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私は「小学生からくるりが好き」なのか

最近ありがたいことにくるりファンの方との交流が増えて、「いつからくるりを聴いているのか」というお話をする機会が出てきました。

私はその際生意気にも「小学生から」とお答えしていますが、そうお答えするようになってからというものの「小学生からくるりが好き」というのを自分の中で反芻するたび、「…本当か?」という疑念がわいてくるようになりました。私は本当に"小学生から"くるりが好きだったのか、人生の半分くるりが占めてます!と言えるほどのものなのか、疑わしく思えてきたのです。
そんなようなお話を、先日下北沢で飲んだくるりファンの方に少しさせて頂いたら、「面白い!」と言って頂けたので、せっかくだからnoteに綴ってみようと思いました。長々とした自分語りになりますので、そのつもりでお読み頂けたら幸いです。1万字越えですからね、はい。

某日、下北沢にて、「まずはサッポロだよね」の図


微妙な『小学生』

私は平成元年の早生まれ、現在33歳です。
そして私が初めて聴いたくるりは『ばらの花』。その頃我が家には週末になると毎週家族でTSUTAYAに行く習慣があり、そこでジャケ借りをしたことがきっかけでした。2001年というJ-POPが元気で華やかで仕方がなかった時期、「ばらの花」「くるり」というなんとも穏やかで(包み隠さず言うなら地味な)丸みを帯びた言葉の曲名とミュージシャン名に、妙に惹かれてしまったのです。

なんなら一瞬、どっちが曲名でどっちが歌手名か分からなかった

さて、くるりのシングル『ばらの花』がリリースされたのは2001年1月24日なんですが、現在33歳の私が小学校を卒業したのが2001年3月なんです。
つまりむっちゃギリ。小学生最後の数カ月にすべりこみで出会ったことになります。もうこの時点で「小学生から」と言って良いのか怪しいところ。先日テレビの『音楽爆弾』でくるりに突撃していた1976年3月生まれのくっきー!が、1976年4月生まれの岸田さんに「ギリ先(ギリギリ先輩)」「危う~耐えた~」と息巻いたように、私とくるりの出会いも「ギリ小」なのです。良いのかこれは。小学生からと言って良いのか?

正味、やきもきするくらいなら「中学生から」と言ってしまえばいいだけの話ではあります。ただ小学校の卒業式前後に『ばらの花』を聴いて感銘を受けたあの頃の私をなかったことにもしたくない。卒業を間近に控えた思春期ド真ん中。その年頃の女の子は悲しいシチュエーションで泣ける子ほど、感受性が豊かで、つまり良い子に見えるというシステムがほんのりあったように思います。当時の私はそんな目から汁が出るかどうかで感受性を図られることにとても抵抗があって、恐らく卒業式で泣けないであろう自分がちょっぴり憂鬱でした。冷めたやつだと思われるのではないだろうかと考えていたのです。
そんなときに聴いた『ばらの花』は、感傷的で弱々しい心を「安心な僕ら」という言葉で包んで、岸田さんの淡々とした歌い口でそれが綴られているのが本当に印象的でした。ああ、こういう感情を、こういう歌声と、こういう音楽に乗っけていいのだなあと初めて知ったのです。もしかしたら「切ない」という情緒をこの曲で初めて教えられたまであるかもしれません。「悲しい」や「泣く」だけが「別れ」の姿勢ではないと『ばらの花』に教えてもらった私は、卒業歌を歌おうともビクともしない涙腺を携えて、ニコニコと小学校の卒業式をやり過ごしたのでした。いやまあ普通に公立なんで9割近い同級生がそのまま地元に中学校に上がるだけだから、本当に同級生たちが何に泣いていたのか不思議ではあるんですけど。学校や先生への感謝…ってコト!? 良い子かい。

そんなこんなもあるため、出来たら今後も「小学生から聴いてます」と答えたいなあと思いつつ、【ギリ小】であることも予めお伝えしておきたい、という項でした。次がわりと本題です。私はいつからくるりが好きだったのか

むずいかも、くるり

『ばらの花』でくるりを知った私は、もっと彼らを知りたくなりTSUTAYAへ行くたびに目についた彼らのCDをアルバム・シングル問わずレンタルしました。当時特定のミュージシャンを、例えば「時系列順で聴く」みたいな感覚がなく、今のように公式サイトやWikiでリリース順を手軽に調べられる時代でもなかったので、本当に適当な順番で虫食いに聴いていたような気がします。アルバム『さよならストレンジャー』のジャケットで初めて「くるり」の顔を見たときは、お、お兄さんだ…と思いました。

