見出し画像

SWPA2024で賞をもらうまでの話

こんにちは。
萩原です。普段は舞台照明というジャンルで仕事をしており、主に演劇の照明デザインをする傍らで、趣味で写真を撮っている者です。

このたび、写真を始めた頃からずっと応募してきていたSony World Photography AwardsのNational & Regional Awardsの日本部門で一位の賞をいただきました。
英語が多いので簡潔に日本語で書くと、
ソニーがスポンサードとして行っている世界的な写真の賞のだれでも応募できる部門の、その中の国別の部門で、日本の写真として一位に選んでいただきました。
大雑把に言えば「日本一」です。大雑把に言えば。
やったー! すごい! とても嬉しい!
色々な前提条件を無視して言葉の端々を捉えて無理やり言うと日本一だ。

これが発表されたページ。
各国の国別部門賞の写真が載っています。
"Japan Winner"として僕の撮った写真が載っているの、嬉しいですねえ。

これでなんだか、ずっとやってきた写真活動にひとつの区切りがついたような気がします。文章に句点を打ったとか、改行したとか、泳いでいて息継ぎをしたとか、そういうイメージの区切りがついたという感じです。

この記事では写真を始めてからのここまでの約8年間のことを振り返ってみたいと思います。だれも興味ないかもしれませんが、区切りなのですみません。書きます。各年に撮った写真を載せて僕の写真の成長を見て貰いつつ、たぶんだらだらと文章が長いです。


2016年

僕がソニーのミラーレス一眼、α7ⅱを買ったのが2016年3月でした。
なぜ買ったのかと言えば、サンクトペテルブルクに旅行に行くことにしたからで、なぜサンクトペテルブルクかと言えばエルミタージュ美術館へ行きたかったからで、なぜエルミタージュなのかと言えば、2003年くらいに渋谷のユーロスペースでエルミタージュ美術館が舞台になっている「エルミタージュ幻想」という映画を見てずっと印象に残っていたからで、α7iiを買ったきっかけを遡るとそこまで行き着くのだと思います。
長年の憧れだった場所へ行くのだからきちんとしたカメラを買って行きたい、思い出に残したい、という事です。
なぜその「エルミタージュ幻想」を見ようと思ったのか、どこで知ったのか、その切っ掛けまでは思い出せなかったので、ここが遡れる限界でした。13年前の事まで遡れたら十分でしょう。実家のある鎌倉市から渋谷のミニシアターまでわざわざ観に出かけたのだから、当時の僕は余程興味を惹かれたのだと思います。

それと、この頃はロシアがクリミア半島を奪取して西側諸国から経済制裁を受けてロシアルーブルが暴落していたため、安く旅行に行きやすくなったタイミングでもありました。
さらに、なぜソニー機を選んだのかというと、ミラーレスなので安いオールドレンズが使えてお金の節約になるらしいと何かで読んだからでした。
全体的に「安上がりでいけそうだから」みたいな話です。

2016年3月のエルミタージュ美術館

ですが、ただカメラを買っただけではちゃんと写真をやろう、勉強しようと思わなかったでしょう。写真表現に興味を持ったきっかけは、また違った流れからでした。

2016年の頭くらいだったか、飲み屋で知り合ったグラフィックデザイナーのOCTOさんから、PHOTO JAMという展示会に出展するので観に来ないかとお誘いを頂きました。場所はギャラリーコンシールという、渋谷の雑居ビルの中にあるギャラリーです。2016年1月のPHOTO JAM TOKYO Vol.4という催し名だったかな(調べたら)

前から美術館などに行くのは好きだったり、マイケル・ケンナ氏の写真のファンでそれ関連の展示を観に行った事がありました。観に行ったゼラチンシルバーセッションでマイケルケンナ氏が講演されていたのはこれよりも前の事だったかと思います。それに自分でもそれまでも旅行中にコンデジで写真を撮ったりはしていたので写真に興味関心がなかったわけではないはずでした。ですが、僕はこういった表現者が集う展示やインディペンデントのギャラリーへ行くのは初めてでした。
そこで何を観たのかというと、様々な写真家の方の生々しい表現でした。

自己表現の写真たちでした。

キャプションを読まないと全くなんのことかわからない写真や、読んでも何もわからない、見てもなんのこっちゃかわからない写真もあったはずなのですが、でもそれでも
「写真てこれだけ自由に表現できるものなんだ」
と思ったのを覚えています。
自分もそれやりたいなと思ったのはほぼ確実にこれが始まりです。

僕が普段やっている舞台の照明の仕事は、脚本があって演出があって、その作品の要請に沿った照明を作る必要があります。つまり自分が一次創作者ではないのです。
しかし写真というメディアは、自分が自分自身の考えた表現をすることが出来るのツールなのだとここで知りました。
こういった経緯で、本格的なカメラを買い、写真にも興味が出たというのが2016年の前半でした。

2016年に撮った横浜

エルミタージュ美術館へは、ソニーFEマウント16‐35mmF4(ZEISS)とソビエト製の50mmのオールドレンズを買って行きました(ソビエトレンズはロシア旅行に対してロマン的整合性があるから。あと安かったから)。これらが初レンズです。この頃はCarlZeissなんて知らないブランドだなぁと思っていたくらいカメラ周りの事を何もわかっていなかったです。
撮り方も「下手に撮ってもレタッチというやつでなんとでもなるらしい、とりあえずPモードで撮っとこ」みたいな雑な認識でいました。そんな訳はないのに、当時は初心者すぎて何も知らなかったんですね。

16mmで撮ったエルミタージュ美術館の大使の階段
フランソワ・ブーシェ「詩の寓意」を撮ったやつ

憧れのエルミタージュ美術館では大使の階段でもラファエロの回廊でもダ・ヴィンチでもレンブラントでもなく、突然出会ったフランソワ・ブーシェという画家の天使の絵に魅了されて、しばらく眺めてしまいました。エルミタージュへは3日くらい通っていたのですが、毎日見ていて飽きなかった絵たちです。

劇場の天井裏の機構を撮ったり

これらは2016年の写真。
一年目にしては頑張ってると思うけど、始めたきっかけの自己表現という部分には全然至っていないというか、どうしたら何がどうなるのかわからないままでした。当時は「なんかそれっぽい」「なんかよいでしょ?」というところを目指してしまっていたのだろうなと思います。それは決して悪い事ではなく、感覚に従うべきところに従っていたので良かったのだとは思いますが。言葉にしたりもっと、何が「それ」なのか「よい」なのかをもっと考えられたらよかったかもですね。

仕事中に写真を撮っていて、それよりも仕事をしてと言われたなあという事を思い出します。写真もいいですが、仕事をまずきちんとするべきです。

2017年

2017年まだ建設中の新国立競技場

2017年の頃にはもうすっかり写真にはまっていました。
色々なレンズを試したい、フィルムで撮りたい、ポートレートを撮りたい、撮影旅行に行きたい、特殊な撮影してみたいなど、シャッターを押しているだけで楽しい状態でした。

