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"血の通う関係"で結ばれるオードリー若林さんと僕たち

文庫版『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を読んだ人にとって"血の通う関係"はエッセイを締めくくる特別な存在だ。

新自由主義や資本主義に翻弄され募る違和感に、若林さんがキューバ・モンゴル・アイスランドへの一人旅を通じて向き合い、そこから自由になる為の拠り所として、言語化に落とし込んだ境地。

誰しもが感じたことのある新自由主義と資本主義のパラドックス。こんなにも成熟した日本の中で何故こうも競争に駆り立てられ、不安を掻き立てられるのか。どうしたら周りの目を気にせず心からの幸せを享受できるのか。この答えを求めて日々本屋に通い、SNSでそれっぽい事を言う人をフォローする。

その迷いの中に掲げられたこのパンチライン、この腹落ち感、まさに言語化の天才である。本当に。改めて。

若林さんの"血の通う関係"とは何か。
『似たようなことで傷ついてきた者同士、共通の敵と戦った者同士であり、実生活で繋がりのある人間とのものだけではなく、自分と同じような傷を持って生きてきた人がしたためた一冊の本かもしれない』

綴られたこの一節に「兄さん、この本のことですやん、、」と悦に浸った自分はどうか。若林さんから"血の通う関係"を手渡された時、大切にしている事などの価値観が近く、自分の考えている事や、やりたい事の意味を深く理解してくれる人との関係かなと思った。

そういった人には自分の思考の細部や深いところまでを伝えたいと思うし、ほんの少しの引っ掛かりや迷いを共有して、意見を求めたいと思う。改めて振り返るとそういった時間が何よりも楽しく、尊い。

逆に価値観が合わないと、胸襟を開くことがお互いを傷つけてしまう事もあるし、かなり入り口の段階で当たり障りない浅い話へ舵を切ることになる。

『ナナメの夕暮れ』で人生の目的として結ばれた"合う人に会う"
『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』で自由になる為の拠り所として手渡された"血の通う関係"

自分も含め多くの人のもやもやの霧を、言語化の力で払い去ってくれる若林さんは、間違いなく多くの読者やリトルトゥースの"血の通う関係"であり、"会いたい合う人"だ。また今日も若林さんに会う。




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