5,000メートル走のラスト1周が五輪の王様である
スポーツの最高峰である五輪では時にとんでもない瞬間に立ち会えることがある。
「開催国での金メダル」、この世で最も煌びやかに聞こえる言葉の裏側には、悪魔じみた恐怖が潜んでいる。祖国からの凄まじいまでの期待を一身に背負い、耳をつんざくような歓声が足を浮足立たせ、磨き上げたはずの鍛錬の結晶が曇っていってしまうような底なしの恐怖である。
そんな想像するだけで卒倒しそうな恐怖を手なづけ、次々と襲い掛かる好敵手による荒ぶる大波を力で捻じ伏せ、国全体に歓喜をもたらすという練り上げられた完璧なストーリー、それが2012年ロンドン五輪の5,000メートル男子決勝である。
何度見ても興奮を抑えられない。まさに五輪史に残る最高のレースだった。スタジアムを包む大歓声の中、十数名の一団が織り成すラスト1周の「決死」の全速力の迫力はどんなメジャースポーツにも劣らなかった。
開催国イギリスの英雄であるモハメド・ファラーはラスト2周の途中でトップに立つと、そのまま大集団を引き連れラスト1周の鐘が鳴り響く。そこからは駆け引きは一切なし、各々が人生の全てを掛けて奏でる魂の走りである。1人、2人と鬼の首を取ろうと奥底から力を振り絞りファラーに食い掛かる。
「させない、、抜かさせない、、絶対に」
超高速の中で次々と襲い掛かる猛者を抑え込む絶妙なギアチェンジ。死んでもこの席は渡さない、という断固たる決意。最後6人が団子状態で最終コーナーへ突っ込んでいく。速い、とにかく速い。スローペースで進んできたこともあり余力を残している。最後の直線に入る、エチオピアのゲブレメスケルが最高のスプリントを見せる。ラスト50メートル、、抜かれる!!
そこから更にもう1段ギアを上げ抑え込んだファラーが10,000メートルに続き自国開催での五輪で2冠を果たした。その後、リオでも2冠、2017年のロンドン世界陸上で敗れるまで主要大会で勝ち続けた。
知的な駆け引き、厳しいつばぜり合い、熱狂的なスピード感、意地と意地をぶつけ合う最終局面。5,000メートル走はそれらが絶妙に織り込まれた傑作ではないか。そこに4年に1度という夢の舞台、自国開催で金メダルを期待された英雄というエッセンスが加わった。最高の舞台、最高の競技で最高の選手が最高の勝ち方をした。
東京五輪でも最高の熱狂を期待したい。