フィルムハッセル用のレンズとか試している
モノクロフィルムで撮った、壊される前の築地市場
撮影旅行で香港に行くなどしたり

この頃からポートレートも撮っていたのですが、写真は割愛します。
SNSのエモいポートレートに影響されていましたが、やればやるほどポートレートとは何なのかわからないなと思っていました。
今もわかっているわけではないのですが。

この頃やっていた写真の勉強は主に2つで「紀伊国屋書店で買った本」と「ネット」です。本当にそうなので、聞かれたらいつもそう答えています。
撮り方は本で学んだものが多くて、ナショナルジオグラフィックの写真の撮り方シリーズや、スコット・ケルビー氏の本なんかで勉強していた記憶です。この本は扱っている機材も古いし、もしかしたら情報自体もずいぶん古いのでしょうけども「デジタルフォト達人への道」は押さえておくと失敗が減る基礎的な撮影のコツが網羅されていて初心者の僕はとても参考になりました。絶版なんですけど、中古で出回っています。それも7,8年前の話ではありますが。
ネットで見ていたのは主に現像についてで、youtubeとか色々なサイトとかを見ていました。LightroomとPhotoshopの使い方とそのテクニックはだいたいネットで身に着けました。まだ写真系のユーチューバーの人とか殆どいなかった時代です。

フィルムで撮った渋谷。工事中のスクランブルスクエア。
皇居にいる白鳥。エモ色にしてる。
Gene of Freedom

このイルカと子供の写真は、データによると2017年6月に撮っています。仕事の出張の間に寄った名古屋港水族館だったはず。
もともとはグレゴリー・コルベール氏のプロジェクトを意識して撮影と現像をしていた写真です。「大自然の中にいる野生動物と子供」という姿の写真に憧れて撮ったものの、もちろん水族館で撮る以上動物は飼育されて水槽の中に閉じ込められている姿が写ってしまっています。

それに気が付いた現像中に、テーマが生まれました。
水族館のイルカは大洋の夢を見るのか
というものです。
特に水族館2世3世のイルカたちには、海というものの記憶が遺伝子に刻まれているのだろうか、彼らはこの(名古屋港水族館のは広い方だけど海と比べて)狭い水槽で、見た事のない海というものを思い出したり夢に見たりするのだろうか。
頭のいい海洋哺乳類を水族館に閉じ込めて芸をさせるのは動物虐待だという主張があることは知っていますが、僕にはその是非までは結論を出していなくて、単純に海の記憶についてのロマンチックな疑問があるだけ。
そういう写真です。

これはデジタルで撮影しているのですが、いかにフィルムライクな絵にできるか、粒状を美しく(整っているという意味ではなく)見せられるか、という現像を目指していました。

2018年

たしか2017年の年末が締め切りだったと思うのですが、その年末に、この記事の表題であるSony World Photography Awards(SWPA)に写真を応募していました。この賞は大きなコンペディションにしてはめずらしく、完全に無料で応募できます。そのためとても初心者も応募へのハードルが低いのです。
この賞の応募条件はだいたいこんな感じ。

・応募料や審査料的なものはなくて3枚までは完全に無料
・もっと応募したかったら追加の応募枠を買える
・受賞しても展示のためにお金がかかる事はない
(受賞したら逆にお金がかかる賞ってなんなのとは思うけども存在するんです)(事情はわかります)
・他の賞を撮った写真でも応募してよい
・ソニー以外でも何のカメラとレンズで撮っていてもよい
・デジタルのデータを送るだけ
・プロ部門とアマチュア部門と学生部門で分かれているのでアマチュアが躊躇する必要がない
・プロ部門以外は一枚の写真で評価される
・レギュレーションは「その年に撮ったもの」、「公序良俗に反するものはダメ」、"ポートレート"や"動物"や"静物"などのその年の決められた10個のカテゴリーのどれかにあてはめる必要がある
・英語でタイトルとステートメントを書く


などです。
条件が多いように思えますが、僕にはこれが他のコンペと比べて応募への躊躇を少なくするための但し書きの様に思えます。書くべき英語はグーグル翻訳やDeepLなどの翻訳ソフトでなんとかなるし、応募の案内がある公式サイトは日本語に対応しているし、そこまで身構える要素はありませんでした。

そんなものだから気楽に応募していた先ほどのイルカと子供の写真なのですが、SWPAの事務局からアマチュア部門の「文化」カテゴリーの佳作になったよと連絡をもらった時には本当に驚きました。
入賞じゃん。
10カテゴリのwinner(1位)がそれぞれ1人で計10人選出され、shortlist(最終候補者)が各カテゴリに10人ずつで計100人、佳作が各カテゴリに50人ずつで計500人。つまりこの年のアマチュア(オープン)部門では610人が発表されているらしく、僕がそのうちの一人だと思うとすごいことです。たとえ610番目だったとしても、応募した世界のアマチュア達の中からの610番目なわけです。
メールによると4月にあるロンドンのSWPAの展示会で「デジタル展示」してくれるという事でした。写真をやっていてこんな機会はもう二度とないぞと思い、観に行くことにしました。

ロンドンのサマセットハウスでデジタル展示してくれていました。やったー。ソニーのモニターにスライドショーで佳作の写真500枚を20秒ずつ表示してゆくという形だから"展示"されるまでだいぶ待ったけど。やったー。

せっかくイギリスに来たので、ロンドンで観光するのはもちろんのこと、ニューフォレストナショナルパークというイングランドの西にある国立公園に行きました。そこには馬が沢山いるらしいので、馬を撮りに。
この頃の僕はどうやらグレゴリーコルベールの写真に憧れている節があるので、動物を撮りたい欲があるのですね。

一緒に来てくれた神林氏
朽ちた木もそのままの森
今考えるとハッセル"も"担いで移動していたとか、よくやってたな。身体がまだ若かったんだ

この国立公園では半野生の馬が放し飼いにされているというので、首を振り上げて雄々しく走ったり堂々と逆光の中に立っている馬や馬の群れの写真を撮りたいなと思っていました。行ってみたら実際にだだ広い丘や、草原や、森や、沼や、点在する町なんかに普通に馬が歩いています。
こんだけいたらイメージしている馬の写真撮れるでしょ。

馬馬馬

顔を上げている雄々しい馬などぜんぜんいませんでした。
みんな草食べてる。ずっと草食っとる。平和だな。

この馬たちが草を食べるからあまり木が育たないエリアがあって、草原などが維持されているのかしれません。そういう姿を自然な形で残すための国立公園でもあるのでしょうね。
それにしても馬たちは、ずっとむしゃむしゃしながら、頭を垂れている……。サラブレット達が格好良く独立独歩の気を吐きながら暮らしている様な姿は……どこ??
そんな馬はいませんでした。
みんなずっと草を食べています。
という事で、その日の最後の方にはもう格好いい馬を撮る事は諦めて、より彼らの自然な姿の、草を食べてる馬をちゃんと撮ったろと思っていました。
それで撮った写真がこれです。

wild meal

この写真を、この年に募集されたSWPA2019に応募したところ、日本賞の3位に選んでいただきました。日本賞というのは今回僕が1位をいただいたやつです。
この写真は初めに買ったカメラのα7iiと一緒に買った16‐35mmのレンズの組み合わせで撮ったやつ。3位だけど快挙。やったー。すごい。
この写真のキャプションはこの上の段に書いた通りで、ざっくり言うと
"もう格好いい馬撮るのは諦めて自然に草食ってる馬を撮ったよ"
というものです。
(受賞したのは正確にはこの写真を左右反転させたものだけども)

翌年の話ですが、日本賞の選者である写真家のハービー山口さんにこの様な選評をいただきました。

「馬の顔をこうしたアングルとフォルムで撮影したことで、新鮮な馬のポートレイトになりました。モノクロのトーンと空の質感などにも気配りがあり、構図的にも丁寧な仕上げられています。そしてポートレイトの基本の一つに瞳にピントを合わせることですが、この馬の大きく優しそうな瞳に確実にフォーカスされていて、馬の性格までもが捉えられています。」

なるほど、馬のポートレート……
ポートレートというのは人の写真である必要は必ずしもない概念なんだなという気付きを得ました。また背景の現像にめちゃ時間かけたのを覚えているので、そこを見てくださったのはすごいな、よく見てくれているんだなと思いました。プロの眼にはそういうものがきちんと見えているんだなと。きっと、小手先の小細工なんかもきちんと見られてしまうんだろうな……。

ただ、この賞の知らせも講評を貰ったのもこの翌年の話です。2018年4月の時点ではそんな大それたことになるとは露にも思わず、ただただ綺麗な景色や見慣れない光景を見て楽しく写真を撮っていました。
この日は遠出してしまって、辺りは一面街灯なんてないただの草原だから日が暮れたら遭難してしまうと思い、それでも夕暮れの景色が綺麗で、写真を撮りながら時間ギリで宿に戻れるかドキドキしながら移動していた思い出です。冒険でした。楽しかったなあ。重い機材を担いでいたので肩が死んだけど。

この時は馬の姿もポートレートになるとは思って撮っていなかったし、ポートレートとは何なのかまだまだわからないまま、ただ人を撮りたいと色々と撮らせてもらっていた2018年でした。

僕の仕事の主なフィールドである演劇は人の所業で、生身の人間が肉体と声とで表現するもので、フィクションで、でも舞台と客席の間にはリアルな時間や感情が共有されていて……僕はずっと昔から演劇に携わっていて、演劇が好きで……
そういう所から僕は人を撮りたいと思っているんじゃないだろうか、だからポートレートをやりたいのではないだろうか、と曖昧には思っていたのですが、この当時はまだまだそれを明確に表現出来る言葉は浮かびませんでした。

あと、この年の写真関連の事でいうとマイケル・ケンナ氏の大規模な展示会が東京都写真美術館で行われて、そこで来日した氏に写真集へサインを貰ったりしました。
写真も沢山見れたし、とてもよかったです。

僕が目指す写真の美しい粒状は、マイケル・ケンナ氏が初期の頃に今のハッセルブラッドではなく35mmフィルムで撮っていた写真にインスパイアされているのかもしないと思いました。

2回しか行けなかったけどね

2019年前半

この年のはじめ、2月、横浜で行われる大規模な写真の合同展示会「御苗場」というイベントに出展しました。
大桟橋にある大きなホールで百人をも超す出展者のもとで行われ、審査のない、プロもセミプロもアマチュアもお金を出して展示スペースを借りれば誰でも出展していいしスペース内でどの様に展示してもいい、ごちゃまぜだけれども排除されない写真表現に優しいイベントです。(でもヌード写真とかには制限があった気がする)

出展に応募した時はまだ馬の写真が日本賞に入賞したという連絡を貰う前でしたが、前の年のイルカの写真での「佳作」があったので軽く自信をつけていた僕は、そろそろ不特定多数の人に見せても大丈夫な写真を撮れているのではないかと思い、写真を見てほしいなぁ、でもTwitter(現X)のアカウントのフォロワーが100人くらいだしなぁと実らない自己顕示欲がうずうずしていたので、大きな展示会であれば沢山の人に見てもらえるはずと思い思い切ってスペースを借りたのでした。

動物のモノクロの写真でまとめた展示

展示したのは賞で発表してもらえたイルカと急遽賞を獲った馬、それに動物で揃えようと思って、前に撮っていた他の動物の写真でまとめました。

実際に色々な方に見ていただけて、200枚刷ってきた名刺は全部なくなり、また色々な出会いもありました。同じ会場で展示していた江ノ島写真部の五月さんに後日声をかけていただいて一緒にフォトウォークへ行く仲間にいれてもらったり、flickerという写真サイトで交流のあったアメリカ人のアンドリューさんがハワイから見にきてくれて2人で関内の赤提灯で焼き鳥を食べたり(僕は英語が話せないのにどうコミュニケーションとっていたのか思い出せないけど…)と、楽しい時間を過ごせました。展示をしてる周りの人たちみんな写真をやっている人たちばかりだから、同じ趣味の人たちばかりなので、それはもう楽しいに決まっています。
お話しさせていただいた他の出展者の方たちもみなさん気持ちの良い方たちばかりでした。

御苗場では展示を見てプロの写真家さんやキュレーターの方などがこれはという展示ブースに賞をくださるという趣向がありました。この年はソニーが協賛に入っており、SWPAの認知の向上や宣伝もあると思うのですが、SWPAの日本賞の展示ブースも作られていました。なので、僕の馬の写真は2枚会場にあることになりました。たまたまですが。有難い事です。
(本当は同じ写真が3枚あったのだけど長くなるので割愛します)

このイベントでTwitterのフォロワーさんも50人くらい増えたのではないでしょうか。あの時知ってフォローしていただいた方がもし今これを読んでくださっているのであればとても嬉しいしご縁というものを感じます。エモいという感覚になりますね。

この年に僕が受賞したSWPAの日本賞もしくは日本部門賞というのは、先に書いたアマチュア(オープン)部門の10個のカテゴリーのどれかに応募した人の中から、カテゴリーに関係なく自動的にその人の住む国や地域でわけて、その国や地域ごとに表彰しようというものです。日本から応募したら自動的に日本賞の候補になるというわけですね。
National Awardsというものになります。
このナショナルアワード受賞作も、またしてもロンドンでデジタル展示してくれるという事でしたので、僕はナショナルアワード・日本部門3位の連絡が来たときにはもうロンドン行きのチケットのことを考えていました。2019年の初めの方は、2024年初頭の今と比べてまだまだ航空券もポンドの為替レートも安かったのです……。

というわけでまた4月、行ってきました。
仕事の都合で、期間としては帰り際にギリギリ展示初日を見られるかなーくらいの日程でした。展示初日の前までは空いていたので、そこで観光をがっつりしようという旅程です。

前の年にロンドンへは一度行っていたので、そのまま同じことをするのでは面白くないなと思い、今回は旅程を増やしてまず飛行機でフランスに行って、フランスで観光をしたのちに船でドーバー海峡をわたってイギリスに入り、電車でロンドンまで行く、という旅にする計画にしました。
何故フランスなのかというと、パリのルーブル美術館には、僕がエルミタージュ美術館で毎日通っては見ていたフランソワ・ブーシェの描いた絵だけを飾ってある展示室がひと部屋あるという事だったからです。
ぜひともそこを訪れたい。
ブーシェはロココ時代のフランス宮廷画家なのでパリの方が本場なのですね。

この時に撮った写真をまとめたnoteの記事が↓のものです。
今読み返すとブーシェのこと全然書いてないですね。単純に写真を見てほしい欲がすごい。自己顕示自己顕示。noteはいつもそういうつもりで書いているのですが。

この時に何を思ったのか、僕はイギリスとフランスのモデルさんにポートレートを撮らせてほしいと連絡をしてポートレート撮影のブッキングをしていました。英語もフランス語もわからないのに。こんなこと出来ちゃうインターネットってすごいですね。無謀にもほどがある。
しかし実際に撮らせてもらう事ができました。

asiaさん
kahさん
camyさん
juliaさん
monaさん
isabellaさん

6人と交渉をしていて6人ともドタキャンなしできちんと時間に来てくれて、きっちり2時間ずつのシューティング。半分くらいは実現しないと思っていたから6人と撮影を組んでいたけど、全員ちゃんとしてくれていました。海外の人は時間や約束にルーズみたいな勝手な偏見があったのですが、想像だけでそういう判断をしてはいけませんね。なんなら彼女たちより普段の僕の方が余程ルーズです。
緊張したけど、始まってみたらみんないい人で、終わってみたら楽しかった思い出しか残っていません。
事前にwhts app(海外のLineみたいなやつ)とグーグル翻訳で翻訳を噛ませながら英語のやりとりはしていたものの、リスニングもスピーキングも中一レベルの僕が、撮影中どうやってコミュニケーションをとっていたのかをもうほとんど覚えていません。必死だったはず。頑張ればぜったいに良い写真が撮れるといえるほどの写真の腕はない自覚があったので、とにかく相手に迷惑かけないことを心掛けていたと思います。あと言葉がわからないなりに楽しくしようという所は大事にしていました。
よく頑張ったよ。
楽しかった思い出で終わってはいるものの、でも、もうやれないなあと思いました。行きの飛行機で英会話の付け焼刃の勉強をしてゆっくり過ごせなかったし、ブッキングした事への緊張もあって、それらに伴う後悔がすごかったから。なんでこんなことしちゃったんだろうと飛行機の中で頭を抱えていました。

でも、何人かはいまだにインスタで繋がっています。良い思い出です。

今回の撮影は、言葉がスムーズには通じないので、場所を指定してなにかポーズをとってもらう、その時のモデルさんの表現を撮る、というような撮影が主になりました。こういう場所で雰囲気で撮れたらいいなみたいな話は事前にwhts appでしていたので、ある程度は僕の意志も介在しているとは思います。ですが形としては主に「モデルさんの姿形と表現を切り取る」というような撮影だったと思います。そこには僕が撮ってもいい事になっている被写体がいて、被写体がモデルとしてなんかしていて、それを僕がスナップする、みたいな撮影。これもその人の肖像を撮るという意味でポートレートだとは思いますが、僕が初めに志した「自己表現」とまではいかないものだったと思います。(今回のこれがよくなかったというわけではなくて)

これはドーバーの浜辺の夕日だったか朝日だったか

このパリロンドンに行く前の2月の御苗場出展中に、ソニーのSWPAの当時の担当の方とお話をさせていただく機会がありました。
僕がロンドンまで自分の写真を観に行くつもりだと話をしたところ、行く予定だった展示初日の前の日にある表彰式&レセプションに来ないかち誘っていただきました。
知らなかったのですが、どうやらナショナルアワード1位の人とプロ部門とアマチュア部門のwinerの人は航空券と宿泊費をソニーが出してくれて、世界中からこのロンドンの表彰式に招待され、そこで表彰してもらえるという事なのです。というかそもそもがプロ部門とアマチュア部門の総合一位をこの式で発表して翌日の展示で大々的に掛けるという趣向だったみたいです。
僕は3位なので当然その権利はないのですが、自費で渡航していてたまたまその日にロンドンにいるのならば、もしよければレセプションを見てみませんか、とお招きして頂きました。
ソニーの担当の方と御苗場でのご縁があって直接顔を見てお話ができて、僕がたまたまその日にロンドンに居る事がわかったあとに、おそらく会社の稟議を通してから改めて話をしてくださった特別な事だったと思います。
僕のこの時の気持ちは「恐縮です」というものでした。自費で行っているとはいえ有難すぎて恐縮する以外にない中、興味が勝ってぜひともとお願いをしました。「こんな機会なかなかないからね」と自分に言い聞かせて。

レセプション会場の「デジタル展示」
イギリスだからマーチン社の照明機材を使う…というわけではなさそう。仕事柄こういうところ見ちゃう
後日郵送されるはずだったトロフィーを現地で貰いました

僕はおまけで脇にちょこんといさせてもらうだけでしたが、ついでに表彰もしてもらえたし、すごく良い経験をさせていただきました。
それに世界レベルの写真を体験できたのは大きな経験になりました。元の予定通りただ展示を見ているだけでは、これがどのレベルですごい事なのかこれほど実感はわかなかったでしょう。展示会場でも流れていましたが、プロ部門のwinerの人がどのようにプロジェクトに取り組み写真を撮っているのかを映像を見て、アマチュア部門との写真への取り組みの深さの違いを実感しました。
プロ部門はその写真家の取り組んでいるプロジェクトのシリーズ写真(複数枚)で応募して評価が決められます。ナショナルジオグラフィック誌の写真特集みたいなものだと思うと近いかもしれません。この、写真への深度こそが写真を"作品"というものにしているのだなと思いました。(いろいろな見解はあると思いますが)

僕が特に感銘をうけたのは、プロフェッショナル部門ポートレートカテゴリ3位のLaetitia Vançonさんによる "At the End of the Day"という作品でした。