どこに出しても恥ずかしくないほどの”京都の兄ちゃん”感

アルバムの『図鑑』は特に繰り返し聴いてました。『アンテナ』は今までのレンタルではなく初めて自分のお小遣いで発売日に買いに行きました。『ロックンロール』というタイトルでありながらトゲトゲした感じがしない曲調が中学生時分の私にはすごく新鮮に感じましたし、『HOW TO GO』のカップリング曲である『地下鉄』は、「こんなにドラムが”歌ってる”曲がこの世に存在するのか」と驚いて何度も聴きました。周囲にくるりを聴いている子は一人もいませんでした。くるりの名前を知っている子すらいませんでした。中学校の小さなクラスの中で「私だけがくるりという世界を知っている」ことは、私に誇りと優越感を与えました。

だから当時は認めたくない部分もあったと思うのですが、「くるり、ちょっと聴くの難しいかも」という感覚にうっすら気付き始めていたと思います。特にシングル曲ではなく、アルバム曲になったりすると顕著でした。「この曲になんか惹かれるなあ」と感じても、具体的に何に惹かれているのかがよく分からない。私から見えるくるりの景色に時折薄い膜のようなものが張っていて、見えるような見えないような、聴こえるような聴こえないような、もどかしい感覚がすることがあったのです。くるりを聴くと、頭の前の部分がぼうっとして、胸がキュッとなりました。でもなぜぼうっとするのか、なぜ胸がキュッとなるのかその理屈が分からないのです。

恐らくなかなか同意を得ることは難しいかと思いますが、私はくるりと出会ったきっかけである『ばらの花』が収録されたアルバム『TEAM ROCK』が当時苦手なアルバムでした。どう聴けばいいのか分からず、『ばらの花』まで飛ばして聴いていたときもあったと思います。TSUTAYAで見つけるそのジャケットに映った「騎士」の硬くて重そうな鎧が、私の中の『TEAM ROCK』の印象そのものでした。2、3回は借りているはずなのに、毎回「まだ聴いてないかもしれない」という気持ちになりました。私には難しいのかもしれない、聴くのがあまり楽しくないかもしれない。私はくるりが好きなはずなのに、どうしてだろう。

くるりに出会う前も少し音楽は聴いていて、椎名林檎や宇多田ヒカル、aikoや19(ジューク)などが好きでしたが、彼らの音楽を聴くのが難しいと感じたことはありませんでした。好みでないなら聴かなくなるだけなのですが、くるりの音楽に感じる「膜」はそういうのとも少し違いました。それが逆に、私の中の「くるり」の存在をより大きくしていきました。

くるりという磁場

そんな私は、そこから「くるりっぽい音楽」を聴こうとし始めました。他の類似的バンドグループを聴くことで、くるりをちゃんと聴くためのヒントになるのではと思ったのかもしれません。オルタナティブ・ロック、邦ロックの世界に私は足を踏み入れた始めたのです。

ただくるりっぽいバンドというのはなかなかいません。というか、名のあるミュージシャンたちは当たり前ながらみな既に独自の世界を持っているから人気があるのであって、表面的にはパッと聴きで似ているように思えても、ちゃんと聴いてみると全然違うことばかりでした。でもそれはそれで楽しい発見でした。ACIDMAN、GRAPEVINE、ストレイテナー、GOING UNDER GROUND、ASIAN KUNG-FU GENERATION、フジファブリック、LUNKHEAD、ART SCHOOL、キンモクセイ、レミオロメン、スピッツなどを聴きました。くるりとは違うけどどれもかっこよくて、好きになりました。聴いて感じることはそれぞれ全く違うのに、聴くのが難しいと思うことはあまりありませんでした。これでちょぴっとくらい私の音楽偏差値が上がったかもしれない…それでは一旦くるりに戻ってみようか。

この青の色味すら重く感じていた

……まだ「膜」がある~〜〜

不思議でした。例えるなら、前述したミュージシャンたちはしばらく聴けば大体「友達」にはなれたような気がします。しかしくるりだけはずっと「遠い親戚の年の離れたお兄さん」という感じなのです。遠いけど一応血は繋がっているし、優しく声もかけてくれるけれど、たまになんか難しいことを言うし、年齢差が縮まることもないから、いつまで経っても対等に話すことは出来ないような気がしてくる、近いようで遠い存在に思えました。くるりを好きでいたいのに、ちゃんと好きになりたいのに、私が至らないばかりに、理解しきれていないと感じてしまうことがとても歯がゆい、そんな気持ちになるのです。

なんだ、このポエムは。恋煩いか?

実際恋煩いに近い感覚ではあったんだろうと思います。くるりに対する感情をくるりの楽曲になぞらえ始めたらいよいよだなというところですが、『ピアノガール』の世界観なんかが近い気がしています。

薄ぼんやりした夜明け前みたいな曲、『ピアノガール』

「何のやり方も全部知ってる」と感じるほどの彼らの底知れなさが垣間見えるたび、私は私の、その音楽を受け止める器の足りなさ、読解力のなさを思い知らされて打ちのめされていたように思います。くるりにはそんな強い磁場がありました。私はその磁場を突破出来た感覚も得られないまま、高校生になりました。

繰り返す「くるり期」

高校生になると人間関係がガラッと入れ替わり、邦楽ロックやバンドの話を出来る人が現れました。主に同級生の男子です。彼らはマキシマムザホルモンや銀杏BOYZ、Ken YokoyamaなどのCDを貸してくれました。それでもくるりが好きな人はいませんでしたし、私もくるりのCDを貸すことはありませんでした。なんでかは覚えていません。マキシマムザホルモンや銀杏BOYZと比べると地味かもしれない(失礼)とたじろいだのか、それとも自分が理解しきれていないのに人に勧めるのはいかがなものかと遠慮したのか。どこかで「くるりが好き」と発言したことはあったかもしれませんが、良くも悪くも感触ある反応を受けた記憶はなかったように思います。
でも正直それに寂しさを感じたことはあまりありませんでした。私は自分と同じものが好きな人に出会えるのは嬉しいと感じても、自分の好きなものを親しい人にも好きになって欲しいという願望が少ないのだと思います。思春期に隠れオタクだったので好きなものを隠し続けて一人で楽しむことに慣れていましたし、逆に勧めた結果あまりハマってもらえなかったらそれはそれで悲しい気持ちになりそうだったからです。「同じものが好きな人に出会える」とは本来奇跡のようなものなのだとちょっと諦めていた部分もあった気がします。なのでいつかどこかでくるりが好きな人に出会えるかなと思うことはあっても、くるりを普及しようとは思わなかったのです。

せっかく初回限定盤買ったのに
DVDプレイヤーがリビングにしかなくて特典あまり見れなかった

その頃くるりは「BIRTHDAY」「Superstar」「赤い電車」「Baby I Love You」とヒット曲を飛ばし、さらにはRIP SLYMEとのコラボと、印象としては「ブイブイ言わせてる」頃で、もちろん新曲が出れば必ずチェックしていましたし、オリコンチャートに乗ってテレビでくるりの曲がかかるたび「人気バンドだ~~~!!!!」と興奮しました。が、どこか「私が理解しきる前にこのまま遠くに行ってしまうのだろうか」みたいな気持ちはあったような気がします。

中学時代にくるりをきっかけに色んなロックバンドを開拓したこと、それから高校で同級生と音楽の話をし始めたことも起因して、またさらにくるり以外のミュージシャンも聴くようになりました。
その頃ELLEGARDENやRADWIMPSも聴くようになります。これ、嫌味でもなんでもなく彼らも恐らくそういう作風を意識していたと思うので言うのですが、ぶっちゃけ「すごく分かりやすくて若者向け」の音楽に逃げ込んだという自負が今思うとあります。彼らはすっごい分かりやすかった。高校生の私がハマるのがめちゃくちゃ容易だった(もちろんそれはそれですごいことです、本当に)。どんどん世界を飲み込んで何かをもりもり蓄えていくように見える年上のお兄さんを少し焦燥を抱えながら追うより、わかりやすくキャッチ―で、年相応な音楽に身をゆだねることはとてつもなく楽なことに気が付いてしまったんです。

