみんな仏様。
あちらで厚洋さんと話すかも知れないしね。】
「えらい
ほんとにえらい。
さすが俺の母ちゃんだわ。」
とLINE交換をした。
真愛の心は騒つかなかった。
あの苦しみと悲しみのどん底にいたから、今でも厚洋さんのことを愛してるし、毎日のように厚洋さんを思い出してポロポロ泣くこともできる。
今の幸せは、過去の悲しみや苦しみの上にあると考えられた。
1週間後、
「お母ん元気。
今日は、Rさんに手紙と御仏前とお線香を送り
ました。
なんだかホッとした気がします。」
「おお、ちゃんとそこまでやれて立派だね
Rには、母ちゃんは色々思うことがあるだろう
けど、自分にとっては子供の頃から家族で通っ
た良い思い出ばっかりなので、お手紙書いて
くれたり、お線香焚いてもらえて嬉しいよ。
ありがとねー。」
と返ってきた。
「こちらこそです。
貴方のひと言で、ちゃんとご挨拶する人間に
立ち返りました。
歳を取ったら子に従えの諺は本当ですね。
今後も宜しくです。」
「へぇ。そんな諺あるの?」
と、笑いが返ってきたが、本当に息子の一言で、浅はかな女にならなくて済んだ。
私の一時的な感情で、人を判断してはいけないのだ。息子にとっては「家族の幸せな思い出」の中にあるのだ。
一つの事柄を私の立場のみで判断するのではなく、厚洋の妻として、息子の母親としてどうあるべきかと考えるべきなのである。
更に、旦那様を亡くした奥様は今、あの時の真愛のように悲しい切ない思いているのだ。
自分の心の安寧を思うだけではなく、自分につながる人の思いも考えた上で判断することが良かったのだ。
さっき、Rさんのところで会っていた厚洋さんの教え子さんから電話があり、
「Rさんの奥さんが、
『手紙とお線香と沢山に頂いた。
どうしたら良いだろう。』
って電話もらったよ。気にしてるみたい。」
というので、息子の話をしながら、
「奥さんとは、仲良くさせてもらったし、
厚洋さんの収集した切手を全部あげているの
よ。
真愛は、もう気にしていないから、
玄関がわからないので、送っちゃったけど、
Rさんの好きな酸っぱい蜜柑も持って行きたかっ
たと伝えておいてね。」
と、穏やかに話せた。
そして、本当に思った。
真愛には過ぎた息子である。
「老いては子に従え」の由来は女性に向けた儒教の理論「三従」。
老いては子に従え」の由来は仏教・儒教の古い理論「三従」
子どもの頃は親に従い。
結婚してからは夫に従った。
老人になったら子どもに従うよう女性に勧める教えだそうだ。
中国から伝わり、日本でも規範とされていた時代があったそうだが、真愛は、正しいことだと思う。
全てを従えとは言わない。
しかし、真愛のように誰かに依存しやすい人には、大変理に適ったことである。
「老いては子に従え」三従の全文。
『三従』
幼にしては父兄に従い、嫁しては夫に従い、夫死しては(老いては)子に従う。
江戸時代の初めごろには最後の部分のみを、主に男性に使うようになったという。
現在では性別を問わず使うようになり、また、最初の2つは現在の日本では性差別だと感じる人が多いため、言われることは少なくなった。
しかし、真愛は(ジェンダーフリーじゃない。)と言われても、ある程度は正しいと思う。
繰り返しいうが、全てを従う必要はない。
真愛なんかは、結婚して2年目からは厚洋さんにご飯も子育もみんな助けてもらった。
嫁しては、「旦那様大事の関白宣言を理想」としたのに、実際は「嫁したのは厚洋さんかもしれない」ほどだった。
伸びやかに自由に大きな厚洋さんの掌の上で幸せな人生を送った。
そう言えばもう一つ、息子に言われた通りにして良かったことがある。
息子がコロナ禍を心配して、マスクを大量に送ってくれた。
綺麗な紫色のマスクだ。
紫というのは病よけの色でもある。歌舞伎の演目か踊りの演目が何かで、「保名」って舞がある。
気狂いをしてしまった美しい保名の髪に巻かれていたのが紫の鉢巻なのだ。
真愛の母は歌舞伎が好きだったので、紫の鉢巻を巻くこともあった。
それを見て育った真愛は、紫は病避けなのだ。
たくさんもらって喜んでスポーツクラブにして行った。
プールにはいろいろな方がいらっしゃっていて、
「まあ。なんて綺麗なマスクなの!」
と褒められた。
「息子が送ってきてくれたので…。」
と言うと、
「良い息子さんね。羨ましいわあ。
私、紫好きなの。ほら。」
と紫のバックを見せられた。
真愛の自尊心が
「ありがとう。
良かったら、差し上げるわ。
たくさんもらったので…。」
と言ってしまった。嬉しかったので、この話を息子にすると、
「良かった。あげなよー。」
と返ってきたので
「うん。5枚だけ。」
なんて書いたら、
「いっぱい送ったろう。
200枚ぐらいあるんだから、
もっと、あげてね。」
と注意を受けた。
そうだ、息子を褒められて嬉しかったからこそ
あげたいと思ったのだ。
「5枚じゃ…。ね。」である。
なんだか、厚洋さんに言われている気がした。
それ以外にも、厚洋さんと同じようなことを言い、同じような注意をしてくれる。
こういう時に、父子の深い繋がりを感じる。
厚洋さんと真愛は赤の他人が好きになって一緒になったのだが、厚洋さんと息子は血肉を分けた親子なのである。
愚かなお母んは息子に従うことができることが嬉しい。
息子とお母んも親子であるが、男と女の考え方の違いがある。
大好きな厚洋さんの息子を産んでよかったとつくづく思う。
追伸
「老いては子に従え」の反対語は「亀の甲より年の功」
長年の経験や年長者の知恵は貴重なものだ」という意味。
本来は「亀の甲より年の劫」と書くが、どちらもOK。「劫」は長い時間を意味する。
「老いては子に従え」の類語は「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」
「負うた子に教えられる」と略して使うことが多い。
自分より若い・経験が浅い人にも、教えを請うべき場面があるという意味。
要するに、幾つになっても相手が幾つであっても、自分より優れた考え方や知恵に学ぶことが多く、その学んだことを実践することで自分自身が大きく育つということである。
真愛と息子は、「肝臓ダイエットの仲間」であり、「立派に育ってくれた真愛の自慢」であり、「時々、亡き旦那様が降臨した師匠」の関係である。
世の年老いた父母たちに伝えたい。
「あなたの子どもさんは、すでにあなたを
超えている。
あなたを思って語るのだ。
その素晴らしい提案に耳を傾けよう。
大切に思ってくれているから語るのだ。」
息子に褒められる親になりたいものだ。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります