橋本将生とは何者か② 〜セルフカウンセリング編〜
お疲れさまでございます! 毎度すみません、私です。
前回のnote、マジでほとんど橋本将生の話しかしてないし文も長いしあまりにごにゃごにゃ言ってる内容なのに、読んで頂けたりスキを頂いたり共感して頂いたり(全ての内容に、ではないでしょうが)今までより反応の初速を感じておりまして、なんというかやはり橋本将生の勢いが来ているということなのでしょうか。畏れ多くも、嬉しい限りでございます。
ただその、相変わらず前置きというか「言わずもがな」「釈迦に説法」なことを毎回グダグダ言って申し訳ないのですが、反応を頂いているからと言って自分の考え方が強度されたなとかはあまり思っていないし(なんなら思いのほか共感を頂けていることがいつも予想外だし)、互いに同調”しすぎる”必要とかもないと思ってます。私は同じものや人が好きでも、「どんな風に好きか」「どう感じるか」が人それぞれ微妙にバラバラであることの方が普通で、むしろそれが楽しくて、全部綺麗に一致することの方が奇跡だと思ってる人間なんです。だからこそ、自分と違う意見を持つ人を侵害しないでいたい。私の感じたことが私のものでしかないように、他者の感性はその人のものでしかなくて、それはたとえ共感できなくても尊ぶべきものだと思う。無闇に喧嘩売ったりしなければね。それぞれの心に従順になって、自分の中にしかない「好き」を大事に育てていけたら素敵なのかなあと思っている次第でございます。
まあこれもあくまで私の考え方ってだけですけど!!
もうさすがに私のnoteの前置きが長すぎることでお気付きかな!!!
要はビビりなんです!!!! 弱虫なんです!!!!!!!
摩擦を恐れて愛を育てられるんかっつー話ですわ!!!!!
でも私は逃げる、どこまでも!!!!!!!!
一応前回のnoteの続き……ってことではあるのですが、たとえば今回の②を読んで頂けるなら①を読んで頂けた方が分かりやすい気がするけれど、①を楽しんで頂けたらそこで読むのをやめて頂いても全然大丈夫です。①は②を補完する内容になってると思うけど、②は別に①で書いたことを補完する内容ではないから、って感じです。
そして何より今回は7割自分語りっていうかほとんど私自身の別の趣味の話になる。橋本将生の話、後半にしか出てこない。しかも自分の嗜好と願望を押し付けた二次創作的な話しか出てこないから、橋本将生ファンの方がこれを読んで得られるものはほとんどないと思います。今までのnoteだってもうそうだったんですけど、”より”です。ご容赦ください。
なぜ、推しに?
私の会社には、週明けになるとタイプロを見ていないどころかNetflixにも加入してないのに私からずっとタイプロの話を聞かされる可哀想な隣の席の人がいまして(仕事をしろ)。見てほしくて話をし始めたはずなのに「プレゼン上手いっすね。BONOさんの説明が面白すぎるからもう見た気分になっちゃった」とか言われて「見ろよ、チクショウ!」と怒鳴ったりしてるんですけど。なんなら最近は向こうから「……今週はタイプロの話、ないんすか?」とねだられるときもある。いやだから見ろよ、本編を。
それでまあ最初の頃は番組自体の面白さのプレゼンをしていたわけなんですけど、4次審査あたりから「実はとうとう気になる候補生が出てきてしまいまして……」とカミングアウトをしたわけです。それから番組の面白さと共に橋本将生の話も聞いてもらっていたんですけど、自分が「アイドル候補生を推す」という未踏の地に踏み込むことにかなり戸惑いがあって、その苦悶についてもちょいちょい聞いてもらっていたんですよね。本当に仕事した方が良い(今ちょうど閑散期だからさ…)。
その中で「今までアイドルを好きになったことないのに、なんで橋本将生は刺さっちゃったんですか?」と問われて、「それはマジで私も分からないんだよなあ」って思ったんです。
