すべてわかった上で、流されてしまいたい日がある。
私はひとりでいることが好きなタイプだと思っていた。
というか実際そうなのだけれど、そこに条件があることに気がついた。
私は約一年前まで実家で家族と暮らしていたのだが、仕事もしていたし常に家族の機嫌や顔色を窺っていたり、愛犬の世話があったりと、ひとりで自分のために自由に使える時間が限られていて貴重だったのだ。
だからひとりで部屋にこもって読書をしたりドラマや映画を観られるときが至福のひとときだった。
しかし現在は家族や古くからの友人とも離れた場所で暮らしていて、今は求職中の身のため、会おうとしないと人に会えない生活をしている。しかも先述の通り昔からの知人がおらず、会ったとしてもまだ新しい人間関係のため、もちろん楽しくて充実感もあるのだけれど、言いたいことがすべて言えるわけでもなくて、どこかいつも孤独を感じてしまう。
孤独や寂しさは、子どもの頃から常に身近にある存在だった。ずっとずっと寄り添ってきた。私は何をしてもこの寂しさからは離れられないのだと、もう受け入れている。
それなのに今になってこの寂しさや孤独に潰されてしまいそうなときが増えてきたし、これまでなら気を紛らわせられていたのに、今は孤独の重力に引っ張られて身動きが取れなくなることがある。
私の昔からの悪い癖で、こういう言いようのない、けれど猛烈な寂しさに襲われたときに、家族や友人など身近なひとに頼れない。なんと表現して良いのかもわからないし、相手にも生活があると分かっていてもタイムリーに相手をしてもらえないと余計に苦しくなるからだ。
そして今回は自分の日常に関係のないひとと話したくなり、マッチングアプリでたまたま知り合ったひとと会うことになった。
猛烈な寂しさに襲われているときに選んだひとだったので、正直元気なときであれば選ばないようなお相手。写真を見る限り見た目は素敵だけれど、レッドフラッグが透けて見えるようなひとだ。
カフェに行くことになったのだが、当日はいくらか気持ちが回復しており、会う意欲が減っていたので相手がドタキャンしてくれることを望みつつ、待ち合わせ場所には私の方が早く着いた。
コーヒーを買って席について、窓から久しぶりに晴れた街の光景を眺めながら待っていた。来てくれなくてもいいよ、と思いながら。
ぼんやりとすること数分。やってきた彼は写真よりも魅力的だった。
ひとそれぞれ好みは違うと思うけれど、少なくとも私にとってはかなり好きなタイプの見た目をしていた。
はじめまして、と挨拶をして彼もコーヒーを購入し、いざ話し始めてみると、彼も英語が母国語ではないし、私もその日は頭が回らなくてことばが全然出てこない。
いくつか共通の趣味や関心があったのでその話のときは楽しかったものの、全体の会話はそこまで盛り上がらなかったし、彼もそれほど楽しんでいるように見えなかったので、私のなかではこの一、二時間会話をしてそれきりかな、と思っていた。
だけどその日は久しぶりに晴れて暖かく、外が心地よかったからなのか、「散歩しようか」と誘われた。カフェの周りには静かな住宅街と大きな公園があって、そこを当てもなく歩きながら、一応マッチングアプリで知り合っているので、どんな相手を探しているのかだとか理想のタイプだとかを話し合った。
好きな愛情表現の方法の話になったときに、ことば(words of affirmation)、相手のためのサービス的行動(Acts of service)、スキンシップ(Physical touch)をされたいししたいとと伝えると、「それならハグしていい?」と。
晴れた日曜日のお昼過ぎの住宅街。未だに慣れない文化の違いに戸惑いつつも、少なくとも彼の見た目は気に入っていたし、最近はハグを求めていたし、それぐらいなら良いか、とハグ。
ハグをしているうちにキスもして。ああ、これはやばいと。やっぱり危険信号を感じていた直感は当たっていたと。
これでおしまいにするべきだと分かっていたと同時に、ものすごく惹かれるものも感じてしまった。だからこそすぐに離れるべきなのだけれど。
そのときはお互いにその後に用事を控えていたこともあって解散したのだけれど、その日の夕方にまたお茶をしに行くことになった。
日が落ちて寒くなってきているのに何故か二人ともアイスのドリンクを注文して、お店を出る頃には冷え切っていた。
例の如く当てもなく散歩をしていると、彼がジャケットを取りに部屋に行きたいと言った。彼の家がそのカフェから近いことも聞いていたし、その瞬間になんとなく色々と悟ってしまった。でもどこかで、もう良いかという投げやりな気持ちもあった。