それからは、数カ月ほど色んなミュージシャンをうろうろ聴いては、定期的にくるりに戻り、何かを確かめるように聴きこむというようなことを繰り返すようになりました。ある種の意地のような、執着のようなものであったかもしれませんが、私はそれを勝手に「くるり期」と呼んで楽しんでいました。もちろんその時々に「林檎期」だの「エルレ期」だの「Cocco期」だのはあったのですが、必ず一定の周期でやってくるのは「くるり期」でした。そのたびに「やっぱりくるりはすごいな、唯一無二だな」という納得感と、「本当にちゃんと分かってんのかよ、お前」という自問が交互に現れ、「まだ私は追いつけていないかもしれない」と悟るのです。
それはまさに座禅。フラフラと俗世を楽しんだあと「くるり」という名の寺へ向かい、背中をピシャリと叩いてもらっては「まだ修業が足りませんな…」などと和尚(?)に言われて寺を出る…。くるりもそんな聴き方されても困るだろうという話ですが、そういう意味でも、くるりは私の中でさらに独特な存在になっていったのです。

そんな感じで定期的に訪れるくるり期を楽しみつつも、私生活ではバイト先のバンドマンのお兄さんに片想いして近所の小さなライブハウスまで地元バンドを観に行ったり、高校の卒業ライブ限定のコピーバンドを組んだりと、まるで自分をリア充か何かだと勘違いしているような時期を迎えました。同級生からベースとドラムの経験者を引き込んで、ド素人の私がギターボーカルをやるという無茶苦茶な即席コピーバンドを組んだのです。演奏したのはGO!GO!7188の『G7』、チャットモンチーの『シャングリラ』、MONGOL800の『小さな恋のうた』で、数カ月ギターを触っただけの私に会得しきれるわけもなく、卒業ライブを見に来てくれる同級生たちにあらかじめ「一回もちゃんと弾けたことないからギターソロになったら大声で騒いで誤魔化してくれ」と頼む始末でした。
くるりを演奏したいとは言いませんでした。くるりの曲はカラオケですら何故か歌うのが難しくて、私なんかが岸田さんの真似をしたらもっと無残なことになるのが目に見えていたからです。

くるり音痴

そんな浮かれポンチな高校生活を終え、その浮かれポンチの心持ちを引きずったまま私は映像系の専門学校に進学しました。夢に向かって専門学校に進学。同じ夢を持つ仲間たちと過ごす学校生活。それだけでどこかほとんど夢を叶えたような気になっている、努力もそこそこ、覚悟もそこそこの典型的な「ダメ夢追い学生」期に突入した頃でした。
そんなときくるりからリリースされたのが、『ワルツを踊れ』です。

泣く子も黙る麗しき傑作アルバム

クラシックとの融合を達成し、また大きく次のフェーズに向かおうとしているくるりが生んだ名盤。信じがたいことに私はこのあたりからくるりの新譜を積極的に追わなくなってしまいます。「クラシック、あんま分かんないし」などど言い訳をしていたような気がしますが、結局自分の聴く能力のなさを棚に上げただけですし、いわゆる「モラトリアム期」にここまで正道にして果敢な作品に向き合う余裕がなかったのかもしれません。根拠のない自信に満ち、夢を追うのではなく夢を追う自分に酔っていただけの頃、自身の読解力、理解力、感受性のなさを突き付けられるのは都合が悪かったのもあるでしょう。くるりにまつわることを差し引いても、「この頃の自分好きじゃないわ~」って思うぐらいインプットをサボりまくっていた時期でした。作り手を目指す学校に通う学生とは思えない姿勢ですが、気の合う仲間たちの囲まれ、人生で初めて恋人もできたりして、楽しさのあまり様々なものから目を逸らしてバカになっていたのだと思います。

そんな遊んでばかりの専門学校時代を追え、慣れない同棲生活や就活、さらに転職と、精神的にも生活的にも落ち着かない日々が続きました。鬱屈としていた時期は、ひたすらアニソンとボカロばかり聴いていたときもありました。アニソンやボカロを卑下するわけではないのですが、その時の私にとっては現実逃避的な効能があったのだと思います。それでもちゃんと「くるり期」はあり、定期的に彼らの音楽を聴いては「やっぱりくるりが一番だな」なんて思いながらも、新譜はさらっとしか追わず、当時自分が聴きやすかった『ベスト オブ くるり/TOWER OF MUSIC LOVER』や『図鑑』、『アンテナ』などを繰り返し聴くばかりで、中学や高校の頃から続く「聴くのむずいかも」感から抜け出せた感触はなく、抜け出す気力すらなかったように思います。この時期は本当に情けないことに、27歳くらいまで続きました。