というか多分アイドルファンの方のアイドルにハマったきっかけって、単純に「出会ってしまったから」ということの方が多いんじゃないかなって思うんです。なんとなく。すごく落ち込んでいる時期に元気をもらったとか退屈な日々に彩りをくれたとか、そういうドラマも人によってはあると思うんですけど、私の場合は正直くるり(ロックバンド)と映画とラーム・チャラン(インドの俳優)でもうかなり充実してて、なんなら「生きてんの楽しい〜」って感じでスキップしてるような人間だったんですよ、特にここ数年。だからもう「分からん」としか言えないなって状態で。
ただその会社の人が好奇心旺盛な方で、根掘り葉掘り聞いて来るんですわ。「今まではアイドル見てどう思ってたんですか?」とか「映画とかくるりとか、デスクに大量に飾ってるインドの俳優みたいな趣味と全然違うじゃないですか、なんでだと思います?」とかすごい聞かれて、もうほとんどカウンセリング状態。ただ分からないとは言いつつ、人は問われると考えてしまう。正直ここまで何万字も橋本将生のnote書いてるなんて自分でも異常だと思うもの。
そんな感じで対話と自問自答を重ねているうち、「まあこんな感じかな〜」という着地が見えたような気がしたんですけど、別にnoteに書くほどのものでもないなって思ってたんです。
が、先日のananの菊池Pの橋本将生への「すごく雰囲気がある」というメッセージを見て、それから佐藤勝利さんからの「ブランド」という言葉も思い出して、”華がある”以外に基本候補生たちの外見を評価する言葉をあまり使わないタイプロの中で、「橋本将生の潜在的な魅力や内面的要素って意外と具体的に言語化がされてないんじゃないか」と思った。そしてそのとき自分の中の「なぜ橋本将生に惹かれるのか」という着地点が一歩溜飲が下るところまで進んだように感じたんですよね。
これは人に読んでもらいたいというより、何より自分がちゃんと文章にしてみたいかも! と思い、書かせて頂くことにしました。はい、前提だけで2000文字。良い加減にしろって。ほんとさあ、文章書くのは好きだけど削ぎ落とす技術も絶対必要だよなあ。
まず私の本来の趣味嗜好である「くるり」「映画」「ラーム・チャラン」から、それぞれ自分が感じている魅力を解体していこうかなと思います。
くるり
くるりについては少し前に別途自分語りnoteをすでに書かせてもらっているのですが、およそ23年来のファンでございます。初めて聴いたのはTSUTAYAでジャケ借りした『ばらの花』、ギリギリ小学生というくらいの頃でした。
「よく分からないけどなんだかとても素敵だ」と惹かれた私は、シングル曲のみならず彼らのアルバムにも手を出してみるも、実際に聴いてみると時たま「どう聴いたらいいかよく分からない」というアルバム曲にぶち当たって途方に暮れる、みたいなことがよくありました。初めて音楽を聴いて「難しいかも」という感覚を抱いたんですよね。それでもなぜか惹かれてしまうから、この人たちの音楽、ちゃんと分かりたいな、分かる人間になりたいなという思いで意地で聴き続けていたように思います。それと並行して近しい感じのロキノン系バンドとかも色々聴いてたんですけど、これが不思議なことに「うん、聴き方が分かった」ってなるとわりとすぐに飽きてしまうことに気付いたんですよね。で、くるりに戻ってみると「この曲は分かるけど、やっぱこの曲はどう聴いたら良いかわかんねえ〜〜〜」ってなる。それでも掴める何かがあるかもしれないと、波はありつつずっとくるりを聴き続けていました。
そして20代中盤くらいから、心境の変化なのか色々な経験や知識が積み重なってきたからなのか、ふと「分からない」って感覚が徐々に薄まってきて、今はくるりを聴いている時に「理解出来ない自分に途方に暮れる」みたいなことはなくなりました。理解度が上がったというよりは「分からなくても自分が感じたことを大事にすれば良いか」と開き直ったことで、「おい、どれもめっちゃ良い曲やん」というゾーンに途端に入れた気がします。そこに気付くまでだいぶ時間かかったねえ。
ただくるりというバンドはメンバーチェンジの多さなどの変遷も含めて、日本随一と言って良いほど「変化し続ける」ロックバンド。本当に油断できない。毎回アルバムの毛色が違うし、すごくストレートな日本らしいバンドサウンドの新曲が続いたと思ったら、急に平気でプログレとかアフリカ風とかイタリア民謡の新曲を出して来たりする。だから新曲が出てくるたび「お、今度は何をする気だ!」と毎回ワクワクするし、聴くたびに面を食らって「また私の知らないくるりを出してきた!」と感激してしまうんです。
そうしていく中で私は「分からないけど分かりたい」と思う瞬間が好きなんだろうなって思ったんですよね。当時よくバンドCDや映画のVHS(VHSて)をTSUTAYAでジャケ借りしていたのもそういうことだった気がします。「分かりたい」「見つけたい」「考えたい」と思うとき、自分の感覚が「能動的」になる。感度が上がる。その「自分が能動的になる」瞬間が好きだから、何回聴いても不思議と飽きの来ない作り込まれたくるりの楽曲が好きだし、変化を恐れず知的で自由なくるりのことをどこまでも愛せる。
逆に言えば、ある程度聴いて「ああ、このバンドはこう聴けば良いんだね」と分かってしまうと、長くても数ヶ月くらいで飽きてしまう。勿論それは「聴きやすい」「飲み込みやすい」ということだから親切な音楽ってことだと思うし、そういう多くの人をすぐに魅了するようなキャッチーな音楽を作れるってめちゃめちゃ凄いことだとも分かってはいる。分かってはいるんだけれど、私は「分かりやすい」「親切すぎる」というのがどうしてもちょっと物足りない。勿論くるり以外の楽曲をヘビロテする時期もあるし、他のバンドももっと粘り強く聴けば奥深くいけるのかもしれないけれど、結局くるりほど私の胸に「もっと分かりたい」と引っかかってくるような感覚はなかなか抱かない。それは私が手広く音楽を聴けてないだけでたまたま出会えてないだけなんだろうけれど、多分私にとってくるりは「親鳥」みたいなもので、別に私にはくるりがいるから他を必死に探さなくてもいいか、という感覚。よく一途だと言われるんですけど、「一つのものに深く向き合う」という時間が好きなものだから、どうしても範囲を広くする時間が足りないだけだと思うんですよね。
くるりに関してはそんな感じです。だからくるりは私の人生の彩りそのもの。「好きな私」でいさせてくれる存在で、いつだって私の輪郭を取り戻させてくれる存在。まごう事なき、最愛でございます。
映画
映画、好きです。あまり沢山は観ていないし詳しいわけでもないけれど、映画館に行くことが好き。
その中でも特に私は「感情が動かされる」のが大好きで映画を観ることが多いと思います。「この映画を観たら私はどんな感情になるのだろう」といつもワクワクしている。そしてやっぱり、「どんな感情を抱くのか予測があまりつかない」「私に知らない感情を与えてくれるかもしれない」と期待したくなる映画を好む傾向がある。
逆に言うと、「泣ける!」とかの分かりやすい宣伝文句や評判ばかりを聞く映画に関しては一気に興味がなくなってしまって優先順位は下がっていく。
「この映画は恋愛模様にときめいて切なくなれば良いんだね」「家族愛で泣けば良いんだね」「ドキドキハラハラを楽しめば良いんだね」「下らなさに笑えば良いんだね」「この主演俳優さんに胸キュンすれば良いんだね」と、その映画をどういう風に見たら良いか、自分がどんな感情になるかが読めてしまった時点で結構興味を失ってしまう。それが私の一方的なものであって、実際観に行ってみたら違うかもしれなくても、それでもわざわざ「観に行ってみよう」と思えるお金と時間の余裕はない。だって「私をどんな感情にさせてくれるんだろう」と期待させてくれる映画が他に沢山あるから、それがあまり感じられなかった映画をあえて観に行くより前者を優先したい。
