【感想】放課後 / 飯田瑞規、中山将
こんばんは。
青井あるこです。
8/3(土)に開催された飯田瑞規さん(cinema staff)と中山将さんの弾き語りライブに行ってきたので、感想を書きます。
相変わらずライブ後は記憶がオールデリートされるタイプですし、音楽的な知識はゼロというよりマイナスレベルですので、極めて主観的・抽象的なことしか書けませんので、ご注意ください。あと思いっきりノリと勢いで書いています。いつものことながら。
会場はI・Cメイツさんという喫茶店。
ヨーグルトがとても美味しいといことは聞いていたけれど、飯田さん曰くナポリタンが絶品とのこと。今度は食事で利用したいな。
セットリスト(正確じゃないかも…)
●ふたり
高校3年生(森山直太朗)
三国駅(aiko)
タイトル不明(飯田さんが中山さんの結婚式で歌った曲だそう)
●飯田さん
into the green
妄想回路
孤独のルール
眩暈
●中山さん
サウスマウンテンユニバーシティ
シルヴィア・カフェ
ハーモニー
椅子に座ったクマ
●ふたり
花火師の恋
●ふたり
高校の同級生、ライブのタイトルが『放課後』なこともあって、
学ラン姿で現れたお二人。
名古屋はこの日も37℃の街。
観た瞬間、「あっつ……」と思わんこともなかったけれど、レアな姿にきゃっきゃするとともに、学生時代に毎日同じ制服を着て過ごした友だちと大人になってからもずっと友だちでいられるのってめっちゃいいな……、としみじみ思った。
お二人で歌った高校3年生も三国駅もそのままCDリリースしてくれ~と思うくらいに良かった。
飯田さんの声は繊細で幻想的でほわっと上の方から降ってきて空中に舞う感じで、
中山さんの声はどちらかといえば舗装されていない道の片隅に咲くたんぽぽの花みたいな、下の方から湧き上がってくる優しい力強さを感じた。
声の持つ雰囲気は異っていて表現する色合いも違うんだけど、だけど確かに共通していて、二人の声が合わさると……、なんていうのかなー。
同じ景色の昼と夜の境界に立っているような気分になる。
飯田さんが中山さんの結婚式で歌ったという曲。
すごく良いなあと思いながら聞いていたのに、「少し早い線香花火に火を点けたのはきみ」というようなニュアンスの歌詞しか覚えていなくて悲しい。
ライブに関する記憶力ポンコツ過ぎ問題。
でもリハで演奏したときに、会場である喫茶店のマスターが「奥さんと初めて会った時のことを思い出した」と話してくれたというエピソードが素敵だった。
マスターは奥さんにぞっこんで半ばストーカー気味だったとのこと…。
ライブ後に拝見したマスターは優しそうなお顔をされた素敵なオジサマ。
アーティストに会場を貸しても箱代(会場の使用料)は一切取っていないらしく、ことばを交わさなくても全身から愛と慈しみが溢れているような、暖かな雰囲気のある方だった。
そんな方が地元にいらっしゃるというのを知って、無性に嬉しくなった。
●飯田さん
そして飯田さんの弾き語りで、into the green。
cinema staffで演奏されるときは、「別れ」とか「失いつつある」状態の焦燥感のような切なさを感じるんだけど(歌詞の内容的には既に失っているようだけど)、弾き語りだとより優しく、のんびりしているような印象。
明るい諦観、のような。
妄想回路では、弾いた音を録音して再生して被せるのを繰り返して(ちょっと音楽用語知らな過ぎて申し訳ない)、正にその場で音楽が発生していた。
最初はカウントを取るようにアコギ(じゃなくて本当は別の名前があるんだよね)のボディをトントンと叩く音、それからイントロのフレーズ。
弾き語り版の妄想回路のイントロは、深海とか宇宙を思わせた。
他にだーれもいない暗くて先も見えないような、足元に何か転がっているけれどそれが何かすらもわからないところを真っすぐ歩いてる。
そこに飯田さんの歌声が、上の方から光になって差し込んできて、そのスポットライトのようになった円のなかで、眩しさに目を細めながら光源を見上げるような感覚。(そう思うと宇宙より深海かも)
曲の後半では自分のコーラスも録音され、生の歌声の背景に重ねられていく。
あの演奏の美しさを表現するだけの語彙力がない自分を恨みたくなるくらい、誰か録音しておいてよって思うくらい、アレンジが良かった。
原曲が鬱屈した感情を吐き出しているとしたら、
弾き語り版はその感情をそっと照らすような、冷たさのなかの灯を感じた。
録音はされていないだろうから、あの瞬間しかあの演奏の妄想回路は聞けないんだって思ったら鳥肌が立った。
どのライブでもそうだけど、生で演奏される音楽はその瞬間だけのもの。