スコットランドの過疎化が進むある島に住む若者たちのポートレートです。
誰か個人ではなく「島に住む若者」のポートレートとなっているようでした。美しい写真たちの中から、若者たちがその島でどのような事を思って暮らしていて、またなぜ島を去り、もしくはなぜ戻ってくるのか、というテーマが見えてきます。先の見えない閉塞感や、寂寞とした雰囲気に心がぎゅっと締め付けられました。
これも人物写真ではあるのでしょうが、ただの個人を写して表現したポートレートではないことはわかります。そこに生きる「若者」「その島の暮らし」「過疎化という問題」というものを捉えて、該当の島の若者の感情や姿を写すことで表現し訴えた写真たち。そしてそれをポートレートと呼んでいます。
ポートレートというジャンルの深さよ。
それにしても他所からきた人間が一朝一夕で撮れる写真でないことは一目瞭然で、こんなものがたとえ日本であっても自分に撮れるのかと問われたら絶対にぜったいに無理です。絵の美しさや隠喩表現や切り取る視点だけではなく、とにかくすごすぎる。出会えてよかった作品です。

余談ですが、at the end of the dayは直訳の「一日の終わりに」という意味だけではなく、英語では「結局のところ…」というような使われ方をする慣用句らしいです。また僕が勝手に「人類の宝だ」と思っているミュージカル、レ・ミゼラブルの劇中で歌われる曲のタイトルでもあります(ファンティーヌが工場から追い出されるシーン)。
様々な情緒が想起されるいいタイトルだなあと思いました。

展示会初日のデジタル展示

この年から昨年僕のイルカの写真を取り上げてくれたOPEN(アマチュア)部門の佳作が発表されなくなりました。
なので昨年僕の写真をデジタル展示してくれていたブースはこの年にはありませんでした。昨年はギリギリ発表してもらえる機会にすべりこめたということですね。
セーフセーフ。

レセプションの帰りのスナップ
ロンドンのチューリップ
自分でブッキングした宿の屋上からの景色。チムチムチェリ―って感じ。

2019年(後半)

この年は長いので分割です。後半です。
この年の後半は二度海外へ行きました。つまり2019年は都合3回行ったことになります。
ほんと、今思うとコロナ前で安く海外旅行が出来る最後のチャンスでした。

後半の一度目は、10月。
仕事で同じチームの後輩が一年間休んでワーキングホリデーでカナダのトロントへ行っているので、同じ仲間と共にそのトロントへ遊びに行きました。

AirBnBでとったマンションの宿から

この辺の事は別記事に書いているし、特に写真についてのエピソード特にありません。たくさん写真を撮って楽しかったなあ、です。よかったら写真をみてやってください。↓

二度目は、11月。
2月の御苗場で知り合った本多俊一さんとヤン・ケヴィンさんに声をかけていただき、フランスで行われるパリフォトの期間に合わせてパリのギャラリーで写真を展示するという企画に参加しました。
もちろん我々の展示がパリフォトに正式参加するわけではないですし、交通費は自腹ですし、その他展示にかかる何もかもの費用は仲間内での折半になります。とはいえすごく面白そうなことに誘っていただいたので、日程とお金が何とかなれば参加しない手はないと思いました。

ギャラリーの一角にあるレンガの壁がよかったのでこのスペースをもらいました

設営期間や展示の合間を縫って、各々パリフォトの展示会場を見に行きました。というかそれを見るのも主な渡航の目的の一つでした。

パリフォトは「様々な写真を観れる場所」や「一押しの作家を紹介します」という企画の側面はあるのでしょうけども、僕が感じたのは、ここは「写真を売買します」というアートマーケットだなという事でした。
個人ではなくギャラリー単位で出展しブースを作っていて、そこの推している作家の作品を展示してさらに売っているという感じ。コレクターの人が来て、今年のこの作家の新作はこれかと見定めて買って行ったりしているとのことでした。
もちろん新進気鋭の作家だけではなく、大御所的な存在の作家さんの作品もあります。という事は買わなくても有名な写真家さんのプリントを見る事が出来るわけです。
日本からもギャラリーが出展していて、森山大道さんや荒木経惟さんはフランスの人からも推されている様子でした。またセバスチャン・サルガド氏の「人間の大地」のプリントを見る事が出来たりしてとても興奮したのを覚えています。この2019年の前半の記事で書いたSWPAのプロ部門で扱っている「プロジェクト毎のシリーズ写真」というものはサルガド氏の写真がひとつの金字塔となっているのではないでしょうか。僕はサルガド氏の写真、めちゃくちゃすげーと思っています。みんなもそう思っていると思います。

パリフォトのメイン会場であるグラン・パレ
パリフォトの会場で

当然フランスの人だけではなく、EU圏やその他の国からも人が集まってこれだけの賑わいがあるのでしょうけども、それにしても、こんなに写真関連のものだけで人が集まり、楽しそうに過ごして、さらに写真が普通に売買されている環境って、日本では想像できません。
無理やり日本の環境に当てはめたらコミケみたいなものなのかな? コミティアとかの方が近いか。とちょっと思ったりします。日本で浸透している漫画文化みたいに写真やアートの文化の扱いがあるのならば、マンガ読みとしては「そういうものかも」と思えなくもないです。
なので、会場を歩いている雰囲気としては、芸術を扱うセレブでハイソサエティーな人たちの集まりという印象ではありませんでした。カメラとか機材ではなく写真を気楽に楽しんでいる人たちがたくさんいるなという印象です。難しく考えてしまいがちな僕とは違い、気楽な写真の楽しみ方を知っている人たちなのだなと思いました。
写真やアートは日常にあるものというか、なんだか、雰囲気が軽やかです。

パリに来て、いかにもパリでございますという写真を撮る価値はたしかにあるかもしれません。僕は沢山撮りました。撮りたかったし。

普段あまり見ない建物や光景は珍しくてカメラを向けたくなります。構図も面白くしようとしたり、現像でいかにもな色に転ばせたりもするかもしれません。それが表現というものですし、クリエイティブな事だなと思います。

そもそも旅行者は珍しいものを見に来ている側面があります。旅行先に先入観もあり、ステレオタイプも存在していて、期待もあり、そういう視点になるものです。それが写真に出るのは当然ですし、同じ視座の人からそれが見たかったとか面白いとかと評価してもらえるかもしれません。

でも時が経って見返すと、このただの枯れ葉が落ちている道のような、こういう何も意図していなくて何も工夫していない、現像でいじってもいない、ただの道の写真の方がなんだか懐かしく…こう言っては変なのですが「正しい」と思えてきてしまうのです。なにが正しいのかというと、僕の感情に合っているという正しさです。少なくとも撮った僕自身は写真から僕の自意識を感じないし、編集していないことを知っているし、実際に目で見た何の変哲もない道と同じものが写っていると思える。あ、パリだなと思うのです。