「どう観たら良いか」「どういう感情になるか」が予め分かる映画は、やっぱりそれはそれで観る人に安心感を与えるものだとは思う。だからむしろお金と時間をかけるなら、どんな感想を抱くか読める映画を選ぶ人の方が圧倒的に多いかもしれない。予想したことが予想通りに返ってくる気持ち良さだって勿論知っているし、創作における「不測」や「変化球」や「説明不足」をストレスに感じる人がいるのもなんとなく分かるし、私も配信であればあえて分かりやすい作品を選ぶときもある。たとえばすごい疲れている時とか。もしくは「こういう気分になりたい」と自分の中で明確にあるときなんかはそう。
でも私はやはりくるりを聴いている時みたいに能動的な態度でいられる瞬間が好きで、「何も考えずに観られる」みたいな映画もその瞬間は楽しむことが出来るんだけれど、投げた球が予想外のところに打ち返されたような驚きをどこかで求めてしまう私としては少々物足りない。
なんなら説明台詞や説明描写が控えめで、「ストーリー上は何も起きていないようだけれど、人物の中ではすごく何かが起きている」と感じる作品とか、よく分からないままに感情を強く突き動かされ「なんか分からないけどすごいものを観た!」と思える作品に出会えて、お腹に残る正体不明な、時にあたたかく、時に重く、時に熱い「余韻」を抱えて劇場をあとにすることが出来たときなんか、「やったーーーー!!!!!」と走って帰りたくなる。
そして観た後にじっくり「あの映画の中で何が起きていたんだろう」「私に沸き起こった感情はなんだろう」「なぜ私は感情を突き動かされたのだろう」と考えている時間が、たまらなく大好きだ。なんならそれを考えている最中に自分の中で言語化がされた途端、余韻が膨れ上がりそれを消したくなくて電車には乗らず何本か先の駅までずっと歩いてしまったり、涙が止まらなくなって映画館の外のベンチで10分くらいずっと泣いた経験すらある。前者は『アンダー・ユア・ベッド』、後者は『異人たち』って映画で起きた出来事です。
それらに加えて「変な映画」も結構好きだ。今や『桐島、部活やめるってよ』をきっかけに、映画ファンから確実な評価と信頼を勝ち得ている日本の映画監督の一人である吉田大八さんは、私の中で「新作は絶対観る」監督の一人。むしろ今のところトップクラスで好きな映画監督だ。『美しい星』のパンフにサインもらったことあるし。ただこの方の映画が、めっちゃ面白いんだけど微妙に変なのがたまらなく魅力で、くるり同様根本となる作家性は確立されているんだけれども、それでも「何をかましてくるか分からない」楽しみがある。新作を観に行くたび「よっしゃあ!! 来いや!!!」と気合いが入る。私の大好きな「能動モード」だ。かかって来い!!! 気圧されないぞ!!! と構えるのだが、緻密に積み重ねられる的確な描写とユーモア、そしてクライマックスで虚と実が混じり合って爆発するダイナミクスに「どっひゃーーー!!!」と毎回腰を抜かしてゲラゲラ笑って転げまわっている。
そしてそういう映画たちは、時間経過で消費されることなくいつまでも私の心の宝物になる。
そしてくるりの音楽同様、何度観ても飽きることがない。説明過多な作品には少々胸焼けを起こしてしまう私にとって、観る人を信用し説明はしすぎず余白を与え、丁寧で噛み応えのある理知的な機微を積み重ねた映画が私にはとても心地良いのだ。
あとこれ別にわざわざ言わなくていいと思うんだけど、橋本将生趣味に「映画」を挙げていたけれど、私と映画の趣味が絶対に合わない自信がある。