下手くそな『マーチ』

映像業界の仕事をわりと未練なく早々に離れた私は、今の会社に入ってからというもの、ちょっと精神衛生が安定してきました。会社まで徒歩で行けるので満員電車に乗らなくていいし、家着いた頃に日付またいでるとかもないし、イライラして無視する上司も、上司にいじめられてろくに引き継ぎもせず仕事押し付けて辞めてく先輩もいない良い人ばかりの職場で、仕事を評価してもらいささやかですが役職を与えられたりと、率直に言えば尊厳を取り戻してきたのだと思います。

そんな頃私は、会社に派遣で入ってきた年上の女性と知り合います。音楽とお酒が大好きなとても穏やかな人で、すぐに仲良くなれました。
彼女と二人で飲んでいるとき音楽の話になり、私はくるりが好きだと話しました。「へえー! くるり良いよね~!」と言われました。もしかしたら「くるり」という話題で疎通が出来た人というのはこれが初めてだったかもしれません。盛り上がった私たちはそのままカラオケに行くことになり、彼女から「私『図鑑』ってアルバムが好きなんだよね、『図鑑』から何か歌ってよ」と言われ、「くるりを知っている人だ~」と気を良くした私は『マーチ』を選曲しました。

ですがそのとき、私は長らく『図鑑』を聴いていなかったことに気付きました。カラオケの音が始まっても、音程やリズムが微妙に思い出せなかったのです。あまりに不恰好な『マーチ』に自分で苦笑しながらも、少しずつ思い出していく内に、「なんだこの曲、めちゃくちゃ良い曲だな」と改めて驚いたのです。「あまり歌えなくてごめんなさい」とヘラヘラ彼女に謝り、別れた後で私は帰り道にiPodを起動させて『図鑑』を再生しました。異様に胸が高鳴ったのを覚えています。初めて「くるり」という話題を他者と共有できた楽しさもあったのかもしれません。『図鑑』は中学生の時も繰り返し聴いていたアルバムでしたが、そのとき何故か音の一つ一つが粒立って立体的に聴こえるような感じがしたのです。「やっぱりくるりは良いな」と思いました。その時点では私は「またいつもの“くるり期“が来たんだな」と思っていました。

くるりを追え!!

後日、その女性から「くるりが好きならライブには行かないのか」と言われました。ラ、ライブ…?と、まるで初めて聞いた言葉かのように私は驚いてしまいした。27歳までの15年近く、くるりをライブで見に行くという発想すらなかったのです。私はその時初めてくるりのオフィシャルサイトを調べたかもしれません。そこでちょうど「NOW  AND THEN」という過去のアルバムの再現ライブを行っていることと、「Vol.3」にて私が大好きな『地下鉄』を叩いていたクリフ・アーモンドがドラマーとして公演に参加することを知ったのです。先行販売はその時すでに完売していましたが諦めきれず、不慣れながらもチケット譲渡サイトを調べて、今はなきチケットキャンプで定価でチケットを譲ってもらいました。横浜の神奈川県民ホールに一人で向かう間、私はドキドキして仕方がありませんでした。とうとうあのくるりを生で見ることになる。生で演奏を聴くことになる。私は一体どうなってしまうのか、完全に未知の世界で、とてつもなく緊張していました。

映り込みが著しい

ステージにくるりが現れ、演奏が始まりましたが、なぜか全く現実味がなくて、前半はほとんど夢心地でした。5thアルバム『アンテナ』の、佐藤さんいわく「もわもわした」空気がホール中に充満していたからでしょうか。岸田さんや佐藤さんの生身が数十メートル先にあることとか、ライブ演奏がCD音源とはまったくの別物であることとか、情報量が多すぎて脳の処理能力が追い付かなかったのかもしれません。そしてしばらくして『HOW TO GO』が演奏されたとき涙が出てきました。「すごい~~~~~~~~~」という感情しか湧きませんでした。大好きな『地下鉄』も演奏されてたはずですがなんかもうあまり覚えてないんです。どうしてNOW AND THEN Vol.3だけ音源化されてないんだ、あまり覚えてないのマジで悔しいので助けてくれ。
とはいえ初めてのくるりのライブ体験は最高以外の何物でもありませんでした。