その場で発生してその場で吸収されて、その場で消えていく。
そんな儚い側面を改めて思い出して、だからこそ尊いんだなと思った。
cinema staffのライブに足を運ぶようになってからまだ二年とちょっとぐらいなんだけど、孤独のルールは初めて生で聴いた(ような気がする)。
この曲は切なくなりすぎてしまうので、普段シャッフルで音楽を聞いてるときに流れてくるとついつい飛ばしてしまうほどの曲。
それぐらいに感情が持っていかれるから、めちゃくちゃ好きなんだけれどめちゃくちゃ苦手な曲でもある。
1サビの「僕らはあの日々を忘れてしまうだろう。それでもこうしてなんとかなってる。」の「なんとかなってる」のが嫌だった。
ここがもう~~~となって、私がこの曲を飛ばしてしまう所以でもある。
分かる。どんなに大切な思い出でもいつかは多少なりとも色褪せるし、それを寂しく思う気持ちもいずれ薄れていくことは、分かる。
分かるからこそ、受け入れたくないんだよなぁ。
弾き語り版では。
ひたすら聞き惚れて、込み上げてくる涙を唇を噛む勢いで堪えながら。
原曲よりさらに時間が経過していて、本当に「なんとかなって」いて、小さな部屋の跡地の駐車場の傍を通り過ぎても、もう振り向かなくなっていて、
だけど「いつかは笑いあえるように」という優しい願いだけはいつまでも残ったまま、みたいな。
ピアノと飯田さんの声ってものすごく相性良いなー。
飯田さんの声ももはや楽器の音色のよう。
眩暈を演奏する前のMCで、去年の秋ぐらいに眩暈に悩まされていた~と、
忙しすぎてなんだかよくわからなかった~という話をされていて、
もう本当に無理はしないでくれ…、とただただ思った。
ファン的にはたくさんライブを観れるのは嬉しいけれど、それよりメンバーが元気でハッピーでいてくれればそれでいいよもう…という感じがする。
そう、でもその話を聞いて、
なんかバンドマンと言っても、音楽家と言っても、
好きなことをやってるように見えても、やっぱり仕事は仕事なんだなと思った。良い意味で。
去年のライブラッシュの時もちょこちょこライブを観てたけど、
そんなしんどそうだなって印象は無かったし、
もちろんそれにはしんどそうに見せないような努力があったんだろうし、
私のなかでステージ上のcinema staffは憧れのロックスター過ぎたんだけど、
一緒の人間なんだなって実感した。良い意味でね。
憧れのあの人でさえ、しんどいときはしんどいんだから、
凡人の下の下ぐらいの私だってしんどいときあってもいいよね、みたいな。
それが仕事ならともかく、自分が好きだと思っていることに対してでもいいよね、みたいな。
話が逸れ過ぎたけど、眩暈は去年のリリース時から衝撃を受けた曲で、だけどソロ名義だから聴けるチャンスは無いだろうなーと思ってたから聴けた時点で感極まって涙。
歌声に、優しさと愛情と慈しみが詰まっている。
自分の体調が思うようにコントロールできないときに出来上がった曲がこれとか。
しんどいなって思ったときに支えになるのが、子供のころの記憶とか受けてきた愛情とか。
飯田さん、素晴らしすぎる…。
私もなかなか自分の体をコントロールできないのだけど、そんなときは怒りを抱きがちなので、反省。
「さっきまでの僕は、僕ではないのかも」の歌い方が好きすぎる。
サビのメロディも相まってほわっと浮き上がっては軽く着地するのを繰り返すような心地の良い浮遊感と、飯田さんの声が持つ切なさ。
現在に対する戸惑いと子供の時代の追想や郷愁がぎゅっと混ざり合っていた。
cinema staffのライブでもそうなんだけれど、もちろん集中して演奏を聴いているつもりなんだけど、それでも飯田さんの歌声を聞くと、頭のなかでいろんな連想が湧き上がるから不思議。
いろんな景色とかことばとがが湧いては連なっていく感じがして、あの瞬間にメモを取れたら私はもっと良い文章が書けるんじゃないかって毎回思う。
●中山さん
去年の秋に岐阜の市民会館でライブを拝見して以来、二度目の中山さん。
一回目に見たときはシンプルなギターの音と聴衆の想像力を掻き立てるような声とストーリーテリングで、童話の世界を覗いているような、ちょっとファンタジー的な印象を受けたけれど、今回はとても良い意味で雰囲気が違った。
サウスマウンテンユニバーシティ・イン・昭和区。
めっちゃ分かる人が限られそうな地元ネタソング。
名古屋市内にある某私立大学のことを歌っているんですが、関係者以外に果たして伝わるのだろうか…?(食堂の話とか)というピンポイント・フォーカス具合。
うん、でも確かにちょっと高い場所にあるので、夕日は綺麗に見られますよね。