これはマジ。今まで書き連ねた願望と妄想はすべて虚像だけれど、これだけはマジだと思う。
ラーム・チャラン
一番最初の橋本将生に関するnoteでもラーム・チャランさんのことは語らせて頂いているが、まず彼に心を奪われたのは『RRR』という映画の嘘みたいな面白さと、彼が演じるラーマというキャラクターに情緒をめちゃくちゃにされてしまったことがきっかけだ。「なんだこの人は!?!?」という衝撃を抱えたまま彼のことが頭から離れない日々を過ごしていたときに、私はYouTubeでとある動画を見つけてしまう。
インド映画を一言で説明することはかなり難しいが、チャランさんが活躍しているテルグ語映画界は「家系スター」がメジャー映画の中心であり、ダンスが得意なスターの主演作に関してはファンサービス的な意味合いもあって映画の中に「ダンスソングパート」が4~5曲分くらい入ってくることが多い。一応物語の展開に沿っている曲ではあるが、ものによっては衣装もセットもガラッと変わって歌とダンスが始まるので、日本人からは「インド映画って急に踊るやつでしょ?」という印象をつかせている要素ではある。インドにとって「歌とダンス」という芸術は、日本人とは全く違った潮流で比べようもないくらい深く歴史と文化と大衆に根付いているもの、という背景があるので、日本人的価値観であれを嘲笑気味に語るのはちょっと恥ずかしいことであるのを一旦ここで留意させて頂きたい。急に厄介オタクが出てきてごめんなさい。
そして映画本編から抜粋された「ダンスソング」パートは、ほとんどが映画公開後には公式からYouTubeにアップロードされるので、日本からも気軽に観ることが出来る(なんなら本国では海賊盤の横行がひどいため公式が映画本編をまるまるアップしている作品もある)。
そこで私はたまたまラーム・チャラン主演映画『Bruce Lee: The Fighter』から『Kung Fu Kumaari』というタイトルのダンスソングを見つけた。
『RRR』のラーマでは重い責務と使命を背負い葛藤する、複雑で深みのあるキャラクターを演じていたチャランさんが、その動画のサムネイルでは大変コミカルな表情をされているのがどうしても気になってしまい、「わ、私の知らないチャランさんの顔が……!?」と恐る恐る動画を再生した。
びっくりした。めっちゃキラキラ王子様してた。キメ顔、困った顔、照れた表情、素敵な笑顔、チャーミングなアクティング、華のあるダンスの何もかもが凄くて、目が離せなかった。
このお方はこんなに色々な表情をする方だったのか!!!! な、なん、すご!!!! 情報量がすごい!!!!!! このお方は、底が知れないぞ!!!!! と感じ、衝撃を受けたのだ。
もうそろそろここまで付き合って下さってる勘の良い方は分かります? これもう12/21分のnoteでも書いてた、私が橋本将生の『人生遊戯』で感じたギャップと驚きに似てることを思い出したんですよね。
最後に結論まとめようとしてたのにさすがに引っ張りすぎなんで一旦チョロ出ししちゃった。
そして役者としてのチャランさんを語る上で、『RRR』のもう一人の主演スターであるNTR Jr.さんと、S.S.ラージャマウリ監督の「ラーム・チャラン評」を外すことは出来ない。
シャイで人見知りなラーム・チャランさんに対して、NTR Jr.さんは平場においてもサービス精神旺盛で言語化能力が高くトークスキルが凄まじいお方なんだけれども、そんなNTR Jr.さんは共演者であり敬愛する友であるラーム・チャランさんを「閉じられた本」「海のような人」と大変詩的な言葉で表現されている。
本の外装や、穏やかな海面を眺めているだけでは、その中がどうなっているのかは見えてこない。彼に招かれ、彼の中に飛び込むことが出来たとき初めて、その奥深さや豊かさを知ることが出来ると、NTR Jr.さんはラーム・チャランさんの魅力について語っておられる。
