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オードリー若林さんの人間臭さと探求心の先で出会った僕たち
先月末に更新された若林さんのnoteは、内容としてはエッセイの続編のような位置づけで、僕ら読者が渇望していた若林さんの思想が独自の表現で語られたものであり、「こういうの待ってたんですよ〜!」と久々に興奮した。
(エッセイを読んだ方には是非読んで頂きたい内容です)
若林さんのエッセイやnoteは、芸人とは思えない切り口と掘り進めた思考の道筋に、芸人としての体験を乗せ、独自の言葉で表現しているところが、この世で唯一であり、支持される理由だと思う。
(チョイスされている言葉は心理学の論文とかに出てきそうな表現で、芸人の筆から出てくると物凄く新鮮に感じる)
人間臭さ
若林さんは単に目の前の一幕を演じているのではなく、奥底の価値観や人生観の土台の上に芸を乗せており、人間臭さを感じる。
大御所で言うと、たけしさん、タモリさん、島田紳助さん等からも同じ人間臭さを感じるのだが、内なる自分との絶え間ない対話による価値観や人生観の完成が発する臭いなのでは、と思っている。
ビジネスのシーンでも完成した価値観や人生観の土台の上で仕事をしている人は信頼を得ていると感じる。
責任感、人との接し方、トラブルが起きた際の対応、公私のメリハリ等々、単にビジネス上の最大化だけではなく、自身の価値観や人生観に落とし込んだ上で行動しているので、ぶれる事がなく、信念が伴っており説得力があるのだ。
内なる対話
さて、若林さんは、どのような観点で内なる自分と対話してきたのか。
エッセイやnoteで表現されている内容を踏まえると、自分自身の思想の成り立ちを理解しようとしている姿勢が伺える。
売れてなかった頃に感じた劣等感、それを生み出していた評価軸への違和感が、何故、自分はそう感じ、そう行動するのか、そうさせているものは何か、それはどのような仕組なのか、を深堀するきっかけになり、その答えを新自由主義という枠組みに見出し、そこから逃れる術を「血の通う関係」と「没頭」であると導き出したわけだ。
探究心
若林さんのように、感じる違和感や思想の源流を遡る人とそうでない人の差は何なのか。
考えてみたが、やはり「探求心」、という事になるのではないか。
(当たり前でつまらないのですが)
本質や原理を知りたいと思う強い探求心が、普通の人は入り込もうと思わない角度で真相に迫ろうとするのだろう。
若林さんの探求心は人の内面に向かい、内面の奥の方で出会った僕たちは若林さんと絆で繋がっているという構図だ。
探求心は、世に言う「頭の良さ」と一見すると関連性が感じられないが、実は源流では繋がっているのではないかと思う。
探求心があると、広く物事を探り、情報を集め、本質や原理は何なのかを整理しようとする。
何かしらのトピックとぶつかった際にも、1度通り過ぎた経験があれば引き出しが作られており取り出すのは早いし、直接的に関係がなくとも整理された枠組みが多ければ、大抵の事は打ち返せる。
それは一見すると頭の回転が速い人であり、「頭の良い人」という事になるのではないか。
さて、自分はというと、ある特定の事への探求心はそこそこあるのでは、と思っている(そうでなければこれだけしつこく若林さんを紐解く作業を続けないはずだ笑)。
ただ、価値観や人生観は道もかなりの半ばであり、このnoteを通じて少しでも深められたらと思う。
若林さんは何と言うか、
「人間臭いっていうのは、まぁ悪い気はしないけどね。ただ、本当に臭いのは春日の口だからさ笑」
「ひどい事言いますね。でも、若林さんもたまに臭いますよ〜オヤジ臭が。きゃはははは」
「弘中ちゃん、それは言っちゃダメなやつよ」
激レアさんか、、