桜を前にするとぼんやりしてくる
特に予定もないまま、会社を半休にした。
春は例年、特に理由はなくても精神的にも体力的にも不安定になる。
東洋医学的にいうと気の巡りがおかしくなるから、らしい。
何はともあれ、私は疲れていた。仕事中もうつろで、力が入らず、立つのも億劫だった。
慣れているのでまたかと思ったけど。
経験からこれはまずいと思って残業もそこそこ、早めに退社し行ってみたかったラーメン屋さんへ。ラーメンを食べ、人生初の追いご飯もしてエネルギーを投下してみた。
少しの間は元気になったが、朝起きてみたら元に戻っていた。
今年度の有給もまだ余っているのでちょうどいい。こうなったら午後休もうと思い、急遽申請をした。
帰りのお昼の車内で、さてどうしよう。と考えた。
疲れているのであれば家に帰ってゆっくり過ごすのが正解だと思うが、どうもそれだともったいなく感じてしまう。
ふと、今朝隣の席の人に言われた言葉を思い出す。
「お花見ってされましたか?私今日家の近くのコンビニ寄ったんですけど、もう葉桜で。」
お花見、していない。そして今年は開花が早いので週末までは待たずに散ってしまうだろう。
行き先を面影橋にセットする。
私は面影橋という駅があること自体最近知ったのだけれど、友達が「ここの桜を一度知れば、わざわざ中目黒とか行く必要ない」と言っていたのを思い出したのだ。
初めて降り立った面影橋は、なんだか不思議な場所だった。
路面電車が走り、古いマンションの一階に老人のためのリハビリ施設が入っていたり、営業していてるのかいないのか分からないお店に政治のポスターがびっしり貼られていたかと思えば、一歩脇道に入るとBrilliaの瀟洒なマンションがそびえ立ち頭の良さそうな制服を来た学生とお母さんがケータリングカーの店員さんと談笑していたりする。
なんとなくお互いが分離しているように感じた。興味深い町。
面影橋という名の橋に着く。
たしかに、ここの桜はなかなかすごい。まだ散っておらず、川の両サイドに花をぶわっと咲かせていた。
ただやっぱり満開のピークは少し過ぎていたようで、花びらがひらひら、ひらひらと絶え間なく川に降り続けていた。
私は数枚写真に収めたあと、しばらく橋の上で突っ立っていた。
桜を前にするとぼんやりしてしまうのだ。
何というか、焦点が合わない。ただ揺れる木の枝と、その先に咲いている花を虚無の表情で眺めていると思う。気持ちがどこか遠くに行ってしまう。
桜は明るく晴れやかな春の象徴だけでなく、どことなくその中に妖気のようなものが含まれていて、それにやられてしまう人も一定数はいると思うけど、どうでしょう。
お酒が飲みたくなり15時過ぎにスーパーで缶を買う。
次の目的地はすぐ近くののぞき坂(傾斜の凄い坂)だ。
スーパーを出て少し歩けばすぐにその坂は現れる。
中々目にしない傾斜具合に心の中で感嘆の声をあげた。向こうから降りてくる車はみんなそろり、そろりと進んでいてなんだか可愛らしい。
私はお酒を飲みながら登り切り、頂上で町を見渡す。晴れと曇りの間のような空だった。
適当にふらふらと目白駅を目指す。
千登世橋で上から都電と車の往来を見たり、脇道にそれて変なビルを探しながら歩いたり。人々の生活を感じたり。
なんだか、大学生に戻った気分だなあと思った。もしくは、フリーターか。自由で、誰かや何かに縛られていなくて、無意味で面白いことをひとりで探して満たされる。
私はたまにこういうことをして、社会と自分の間のバランスをとっている。
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