また監督であるS.S.ラージャマウリ監督は、以前からタッグを組んだり親交のあった主演スターのお二人の魅力の違いについてこう語っていられた。
「チャランは素晴らしい俳優だけど本人はそれを自覚してない、タラク(NTR Jr.の愛称)も素晴らしい俳優で本人もそれを分かっている」
その点についてラージャマウリ監督は別のインタビューでもう少し詳しく語っていて、「タラク(NTR Jr.)はこちらが求めていること、理想としていることを的確に理解し素早く表現する能力に長けている素晴らしい俳優。対してチャランの芝居はとても『瞑想的』で、彼の内側から何が出てくるか本番まで分からないところが魅力」という表現をされていた。
『RRR』本編を観ていても、そのお二人のお芝居の在り方の違いというのは私もなんとなく分かる。NTR Jr.さんはオーラや空気、感情をご自身の表情や体にまとうのが物凄く上手い。一瞬で人の心を的確に掴む魅力に溢れていらっしゃる。対してラーム・チャランさんは憑依型というか、「彼の内側に何かがある」と思わせる雰囲気がすごい。その上で、表出されるものが監督ですら予測不能という底の知れなさも秘めている。
私はNTR Jr.さんのそのお芝居の完成度、表現力の高さもとても尊敬しているし、彼のことも大好きだから勿論NTR Jr.さん単独主演の映画も今後追っていく所存だ。
ただ今までの話通り「何かあるかもと思わされる」「能動的にさせられる」「何が出てくるか分からないとワクワクする」という点がツボである私にとって、人生で初めて俳優さん個人にしっかり心を奪われるに至ったのはラーム・チャランさんだった。他の主演作においても、キャリア前半は伝統的なジャンルの作品を踏襲することが多かったけれど、近年作では様々はジャンル・キャラクターに果敢に挑戦しておられていて、そしてそのたびに「こんな顔も持っていらっしゃるんですか……」「マジなんでもやれちゃうんすか……」と思わされるのがとっても楽しい。あとはもう言わずもがなですが、シンプルに美貌が好きですね。ダンスも大変ホットで最高。そんなラーム・チャランさんは、これからもずっと観ていたいと思うスターだ。
橋本将生
やっと橋本将生の話ですね。
この流れで出てくる異質感がすごい。
でもここまでの私の趣味嗜好の話を読んでくださった方なら、もしかしたらもう私が言いたいことも薄っすら分かって頂けたんじゃないかなーって思うけど、ここから先はさらに自分の願望を煮詰めた二次創作なので、もうだいぶ置いてけぼりを感じられる方もいらっしゃるかもしれない。お覚悟を。
私が橋本将生を気になりだしたのは「3次審査」からだった。まず「コミュ障で人見知り」と自称する彼が決して他人事に思えず(私も人見知り、特に大人数の場では物凄い殻に閉じこもる)、「ふうん……綺麗な顔して……でも分かるよ…」という風に見ていた。ただそう話す声のトーンであったり、Can do! Can go!を踊っているときの表情だったり、「この場に賭けて来ているなら人見知りとか関係ない」と切り替えた様子に、なんとなく「この子本当は人に慣れると結構ノリ良いタイプなんじゃないかな」と薄っすら感じていた。これも私自身がそうだからだ。人見知りのくせに慣れるとすごい懐く。自己を投影してしまっていた。
菊池風磨兄貴から「クールなだけだと飽きちゃう」と指摘され、1対1で「自分を出すことは難しいか?」と問われた彼が少し声を震わせているのを見て「こんなにカッコいいのに君に何があったんだよ」と心が前のめりになった。
そしてMonsterの本番パフォーマンスで見せた表情。それはとてもささやかなものだったかもしれないが、菊池風磨兄貴の細評が良すぎた。