表現というものを放棄したといえばその通りなのですが、僕はこれはとても大切な感覚なのではないかと思って、無視できずにいます。

その無視できないものは、パリフォトでの鑑賞者の人々から感じた写真に対する軽やかさと何かつながるものがあるのではないか。撮影者は地に足をついた何かとつながっている必要があり、それは手の届きにくい高潔な場所にある特別なものではないのではないか。
そんなことをぼんやりと思います。

2020年

この年は2月に横浜大桟橋に停泊していた客船で新型コロナウィルス確認され、広まり、色々な事が停滞した年でした。4月に緊急事態宣言が出たり、しばらくしたのちに解除されたり、様々なイベントが中止になったりしました。
それになにより、これまで顔と顔を突き合わせて築いてきた人と人の関係もリセットとまではいかないものの、ガラッと変わってしまったかのように思いました。
そういうのが寂しくて書いた記事があります。

これまでの僕はポートレートでは割と「スン」とした表情ばかりの写真を好んでセレクトしていたのですが、この記事の写真はそれからみたら選ばなかった写真だけれど、その現場では楽しかったよね、というのが写っている写真をメインで選んだ記事です。笑顔とか多めというか。ラフなもの多めというか。オフショットといえばそうかもしれません。
撮った当時はレーティングも付けていなくて自分の中では完全にボツだった写真でも、別のテーマで見直してみたらとても良いなと思えるものが沢山ありました。よく撮影と同じくらいセレクトも大切だと言われていますけれども、セレクトの方がその人の求めているものがよく出るような気がします。
これまでの格好をつけた写真やスンとした雰囲気のものも決して悪くはないけど、僕はこの写真たちに「血の通った」人間が写っているのだということを再発見しました。またそれには、この写真たちをセレクトした僕の「ひととの繋がりが希薄になるのが怖い」をなんとかしたい欲求が出ていたのかもしれません。

これはあのころ、家の天窓から見ていた景色
当時の中古カメラの価格
落ち着いてからひとのいない京都へ旅行
現像で遊んだり
ここぞとばかりに旅行に行きました
地元にも旅行です
これは鳥取砂丘。翌年、この写真で賞をもらって、副賞でカメラも貰いました。

緊急事態宣言が終わった後も自粛やらなにやらで舞台照明のお仕事がない間に、アイビスプラネットという舞台制作の会社を営む登紀子さんの企画に声をかけていただき、劇作家さんが書く掌編小説を舞台俳優が朗読するというyoutube番組の写真を撮らせていただきました。
一部をリンクに貼りますが「朗読文学」という企画です。
僕が撮影させてもらったのは朗読で出演される俳優さんのポートレートです。その物語の内容に沿う写真という面と、朗読する俳優さんのポートレートという面とがある写真を撮りました。

この撮影は、僕が自分で考えなくても元になる小説があるので「テーマ」や「目標」や「表現すべきこととすべきでないこと」みたいなものがすでにある状態から撮影を考えられました。とても楽しかったです。
というのも、先にも書きましたが僕が普段やっている舞台照明デザインというのはクリエイティブ寄りの作業ではあるものの、0から1を作るものではありません。まず企画や脚本があり、稽古で作られてきた見せ方の演出があって、それに対してどう照明を作るのか考えるというものです。ある程度決まっている演出の枠組のなかでどの方向に収めるのか、またははみ出すのか、みたいなものを作っています。自分なりの表現を「物語や演出の枠組み」の中でするということです。
例えば夕方を表現するのにオレンジの斜光を作るのか、それとも前のシーンからの明るさの変化で日暮れを感じさせるのか、または写実せずにお客さんの想像を掻き立てる仕掛けをなにか考えるのか。

今回はこの舞台照明のクリエイションに近い撮影になったなと思いました。例えば「夕方」という表現する目標があるなかで、自分なりの工夫をする。掌編小説のテーマやシーンがある中で、俳優さんの魅力と物語を表現する。
作品との向き合い方がずっとやってきた仕事と同じ方向のものだったので、しっくりきたのかもしれません。

こちらの方が僕に向いている創作の方法なのかもなーと思うものの、やはりゼロからイチを作り出すような、テーマから自分のものである表現に憧れてしまいます。長年演劇の創作現場に関わっているけれども、やはり舞台照明は自己表現というものとは違う形のものなのだなと思い知りました。
楽しいんですけども。多分、精神的にアクションよりリアクションの方が向いてるんですけども。

年をまたいで現像したので規定でSWPAには出せなかった写真。

この年はあまり本業が忙しすぎず、このように写真の事を色々と考えられた年だったかもしれません。

2021年


2020年も2021年もSWPAには応募していたものの、ぜんぜん引っかかりませんでした。二度の経験から「この時期に連絡がなかったら落選」というのがわかるので、諦めるのも早いです。その感情を思い出すに、当落を気にするくらいにはソワソワしていたんですね。やはり最初に2年連続で佳作と日本賞3位を獲れた事が奇跡だったのでしょう。思いあがってはいけません、などと自分を戒めます。
あと、この頃からどこかで「この写真は賞に値するものだろうか」と考えながら撮ったり選んだりしていたように思います。そんな基準、僕が判断できるはずもないのに。

2020年撮影の大友歩さん

そんな事を考えながら過ごしていたら、本選の発表も終わったぜんぜんあとの七月に、ソニーさんから
「実はこの写真が日本賞の佳作でした。日本のSWPAの展示会で展示たいので大きなデータを送ってほしいです(大意)」
という内容の連絡をいただきました。
規定では公式には3位まで発表されるけれども、佳作は発表されません。サイレント佳作というか最終選考にまで残してくれていたのですね。そういうのあるなら励みになるから教えておくれよーと思いますが、規定は規定です。今回の教えてくれたことはイレギュラーなのかもしれません。
この年はまだコロナの影響があり、外出やイベントに積極的になりづらい年でした。それでも展示会を開いてくれて、こうしてプリントして展示してくれるのはありがたいなあ。

展示を見に来てくれた父の帰り道

さらにこの年の出来事として、昨年撮った鳥取砂丘の写真が、マップカメラのライカブティック開店8周年記念のフォトコンテストでグランプリをもらい、賞品でLEICA-Q2monochromeを貰いました。
三位とか佳作じゃなくグランプリ。もちろん名誉としても嬉しいけども、なによりコンテスト主催がこの写真には高いカメラを副賞として授与しよう思っているという事が、本気度を伺わせてくれてより嬉しいです。
この4月からQ2monochoromeでの撮影が増えてきました。