実際に寒かったので同意して彼の家に向かい、玄関の外やリビングで待っているからと言ってはみたものの、結局部屋まで辿り着いてしまった。
ベッドに横になる彼。このブランケットが暖かくて心地いいから寝てみて、とベッドをとんとんと叩く。
いろんなことが明け透けなのに、それでも隠そうとする姿がなんだかいっそ可愛く思えてしまって、もういいやと彼の横に寝転がった。
暖かくてふかふかのブランケット。なんだか落ち着く香りもして、眠気を感じるほどだった。
隣で寝転ぶ彼が私に手を伸ばしてきて目が合った。長いまつ毛と少し垂れた目。抱き合ってキスをしてお互いの身体に触れ合っていると、どうしようもなく心地がよかった。
彼が”I like you”と言うのを聞こえないふりをした。会ったばかりなのに私の何を知っているって言うんだ。そう言っておけば抱けると思われたくなかった。私もスイッチが入ってしまっていたし抱かれるのはいいのだけど、それは好きだと言われたからじゃないと。それとこれとは別のはなしだと。
ことが済んだあと、彼は私の髪を撫でながら”I like you, but you don’t like me”と言った。少し困ったような垂れた目と目が合う。その目を魅力的に感じていることが怖かった。目を合わせないようにして、彼の腕やお腹にあるタトゥーにキスをした。
泊まっていけばいいのにという誘いも寒いから貸すと言われたパーカーも断って、バス停まで送ってもらった。パーカーを借りてしまったら、絶対にもう一度会わなくてはいけなくなるのが嫌だった。バスを待つ間も彼はちょっと困った顔をしていた。
そして「ごめん」なんて言うから、私は私の意思で部屋まで行ったのだし、何も強制されていないし自分がしたくてしたことだからこれは私の責任で、あなたは謝る必要はないと説明した。
もう一度ハグをして「またすぐ会おうね」と本心かどうかわからないことをお互いに言い合って別れた。
バスの中で考えを巡らせながら唇を噛んだ。初めて会ったひととその日のうちに寝るなんて普段の私だったら絶対にしない。ましてやそんな相手と真剣な関係になれるとも思わない。彼はモテそうだし他の女性にも同じようなことをしているかもしれない。彼のことを100パーセント信用できるわけじゃないし、この一回限りで終わらせるべきだと。
そう思う反面、彼に対して特別な気持ちが湧き上がりつつあることにも気づいていた。
私は絶対に割り切れるタイプじゃないとわかっていたのに、流されてしまった。というか、流されてしまいたかった。
家に着いて何件かメッセージをやりとりして、おやすみと言ったけれどその夜は眠れなかった。
翌日から連絡の回数が減った。
そうだよなぁ、と思いつつも数日間は苦しかった。こうなることもわかっていて選んだのは私だからしょうがない。そう思いつつもスマホが鳴るたびに期待してしまった。
そして数日後には案の定、理由とともに私とは真剣な関係になれると思わないというメッセージが来た。
わかりきっていたことだけれど、それでもやっぱり胸が痛んだ。
それと同時に何も言わずに音信不通になったり曖昧なままにしたりせずに、ちゃんとことばを以て線を引いてくれたことをありがたくも思った。
そういうところはちゃんとしているんだと見直して、もっと初めから色眼鏡なしに彼を見るべきだったと反省した。
私は疑り深い性格なので、最初から彼を遊び人とか私には真剣にならないと決め付けてしまっていたし、そういう話し方をしてしまった。
その私の直感が当たっていたのかどうかということは別にして、逆の立場になって考えると最初から決めつけられたら辛いし傷つくよなと改めて気づいた。
ちゃんとことばで伝えてくれてありがとう、と返信して、私たちの短い関係は終わった。
ほんの一瞬の関わりだったけれど、今回の件で学んだことはもう少し人を信用する勇気を持つべきだということだ。
私が疑り深いのは、ひとえに騙されて傷つくのが怖いからだ。もちろんなんでもかんでも無条件に信用するわけにはいかないけれど、これからは素敵だと思える人に出会ったら、傷つく勇気を持って信用してみようと思う。
大好きな宇多田ヒカルの”One Last Kiss”の、まさしくこの歌詞の通りだと思う。
誰かと繋がりを持つためには多かれ少なかれ傷つくことになる。
だからこそ、その傷や痛みを甘んじて受け入れてもいいと思うような相手とだけ、関係を築いていくべきなのかもしれない。