すっかりくるり熱が最高潮に達した私は、今まで不得意としていたアルバムや、『ワルツを踊れ』以降の、さらっとしか聴いていなかったシングルやアルバムを改めて聴き直し始めました。するとどういうことでしょう。何がきっかけかは分かりませんが、中学生の頃から感じていた「膜」のようなものがすっかり取り去られていたのです。『TEAM ROCK』、こんなにも楽しそうでかっこいいアルバムだったのか! 『ワルツを踊れ』、こんなにも音楽の歓びに満ちているアルバムだったなんて! 『魂のゆくえ』も『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』も、頭から最後までじっくり聴くとこんなにも濃い世界が感じられるのか、知らなかった!!
まるで今までところどころ伏せられて並べられていた沢山のカードが、一気に音を立てて捲れていくようでした。「くるり聴くの難しいかも」という感覚は一切なくなり、全部の曲がちゃんと「聴けている」のです。ずっと乱視みたいな状態だったのが、全部ピントが合っていくような感じでした。ええ? どういうこと? もうこればかりは「やっと私の精神年齢がくるりに追いついた」ぐらいしか説明がつかないように思います。それとも「NOW AND THEN Vol.3」の感動ゆえ? ライブってそこまで解像度を上げる効果があるの? これが宗教体験ってやつ??

あまりにもバキバキなアルバムで衝撃を受けたなあ

その後も派遣の彼女から「ファンクラブ入ればチケット手に入れやすいよ」と教えてもらって「”純情息子”!! 聞いたことある!! よくCDに案内が入ってたやつだ!!!」と即入会し、「そういえばくるりって毎年京都でフェスやってなかった? 行かないの?」と言われて「あの京都音楽博覧会!?!? に、行く!?!?!?!?」とアワアワしながらも母を引き連れて音博2016に参加しました。ご存知のように音博2016は雷雨によってQURULI featuring Flip Philipp and Ambassade Orchesteの演奏を前に中止となってしまい、新幹線の中でLINE LIVEを見ながら号泣しました。
でもオータムジャンボくるりでトートバックが当たったり、ビクターさんのツイッター企画でラバーコースターが当たったり、音博後のツイートを岸田さんに「いいね」されて心臓が止まりそうになったりと、本当に20回転を楽しみまくったことをよく覚えています。

ちょっとコンビニへ、にちょうど良く使い倒している


そら通知のスクショも取るさ(初参加のくせに内容イキっててちょっと嫌だな)

くるりと一緒

それから6年、現在に至るまで私の「くるり期」は終わることなくずっと続いています。というか、以前のように「自分の読解力のなさに耐えきれず一旦くるりと距離を置く」みたいな期間がなくなったのです。もちろん他の、色んなミュージシャンを聴くときもありますが、「くるりを聴く」というのがすっかり私の一部になって落ち着きました。
くるりの曲のどれを聴いても楽しいのが嬉しいです。どのアルバムを何度聴き返しても、感じることが変わっていくのが楽しいです。くるりを聴くと踊り出したくなります。くるりを聴くと歌い出したくなります。くるりを聴くと眠りたくなります。くるりを聴くと目覚めたくなります。良くも悪くも心が乱れたら、くるりを聴くと心がニュートラルになって、自分の輪郭が治まるような気持ちになります。
今までくるりは私よりずっと高いところをふわふわ浮いていて、もう見上げるしかできないような場所にいた気がしていましたが、今はすぐ隣にいてくれています。いや、ちょっぴり前かもしれません。私の一歩分ぐらい前を軽やかに歩いていますが、もう手が届かないことはありません。

こうなるまでの、小学生から27歳までの15年間の私は、本当にくるりが好きだったと言えるのでしょうか。正直よく分かりません。それでも私なりに「くるりを好きになろうとしていた、分かりたくてしがみついていた」時間だと思うと、それはそれで必要だった時間のように思うのです。
「くるりが好きな自分」を諦めなくてよかった。ちゃんと自信を持ってくるりが好きだと言える日が来てよかった。それはくるりが、幼く聴く力をあまり持たない私にも、「どこか胸に引っかかる」音楽を作り続けてくれたおかげだと思っています。

長い間煮え切らない感じでファンを名乗ってきたので、今はそれを取り返すように元気にファン活動をしています。同じくくるりファンの方とやりとりをする機会が増えたのも本当に嬉しくて楽しいです。これからも楽しくくるりを応援したいし、追いかけていきたいです。むしろくるりとの生活は、まだまだ始まったばかりのような気さえしています。
楽しみです。

素敵なアルバム ありがとう

おしまい。

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