alvin
風俗嬢にまつわるノンフィクション。
憂鬱色に光るファンタジックなショートショート集。
雨の季節だった。もっとも一年を通して時ならぬ大雨が頻繁になったのでその季節を現す言葉がすっかり目立たなくなっていた。それでもさまざまに暮らしを彩って思い出を残した季節に、人は疎まし気に空を見上げながらも愛着のような気持を持ち続けている。 最後に見たのはいつだっただろう。僕は歩道の敷かれたコンクリートのパネルが崩れたところにできた水たまりを見てそう思った。パネルとすぐ横の建物の縁の相性が悪かったのか、せめぎあいの果てにパネルは半ば砕けていた。その傷を隠すように水
大きく豊かな愛に包まれてこの世に生まれた君は十年余りで壊れてしまった。壊れた君は少しでも破片が落ちないようにゆっくりと歩んでいたに違いない。それは辛い努力だっただろう。自分を守るものを欠くことができずまたそれゆえに守られないと生きられない自分にうんざりして守り人にすらも冷たく辛く当たることも多かっただろう。焦りやいらつきはやがて憎悪に近いものになっただろう。憎悪は時おり心を席巻する嵐になったはずだ。ただ一つ幸いなことに君にはその胸の内を形に変えてゆく力があった。君の言葉や仕草
舞台の裏側のように照明は暗い。その暗い中を通路が貫いている。通路の幅は人のすれ違いがギリギリできるかできないかしかない。その両側に扉が並んでいる。ふつうのヴィデオボックスと変わらない作りだ。通路の突き当りまで歩いてみる。両側の扉には金属の刻印がある。部屋の番号だ。進むごとに刻印の値が増えていく。自分に割り当てられた値を超えて先に進む。廊下のどんづまりでは天井に仕付けられた照明の色が切り換わって目の前の景色を刻々と変える。赤、紫、青、黄色。視界は現実ではなくディスプレイの中の映
アマテラスは平伏する二人に眼を遣った。月明りが蒼く満ちる風のない晩、高床はぼんやりと燈明を照り返している。床に直にひれ伏す半裸の踊女と隆々たる体躯の男には夜の冷気が沁みているはずだった。礼盤に楽座し脇息に頬杖をついたアマテラスは固まったように身じろぎしない二人の姿を満足げに眺めた。その頬に仄かな笑みが浮かんでいた。神姫も夜気の中で身につけているのはしなやかな腰を覆う薄物だけだった。貝殻を寄せた御統のみが上衣だ。少女のように薄い乳房は結って垂らした濃い御髪の影に隠れていた。
夕刻の低い日射しがカーテン越しに部屋にぼんやりと明りをもたらしている。焦げ茶のフローリングに照り返しのように光るのは刈り取られた白い花。いや、それは丸めて打ち棄てられたショーツである。事件だ。ぽっと床に置かれるようなものではないからだ。女は無意識のうちに、自分を守りたい、女の性を社会と隔絶したいという願いをその薄布に託していた。それが、薄布に似あった運命をたどって、剥ぎ取られ丸められ無残に打ち捨てられていた。女の心は不思議だった。剥がれたときに何かを大きくあきらめたの
その子はいじめられていた。赤茶色の髪を揺らして喘いでいた。向こう側の男はスカートをまくり上げて彼女の股間をさすっていた。彼女は男の手の動きに応じて足を開いたり閉じたりしながら苦し気に呻いてからだをねじった。レースで縁取りされた彼女のブラウスは襟元を広げられていた。はだけた胸にこちら側の男が掌を当てていた。一方彼女の手はその男の股間に伸びていた。彼女はどこまでも堕ちていきそうなからだを支えようと男のものをつかんでいた。握りしめながらも彼女の指先は海の生き物のようにわらわらと蠢い
さゆりはうろたえた。反射的にスカートの裾に手が伸びた。太腿の奥を何かが伝った気がしたのだ。早朝、住宅街を抜けて駅に向かう道には人通りがほとんどない。素早く周りを見渡したさゆりはスカートのしわを伸ばすふりをしてまた歩き出した。郵便受けから新聞を引き抜いていたパジャマ姿の女性がコツコツというヒールが舗装を打つ音に気づいて顔を上げたが無表情のまま戸口に引っ込んだ。初夏の朝、空気は都心とは思えぬほど澄んでひんやりしている。気にしすぎだわ、さゆりは少し顔をしかめた。さゆりは早い時間に出
絶え間ない川瀬のせせらぎに早起きの鳥のさえずりが唱和し始めた。古の木々で深く包まれた岩場も遅れてきた朝の光が漏れ入るのを待ちかねていたようだった。本流から分かれて音も立てずに巨岩を伝う流れは急に支えを失って小さな滝となっていた。巨岩の腹は川の本流に長い年月をかけて深々とえぐられていたからだ。その洞と小滝は格好の水浴び場を成していた。しかしこの早暁にここを訪れるものはごく限られていた。気配を読むのに長け足音を立てずに素早く走るツクヨミでなければ夜通しの無聊で荒ぶるあやかしの獣た