「サウスマウンテンユニバーシティ・イン・昭和区」というフレーズに謎の中毒性があり、聞いて以来耳から離れず。
お風呂のなかで知らず知らずのうちに鼻歌でなぞってしまったので、CDを買えばよかった…と後悔。次回は必ず。
シルヴィア・カフェは、ひたすら中山さんの情景描写力に惚れ惚れした。
歌詞のなかに出てくる喫茶店の店内の温度とか、コーヒーの香りとか、そこで過ごす人々の姿が想像できるよう。
そしてその映像に昼光色のエフェクトをかけるような歌声。
あったかいコーヒーを両手でマグを掴んでゆっくり味わう時のような幸福感があった。
ハーモニーを聴くのは二度目。
奥さんがいる景色が繊細な言葉で綴られていて、
いつか結婚するなら旦那さんにこんなこと思われていたいよなー、
自分の後姿を想われるのって素敵だよなーなんてぽやぽやと思い、
後のMCで宅録でアルバムを作りました~って話をしていたときに、
「冷蔵庫のドアを閉める音とかも入ってるけど」というようなことを仰ってて、その冷蔵庫のドアの音の発生源が奥さんだったら最高やな…と思った。
お二人のことを何も知らないから勝手な想像なんだけど、
あんな情緒たっぷりの曲を歌う旦那様と、その後ろで冷蔵庫のドアを閉める奥様。
生活のなかの音楽という感じがして、最高やな…って。
(どのアルバムなのか忘れてしまったけど、これもめっちゃ聞きたい)
椅子に座ったクマは、くまのぬいぐるみが持ち主を思うお話。
(もう曲というよりお話と表現した方がしっくりくるような物語性)
私にもお気に入りのくまのぬいぐるみ(学生時代にホームステイをしたら極度のホームシックに陥り一人で寝れなくなって買ったという思い出付き)がいるので、自分のくまに対して「おまえ…っ!」と目頭が熱くなった。
可愛らしい曲なのに、大人のナイーヴな部分を的確につついてくる。
●ふたり
花火師の恋。
ライブ当日はちょうど岐阜の長良川と愛知の岡崎で大きな花火大会があったから、タイムリー。
歌い始める前に二人でせーの、で「花火師の…恋」って言ってたのがじわったのだけど、笑っていいのか掴みかねて笑い損ねた。(くすりとして良かったっぽい)
そんな感じでも始まってしまえば一気に曲の風景に引き込まれる。
プラットホームと高く茂る夏草に隠れる男の子(花火師というのだからもっと年齢は上かもしれないが)の後姿。
中山さんの声に飯田さんの声が重なっていくのがとても綺麗で心地よかった。
会場である喫茶店の外は茹だるような熱帯夜なんだけれど、
会場の中は本当に花火大会の夜のように、刹那的で幻想的な特別な空気に包まれていた。
打ち上がる花火を見てことばを無くすように、二人の声とギターに聞き入っているような。
ときどきカーテンの外から車のヘッドライトが暗い店内を照らしていて、
不規則に揺れるそれが、二人の雰囲気に合っていてとても美しいなと思った。
本編(?)はここまで。
そこからはお二人のトークだったのだけど、
飯田さんが喋る→思いついたテーマで中山さんに即興で弾き語りさせるというスタイル。
そのテーマも中山さんの好きな映画である「南極料理人」とか、
お客さんから出た「トマト」だの、
「村上晴彦」、「地方競馬場」、「俺(飯田瑞規)」、「天才」。
えー飯田さんめっちゃ無茶ぶりするやん…と見ているこっちがハラハラしたのだけど、見事(?)に応えていく中山さん。
才能が駄々洩れ…すぎてもはや才能の無駄遣い。(誉め言葉です)
メロディと声だけ聴いてたら普通にいい曲なのに、
歌詞で笑いを取りに来るっていうidentity(聞いた人にしかわからないネタ)。
中山さんがそんな面白い人だと思っていなかったので、
(もっと寡黙で静かにぽつぽつ話す人かと思っていた)印象ががらりと変わった。
高校からの同級生である二人だからこそできた弾き語りのイベント。
独特の緩さと温かさがとても心地よかった。
肩の力を抜いてリラックスして、ちょっとウルッとしつつも自然に笑ってしまうような二時間半だった。
私も高校時代の友人と見に行っていたので、高校の教室やそこで話したことを思い出してみたりして…。
卒業してから長い時間が経ったけれど、それでも未だに頻繁に会えているのは、cinema staffもひっくるめて音楽が好きっていう共通点があるっていうのも大きいと思うから、ありがたいなぁ。
飯田さんの声を聴くと、私も綺麗な感情を持って生きていきたいなと思う。人や環境に感謝をして、綺麗なことばを尽くして、綺麗なものを作りたいと思う。
その”綺麗”でいろんな、本当にいろんな、ネガティブなものも汚いものもすべて包み込んだうえで。
またやってほしい。
そしてぜひ二人でCDを出してほしい…。
という纏まりの無い感想でした!