このカメラについては色々と記事を書きましたが、良いカメラです。
持ち出しやすいしコンパクトだし。

もちろんこの年もSWPAに応募しました。
しかし翌年も受賞の連絡はなく、すべて落選です。
ただしもしかしたら何かの最終選考に残っていたのかもしれません。OPEN部門のcommentedの発表は廃止されましが、選ぶ際の手順としては存在するはずですし、日本賞にも佳作というか最終選考というものが存在していることがわかりましたし。教えてくれたら「この方向で間違っていなかったのか」と励みになるのになあと思いました。
……この
間違っていなかったのか
という考えは、僕が賞のための写真を撮れているかどうか気にしまっている証左です。この頃の悩みでした。この頃の僕は写真が「誰かに評価されるかどうか」から逃れられていませんでした。
自分が素直に良いと思ったものを撮っているはずなのに、心の中に入りこむ自分からの「狙いすぎじゃね?」の声。力を抜きなよと今となっては思うのですが、当時はどうしたらよいのかわかりませんでした。
そういった葛藤があったけど、葛藤を表に出す(写真に表す)というような発想も手腕もなかったなと思います。

ちなみに↑これは翌年に書いた記事で、この年に応募した写真とそのタイトルとステートメントを載せています。落選した写真ですから、あまり見る価値はないかもしれませけども。
(僕は良いと思っている写真なのですが)
(でも写真にむりくり意味を見出そうとしている変な自意識も垣間見える)
(格好つけずにもっと素直に自分の撮ったものと向き合ったらいいのにと思えるものもあるなあ)

写真への素直さが遠くには見えているのに、もがいても「評価」がからみついてしまって手に届かない感じ。
2018年頃の自分にはまずもってなかった壁です。

2022年


この年も賞のための写真みたいな意識から離れられていなかったと思います。とにかく絵の中に意味を見出そうとしている感じ。写真としてはその1枚なり数枚に意味がついていなくてはいけない、という気持ちが強かったのでしょうね。ずっと引き摺っている。

これはSWPA等の賞の事もあると思いますが、2016年からずっと1X.comという写真の審査ギャラリーに投稿していたことも原因かもしれません。
1Xの事はここでは詳しくは書きませんが、2021年までそうとう基準が厳しく、投稿した写真は9割以上落とされるような審査があるサイトでした。
この1Xの基準に適うかどうかも相当意識してしまっていたと思います。
(この2022年頃から2段階の審査基準に変わって、2段目は前と変わらない厳しいものの、1段目としてゆるい基準が新設されました)

この年に撮った写真も、SWPAは落選。
もうそういうものだよね、と諦めかけていました。はじめの2年が奇跡だっただけなのです。どれだけ色々考えて、足を使って撮影して、現像しても、とにかく響かない。
この頃は、どういう基準なのかわかりませんが、無料枠の3枚を応募すると、しばらくしてもう10枚の無料応募枠がもらえる事がありました。なのでこの年は結果的に13枚の無料枠があったのですが、それともう10枚位は応募枠を買って応募していたと思います。はじめは3枚の無料枠だけで応募していたのに、一度入選したあとに落選が続くと、さらなる入選を求めて有料枠を買い出したわけです。ドーパミンの中毒症状みたいになっています。

この年はもう仕事もだいぶ戻ってきて、色々な場所で仕事をさせていただきました。2019年以前と同じようにとはまだいきませんが、いろいろな景色を見て撮影してきました。

2022年で特に行けてよかったなというお仕事のひとつにフランスでの仕事があります。ファッションショーの照明のお仕事をさせていただきました。
内容的にもやれてよかったなあというお仕事で、さらに現場にいる時間が9時半‐18時というホワイトな仕事環境で、街を撮影する時間もあり、とてもよかったです。

この記事の2P目に僕も写ってますね。
さらに、その時の写真を載せたnoteもあります。

パリでも良い写真が撮れたと思うのだけどなあ。賞には入れなかった…
2019年の11月にパリに行って、そこからコロナがあり、2022年9月に再びパリ。3年ぶりです。3年前の事とはいえずいぶんと前の事の様に思います。この時の僕はあの頃の後悔と反省の気持ちを忘れて、またモデルさんとブッキングをしました。とはいえ直前に「もし上手くいったら楽しいかも」と思いついた程度だし、自分の自由時間も限られていたので、決まらなくてもいいか、なんなら決まらないでくれ…と矛盾した気持ちでいました。サイコロを振るだけ振って運命を任せてみる感じ。

agataさん

詳しくは先ほどのnoteに書いているのですが、直前に連絡をいただき、agataさんというモデルさん1人と撮影することができました。2hだけフォトシューティング。

このハイライトがシアンの色味は「LEICA」ってこういう色でしょという僕の偏見により作られたプリセットによるものです。ソニーで撮ってるのだけれども。
パリってなにやっても背景が何かっぽくなってよいよね

agataさんはどうやら日本の文化が好きだ(興味ある?)という事を、僕がほぼわからない中の英語のやり取りで聞きました。村上春樹とか読んだり、てぬぐいを持っていたりしているらしい。のちにインスタを交換してチャットのやり取りをしたりしている中でそういう話をしたり、僕のラーメンのストーリーズに「それ食べたい!」みたいな反応してくれたりしてくれました。ラーメンパリにも美味しいところあるけどね(高いけど)。

そしてこれらのパリでの写真もSWPAは落選。
OPEN部門の中に「TRAVEL」という、旅行中に見たり得たりインスピレーションによる写真を評価を競うカテゴリがあるのですが、そういうところに引っかかってくれたら嬉いなと思っていました。
でも実際にショートリストで発表されている写真のレベルを見たら、僕が敵うものではないなと思い知らされます。こうやって自分と比較することで目が鍛えられていくのかもしれません。

今見ると、こういう格好つけてない写真が染みるんだよなあ。

2023年

ようやくたどり着いた。2023年です。

この年の2月。
前年にパリへ行った際に撮影させていただいたagataさんがどうやら日本に旅行にくるらしく、インスタで「よかったら日本の美術館を教えてほしいのだけども…」というメッセージをもらいました。
そういうの言われると燃えてしまうので東京のおすすめ美術館をgoogleMapでマッピングして英語でコメントを書いたものを作成して送ります。あとついでに美味しいラーメン屋の情報のレイヤーも作り送りました。

そのやり取りの中で、東京でも撮影できたりします?と気楽に聞いてみた所、快諾。日時を合わせて東京で撮影することになりました。
すごい縁ですよね。

この日は渋谷で集合したのですが、最終的には新宿へ向かいました。
というのもagataさんが数日前、日本に来た後に「Lost in Translation」という映画を見たとインスタのストーリーズにあげていたからです。飛行機の中にあったのか、ホテルのVODにあったのか配信なのかはわかりませんが、何かで見たらしい。

