新しい季節

若い時辛い方がとか今は修行の時期だとか、そう言われているものがそれらしいので正しいとずっと思って生きてきた。

必ずしもそうではないと今は思う。
今自分がしあわせになることについて、もっと真剣に考えてもいいと思う。
昔そう思って生きてきたのは、ただ辛い現状への言い聞かせであり自分への慰めの部分もあったんだろうな、と今は思う。
そして現状と、これからを考えることを先延ばしにしていた。


コミュニケーションについて
ある人が”自分も含め人はみんな利己的だと思っていて”と言っていて、その事について考えすぎて少し病んだ。

本当にそうなのだろうか。そして私はそうではないと言い切れるだけの自信を自分に対して持っているのだろうか。

冒頭の話ともつながるかもしれない。自分のことを第一に大切に扱うことも、それは利己的であるということにカテゴライズされるのだろうか。
私が言いたいのは自分の欲求に対して。見栄や肩書きを利用しているのは、なんというか実体がなく空虚だ。

しかし私も、今までここ4,5年の間自分の満足や物足りなさを埋めるために人を利用していたのではないか。
そしてそのことに対して再び麻痺して何も感じなくなっていたのではないか。


身近な人を大切にしたいという気持ち、もっといろんな人とあって新しいものを吸収したいという気持ち
自分の好きなものをとことん極めていきたい、そして真っ当な正しい場所で安心して過ごしたいという気持ちと、若さを使って知らない場所や周りの人をどうしようもなくさせたいという気持ち
自然に囲まれていたい気持ちと、都会で質のいい暮らしをしたいという気持ち


自分の中のすべてを認めて

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