「嬉しかったよ、俺は」
自分を見つけてくれた、自分を見たいと思ってくれた人が目の前にいて、そしてそれを評価してくれたことの嬉しさに、橋本将生が打ち震えているように私は見えた。
そうしたら私は「もっと彼を見ていたい」「彼からまた違った顔が見られるなら、もっと見たい」と思った。候補生を見ていて、初めて「能動的」になれた瞬間だった。
そして4次審査、『人生遊戯』での変化。盛り上げ隊長に任命されてから、どんどん出てくる彼の色んな表情や姿に胸を打たれた。
本番パフォーマンスは「やれることをなんだってやってやる」という気迫さえ感じた。こんな顔をするなんて、こんな表現をするなんて。次々に飛び出す彼があまりに魅力的で、感情を揺さぶられて腰を抜かした(オタク特有の誇張表現)。3位通過は納得だと思った。あの彼の姿を評価してくれているtimeleszのお三方に、何だか感謝に似たものを感じてしまった。この調子ならば橋本将生はさらに勢いを増すかもしれないという期待が膨らんだ。とてもワクワクしていた。
間に番外編として座談会が入った週は、「動いてる橋本将生が見たいな……」と我慢できなくなって彼がかつて所属していたアイドルグループのダンス動画を見たりした。そこで私は、彼が自分の認識よりもめっちゃ踊れる人であることにまたちょっと驚いた。踊れる子たちばっかりのグループの中で、橋本将生のダンススキルがどのくらいのものなのかは素人には分からない。でもダンスをするのがすごく楽しそうに見えた。長い手足を生かした跳ねるような表現力、柔らかさと力強さの緩急のつけ方に「すごいな、橋本将生……」と思った。
そのあとに大変遅ればせながら、本人のインスタのハイライトに残っているダンス動画を見た。投稿時期的には以前所属していたアイドルグループを脱退したあとのもので、そのあともダンスを続けていたということを知った。ジャンルがタフネスなイメージがあるストリート/ヒップホップ系であることは少し意外だった。帽子を目深に被り、時にマスクもしてほとんど顔が見えないような状態で踊っている彼は、力強くテクニカルな感じで、やはり身体的な表現力は高く見えた。こんな人が、どうして4次審査まであんなに自分に自信がなさそうなんだろうと不思議だった。これだけ顔が良くて、スキルもあって、アイドル経験もあるなら、もっとギラギラになっててもおかしくないんじゃないかと思った。
そこで私はふと突飛な想像をした。
彼の身体的な表現能力、この頃に突き詰めていた力強いダンススキル(タフネスなヒップホップ)は、「自分自身に魅力があるか」を信じきれない繊細な心を守るための、後天的に身につけた鎧のようなものなんじゃないだろうかと。
もうこれは完全に想像、妄想、二次創作。そしてやはり自己投影だ。
私のnoteをたまに「文章が好き」とか「言語化力」といった大変勿体ないお言葉でお声がけくださる方がいて、それ自体はとても嬉しいことではあるのだけれど、私のこのとにかく言語化して文章にするという作業は、揺らぎやすく臆病な自分の心を守るための「理論武装」という面があるかもしれないと薄っすら自覚している。オタクにありがち。
で、ですよ。私はまた思い出したんです。この完全に主観的な妄想に、さらに願望を重ねる話をするんですけど。
私は映画の中で、「孤独や不安を抱えてかたくなになってしまった心を抱える人物が、愛を知ることで見える景色が変わり、幸せになろうとする勇気を手に入れる」物語がめっっっちゃくちゃ好きだと言うことを思い出したんですよね。
では私のこのド趣味(もはや性癖)を無理やり絡めつつ、今までの橋本将生のドラマを思い返してみましょうか。マジで心の準備しておいてくださいよ、客観性も根拠も皆無のオタクの二次創作なんだから。