これは僕の一番好きな映画です。
日本が舞台のアメリカ映画で、2004年頃にTSUTAYAで借りてきて見た気がします。実家の、自分の部屋でした。

仕事などで日本へ来たものの言葉も文化も違いうまくコミュニケーションがとれず、味方がいない状態で、周りに人が沢山いるのに孤独で、つらくて早く帰りたいと思っている二人がある日出会い、この空虚な国で共に過ごすうちに心を通わせて行くという映画です。
正直なところ日本を舞台にしたアメリカ映画かあ楽しそう、という位の興味で借りて見たのですが、当時の僕の感じていた居場所のなさ、周りとうまくコミュニケーションとれずにいる孤独感のようなものを救い上げてくれた、もっといえば理解してくれたと思えた作品でした。
それらが昇華するラストシーンで何がそんなに昂ったのか僕はボロボロと泣いてしまいました。それ以来ずっと僕のベスト映画として存在しています。
これを撮ったソフィア・コッポラ監督はこのあともしばらく似たテーマの映画を撮られていたため、僕は勝手に監督にシンパシーを感じていました。
(ですがある作品からこのテーマは完結したように思います)

agataさんがこの映画を見たという情報を得た僕は、ぜひともこのラストシーンである西新宿で撮影したいなと思いました。
新宿の西口は再開発が徐々に始まっており、この映画の最後のシーンに映っている風景は、そのうち消滅してしまうことが決定しています。東京の早いペースのスクラップ&ビルドは魅力でもあるのですが、消えてしまうものへのさみしさはつのるばかりです。
僕はこの映画の感情が詰まった景色でポートレートを撮りたいと、ずっと思っていました。状況的にも、今回がそのチャンスなのではと思いました。相手も映画をわかってくれているわけだし。

映画の中の季節は春、時間は早朝です。
撮影したのは春前の寒い季節、夜という状況で違いはありしたが、僕は満足です。

そしてここへ移動しながら撮影して、解散。

良い撮影でした。

ちなみにagataさんはプロのモデルで、このとき日本のあるブランドのメインビジュアルに起用されていました。それが公開されたタイミングでもあるからこの時期に日本に旅行へ来たのかもしれません。
貴重な旅行中の時間を僕との撮影に割いてくれて嬉しい限りです。

「discovery」

この2023年も仕事で色々な所へ行かせてもらいました。
たまたま行った香川の四国水族館で写真を撮ったところ、直後くらいに四国水族館がインスタで写真コンテストを開催していたので応募したら、なんと入賞をいただきました。3位で数名と同着という入賞ですが、嬉しかったです。
3位入賞であれ、このところ続いていたSWPAの反応ゼロよりかなり嬉しいわけです。見てくれている人はいるんだと思いました。
もちろん本当は1番がよいのですが、このところ賞の音沙汰がなかったため、精神的に助かりました。
さらにこの名誉の副賞として四国水族館の年間パスポートを頂きました。なんとかして有効期限内にもう一度伺いたいところです。
めちゃ映える展示で現代的な作りの水族館だなと思いました。

これは名古屋港水族館

もちろんこの年もSWPAに応募しました。

ですが、もうほとんど諦めていたというか、頑張るのをやめようかというくらいのテンションになっていました。年内はなんとなく応募する写真を選別してはいたものの、送ったのは年が明けてからの締め切り間際。なので追加の無料応募枠は今回はもらえませんでした(そもそももらえる基準がわからないけれども)。無料枠の3枚、それにギリギリまで迷って追加応募枠を最小数の10枚だけ申し込んで、計13枚の応募です。それでも途中で力尽きてしまって、最後の1、2枠は力が抜けて消化試合的に応募していた気がします。

ここまで20000文字書いていてようやく話が冒頭に戻ります。
この13枚の応募した写真の中の1枚が、翌年、SWPA2024の日本賞の1位に選ばれました。

2024年

そういうわけで応募締め切りから数週間後、日本賞の1位に選ばれましたよという連絡を貰いました。

「Lost in Transration」

こちらの写真です。
応募の際のステートメントを書く欄の文字数的に英語では簡潔な説明しか書いていませんが、このようなステートメントになっています。

This image was inspired by my favourite movie, Lost in Translation, which resonated with my sense of loneliness as a 20 year old. I had met the model in Paris the previous year and she came to Tokyo (where I live) on a sightseeing trip. We do not share a common language, but I had her stand in the crowd and photographed her ‘urban loneliness’.

タイトル "Lost in Transtration"
「これは私が好きな映画「ロスト・イン・トランスレーション」にインスピレーションを受けて撮影した写真です。それは私の20歳の頃の孤独に寄り添ってくれた映画でした。
昨年パリで知り合ったパリ在住のモデルが私の住む東京に旅行にやってきて、私たちはフォトシューティングを行いました。私は英語が話せず、彼女は日本語が話せないなか、ぎこちない我々のこの関係と彼女の都会の孤独感を表現するために、私は彼女に人ごみの中に立ってもらい撮影をしました。」

2019年の馬の写真の時もそうなのですが、撮った時の状況や思いをそのまま書いただけ。やっぱり背伸びしたり格好つけたり、写真として表現しきれていないもがあると伝わるのでしょうか。

この写真はagataさんの事を写していますが、写っているのはまるで自分の自意識です。言ってみたらすごく個人的な写真になっています。
よくこの写真を見つけて、選んでくださったなと思います……。
ここまでの様々な出会いや葛藤や、この記事に書いたような紆余曲折を経て得た考え方がここに集まっているような気がしてなりません。
僕よりも選んだ人がすごい。

この写真が日本賞1位になりましたと連絡を頂いたときは、びっくりして飛び上がるように喜びました。こんなに「嬉しい」の感情が出てくる事ってあるんですね。2018年にイルカの写真をcommentedですと連絡をいただいた時はそれが何なのかよくわかっておらず、こんなリアクションにはなりませんでした。のんびりお風呂入っていた時だったし。それが、いまはこの賞の価値がとてもよくわかるため嬉しいも嬉しい。「日本賞」という応募先があるわけではなくOPEN部門に応募していたわけだけども、何年も落選が続いていての受賞なので嬉しさひとしおです。

ありがとうございます。
すべて集約するとそのことばにしかなりません。なんて解像度の低い大雑把な言葉なのか。でもこの言葉以外にこの胸の中にある大きな色々な感情を言い表すことが出来ない気もします。
これまで撮ってきたもの、考えてきた事がいったんすべてここに収束したような気がします。ポートレートの事、自己表現の事、写真表現とはいったい何なのかという考え。
これで、ここまでの8年間の一区切りができました。なんというか、セーブポイントに辿り着けたのでここから安心して次の冒険に挑める、というような心持です。
これからも精進します。


この受賞した写真自体について語れることはまだあるのですが、あまり話過ぎても写真を写真として観て貰えなくなるかなと思っているので、別の記事にするか、後にこの記事に追記するかしてそのうち書きたいとは思っています。
このnoteをここまで読んでくださった方がどのくらいいるのかわかりませんが……

長々とお読みいただきありがとうございました。

(♡やマガジン登録ははげみになります!)
↓↓は過去の記事


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?