駅前の古い映画館はピンク映画の専門館で男性同士の交際場所つまりハッテン場としてもそれなりに有名だ。かなり前からゲイというセクシュアリティに興味を持っていた僕は、何かおもしろいことが起きるのを期待して何度か足を運んでみた。ネットの記事では昭和の香りといった大仰な言葉で飾られているが、僕にとってはごく当たり前の二番館、かつてはどこの繁華街の裏通りにもひっそりうずくまっていた、亀戸スカラ座、牛込文化、町田ロマン、神田ニュースのようなポルノ映画館だ。 いつ行ってもお客はパラパラとしか
渺漠たる空にぽってりと腫れたように満月が浮かんでいた。その湿った淡黄の照りのせいで無窮の闇夜も今宵ばかりはその高貴な濃紺色を退かせた。野や山肌に染みた青みのある薄光を霊妙なる横笛の調べが震わせていた。奏者は千尋の谷を背負った大岩に腰を下ろしていた。断崖を隔てた向こうには峩々たる山稜があたかも夜空を抉り取ったように影絵の牙を尖らせていた。横笛の調べとともに薄紫色の衣をまとった奏者の肩が揺れ、髪を無造作に留めた笄がちらちらと輝いた。眼を閉じ一心に笛を奏でる若者をその膝下にうずくま
節会終りの夜更け、大臣は寝殿に向かう途中に宮の侍る侍廊を訪った。 「節会の調え、まことに大義なり」 大臣は人望家に相応しく家礼を労う時分を計るのが巧い。中将を大臣よりも高い席次に配した宮の慮りを褒めたたえにきたのだった。 「恐れおおきにございまする」 宮は平伏するもたちまち顔を上げてもの問いた気な気配を見せた。 「お耳に入れたき果敢無しごとが」 「折も折、余にも用がある。若き人々の言種よ」 「いかなる」 宮は先手を取られてやや不満顔であるがまずは殿様の話に耳を傾けねばならない
阿呼は和鏡の中からこちらを見る少女を凝視した。由良がついさきほど言い放った「阿呼は女子じゃ」という言葉がまだ耳に響いていた。阿呼はその言葉に自分でも驚くほどに動揺した。文箱の引き出しの奥に隠している髪飾りのような何か決定的な証拠を押さえられたのではないかと慄いてしまったのだ。阿呼はふだんからその気懸りを心の隅に据えて眼は離さずともなるだけふれないようにしていた。それを今日いきなり鷲掴みにされたのだった。 思い出せないほど前から阿呼は女子にまじって一日を過ごすことが多かった。
「宰相、わらわの肉置はいみじう肥えたであろうか」 姫君は宰相の君、すなわち女房に手渡された単衣に袖を通すと自らの腰に手を当てて振り返る。立てかけた銅鏡には大垂髪をかき分けて盛り上がった豊腰が単衣の白のおかげで際立っている。 「脹よかでよろしいではありませぬか」 朝の装いを整える女房は忙しく五衣を広げている。庭先には日は差しているが御簾の奥には未だ夜の名残がある。 「大臣殿も」 女房の手が止まる。めじろのさえずりが遠く聞こえる。 「大臣殿ものう、そう申すのじゃ、愛いししおきじゃ
幾日か低く垂れこめた梅雨空が続いていた。それでも重い木組の軒の影になった廊下から見ると外は銀のように鈍い明りを放った。宮が湿気に折れやすい立烏帽子を気にしつつ手庇をしたのはその眩さの故だろう。無論夜を徹した僉議に潰えたためでもある。眼を屋内に戻すとさらに暗がりが深まったが突き当りの部屋から女が退いて出る姿は見えた。女もまた宮の姿を認めた。女は暫し行く先を決めかねるようなそぶりを見せたがすぐに心を決めて宮を待った。凛とした顔立ちだが女にも潰えの翳は見えた。 「ご苦労なことだ」
アキオはその日まで同級生だった。でもその日からアキオはカレになった。 朝も昼もいつもの通りだった。平和だけど何も起こらないうっすらと靄のかかった日々。寝癖を気にしながらの登校、電車の中での痴漢、あてられないように首をすくめっぱなしでチャイムでほっとする授業、家畜小屋のようにけたたましい休憩時間、一人で本を読んでホッとする昼休み、トイレでの悪戯、眠気と戦うばかりの午後、そして終業のベル。そんなぼんやりとした、あいまいで意味の分からない時間が気だるく過ぎていった。色白で華奢、睫毛
夫人は下着を選んでいた。入浴をすませて家計簿と日記兼用のメモをつけ終わった後の短い自由時間である。早々と自室にこもった夫のことは完全に頭から消えている。 レース生地のライトブルーのハーフカップブラとビキニショーツ。明日またあの人に愛される、そう思うと自然と頬が赤らんでくるのだった。自分でも驚きだった。わたし、いくつのつもりなの、十代のときだってこんなにときめかなかった。セックスを手なずけ続けてきた夫人が初めて恋をしていた。初老にしては見かけはいいがさほど特別な