感じても大丈夫
死にたい、ってなる時って、ほんまに死にたいんじゃなくて、「もうこれ以上何も感じたくない」って時なんじゃないかと思う。
生きてるといろいろ感じますよね。
でも感じるのがつらい時って、ここにいられなくなるのです。
ここにいられなくなる、って存在してないってことです。
でも身体はあなたを生かし続けてくれています。身体はここにある。
だから存在し続けるためには、感じなくするという防衛・適応反応が必要になる。
だから「死にたい」は、本当は、死んでもいいから(感じなくなってもいいから)生きたい、という純粋な思いなんだと思います。
でも面白いのは、生きるって、感じることなんですよね。
これは歳を重ねれば重ねるほどそう思うようになりました。
だーーいぶ前まで、私は感じることがわかりませんでした。頭では「感じる」って意味は知ってるけど、全然わからなかった。
でも、
嬉しいとか悲しいとかそういうことでしょ?
ちゃんと感じてるよ。
普通に喜怒哀楽あるしなあ、
と思っていた。
でも最初「感じるのが大事」って聞いたとき、
「感じてなんかいたら生活なんかできなくなる。生きていけないやん」ってとっさに思ったのを覚えています。
感じてたら、毎日の一つ一つ、人とのやりとりの一つ一つで、感じすぎてしまって、何をやるにも時間がかかりすぎて仕事も生活もこなせない、と思ったのかも。
もしくは、人とのやりとりも、感じすぎたら、悲しみや怒りや嫉妬や不安に押しつぶされてしまってどんな行動を取ってしまうのかわからない、それで嫌われたくない。
好き過ぎても、楽しすぎて嬉しすぎても、相手に迷惑かけてしまったり、そればかりになって他のことがまわらなくなったりしてしまって結局怒られたりいろいろ上手くいかなくなるのが怖い。
今ならこうして言語化できるけど、当時はわかりませんでした。
それほどに私は生き延びるのに必死だったのでしょう。
悲劇のヒロインになりたいわけではなくて、なんとなく、生きづらいなあと感じてる人は多かれ少なかれ、同じではなくとも似たようなところがあるのかもしれないと思ったのです。だから書いてみました。
周りの人や環境に関係なく、ありとあらゆる感情(色、音、周波数、エネルギー)を感じとる質を持つ人はいると思う。
地球というのは陰陽というふたつの極でひとつに成り立っているので(ひとつがふたつに分かれた)、光だけ、闇だけ感じることはできない。
さらにいうと、光の中にも闇があり、闇の中にも必ず光を含むのです。
感じやすいと、闇を感じたときにあまりにもこわくて避けてしまう。避けていいんだけど、なんか避けても避けてもますますしんどいな、ってなったときは、もうその闇を、闇の持つ美しさを、温かさを、ドロドロぐちゃぐちゃしたカオスの安心感を、感じても大丈夫なタイミングなのかもしれません。
もうその闇を感じることができるほどに、あなたの魂はあなたと愛し愛されることを望んでいるのかもしれません。
生きてるから感じるんじゃなくて、感じるために生きてるんやなーと思います。
この世界に感じやすさを持って生まれた、勇気あるかわいくて強いあなたが、あなたらしく生きていくお役に立てますように…。
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