10月/浮遊散歩
昼過ぎにマンションのオートロックを出ると、目の前の家の窓から洗濯物がはためいていた。
思わず写真を撮る。
よく晴れていて、目を細めた。
郵便局で簡易書留を出す。
帰りに近くでたい焼きを買った。眼科の15時開始まで、目の前のベンチで座って食べていた。
眼科を終え、神楽坂へ向かう。
駅から歩いて目当てのギャラリーに向かう途中、赤城神社へ。
階段を上がったところでビルや建物の少し上から夕日がこちらに向かってまっすぐ差し込んでいた。
お参りをした後に、少し立ったまま照らされていた。
眩しかった。赤く燃えているような夕日。ぼおっと突っ立ちながら、あー。と思った。これでいいのだと肯定するような夕日の赤さだった。
階段と坂を下ってギャラリーまで。
展示はよかったけど、界隈の人たちがずっと話していたり、挨拶したりしていて落ち着かなかった。
外に出る。夕飯の時間まで時間があった。
先ほど歩いてきた場所まで戻り、階段の手前、気になった方向へ歩いてみた。
車が通れないような細い道。左右に家が壁のように並んでいる。
ちらほらと人が通り、小さな子を連れた家族が角を曲がって消えていく。家の前の草木に水をあげているおじさん。
だんだんと陽が沈んできて、うっすらと暗くなっていく中、古いお店の看板が灯る。誰かが水を流し、下水道を通っていく音。夕飯を作るために点けたガスコンロの火。家の外のターボが音を立てる。
ビルの合間、駐車場があり空が開けていた。不思議な色の空だった。そこに霞んだ月が浮かんでいた。目を凝らさないと見失ってしまいそうな月だった。
さらに歩くと、違う世界線へ迷い込んできたような感覚になった。とても広く長い道の遠くの方で、小さな人が歩いている。角を曲がっていく。
一昔前の写真屋さんがカラーサービスの広告を出していた。やっていない。
大きな印刷工場のような場所は窓に明かりが灯っている。嗅いだことがあるような、懐かしいけれど新品のような匂いがした。
人は小さくなって、姿を消した。
だんだんと陽が暮れてきていた。
夕日の方向へ向かって歩く。こんな時、どう見えたかなとかどんな反応をしただろうかとか、少しだけ考える。
たしか3.4年前に前の職場の人から教えてもらった喫茶店が近くにあったので寄ってみる。
19時が迫っていて、先客もすぐに席を立った。
コーヒーを淹れてもらって、店主と私2人だけの空間。心地いい音楽とほどよい狭さ。安心する灯り。
ここも、時空のポケットのような非現実的な場所だった。
階段を降りて、外に出るとすっかり夜になっていた。
人通りが復活し、現実の世界に戻っていた。
しかし散歩の前と後で何かが少しだけ変わっているのかもしれない。
少しずつ移り変わっていく日々。
今はそれを受け入れられると思う。
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