仮に橋本将生が本当に「自分を表に出す」「自分を信じる」ということに不安を抱えているとしても、その具体的な要因は分からない。こればかりは本人の中にしかないし、説明する必要なんかない。詮索するつもりもない。それすら私の勝手な妄想で、実際はそんなことはないのかもしれないし。万が一過去の活動が関係しているとしても、かつての仲間のことを思うと余計な憶測を呼びそうなことは言いたくないだろう。
ただ橋本将生の以前のグループでの動画を見ていると、あんなに楽しそうに踊ってるダンス動画でもコメント欄で彼についてのコメントがほとんどと言っていいほど見当たらない(現在の橋本将生のファンの方がコメントしているのは見るが)。ライブステージ動画でも、彼は後ろの方や端の方で、ほとんどバックダンサー状態でパフォーマンスしている。見つけるさえやっとな動画もある。そのことについて、正直勝手に胸が詰まってしまったのは所感としてある。
4次審査で橋本将生は、NOSUKE先生から「(見え方として)譲っちゃいそう」と指摘されている。もし彼が自分自身を信じきれない、自分自身に魅力があるかどうか分からなくて不安を抱えていたのだとしたら、譲ってしまいそうと言われたことにある種納得してしまって、納得してしまった自分を悔しく思ったのかもしれない。「ダンススキルより表現力」が求められる課題曲だから、今まで培った身体表現のみでは勝てない。インスタのハイライトのダンスみたいに顔を隠すことも出来ない。むしろもっと表情を出す、感情を出す、自分自身を出さなくてはいけないというのは、彼にとってはとても不安だったかもしれない。自分なりに出してみても、伝わらない、受け入れてもらえないかもしれないから。でもNOSUKE先生の「見た目のクールさに苦しめられてる」という理解と、「色んな顔が見たいって期待されてるってことじゃないかな」という優しさに触れて、切り替えなければと思えたかもしれない。
そして菊池風磨兄貴から盛り上げ隊長を任命され、その身を守る鎧(スキル)が無い状態で発露したむき出しの自分の姿を、「やれんじゃん」「頑張ってる」と愛を持って受け入れてくれた人生遊戯チームのみんなの存在に、彼は物凄く救われたかもしれない。それであれば、そりゃ本番前に「愛してる」って言うよ。いまだに人生遊戯チームの山根くんやロイくんが大好きなのも伝わるよ。岩崎くんとも遊びに行くよ。
受け入れてくれた仲間を信じて魅せた本番パフォーマンス、出し切る気概と共に色々な表現や表情を見せた彼の姿、特にサビ前のパフォーマンスを、佐藤勝利さんが「自分には出来ないと思った。ずるい」と評価したこと。それを受け止めた橋本将生の瞳は、まるでこんなに綺麗な景色を見たのは生まれて初めてとでも言うように、純粋で透き通っていたように見えた。
突然のオタクポエム失礼。まあ実際目の前にすんごい美しい人がいたわけだしね。この場面を本編からカットしてBehind採用とはどういうことなんだ。
そして4次審査 3位通過という目に見えた評価を受けて、「譲っちゃいそう」に見えてしまう自分から脱却しようと覚悟を決めて、「最強になります!!」と宣言出来るほどの勇気を彼が手に入れ始めているのかもしれないと思った。5次審査初日、菊池Pの課題曲で課せられた「緩急」は、自分がオーディション前までに培ってきた「身体表現」が生かせるかもしれないこと、そして今までの審査で得た経験も生かしてさらに良いパフォーマンスが出来るかもしれないことを、彼はとても楽しみにしているように見えた。
そうなれば私は、彼の物語を最後まで見届けなければいけないと強く思ったわけなんです。
もうね、分かります?
橋本将生の存在自体が私の「ド趣味」すぎたんですよ。
全部妄想だけど、あまりに説明がつきすぎた。自分でもちょっとびっくりするほどに。
勿論これはすべて妄想で、私の自己投影と理想を橋本将生に押し付けているだけだ。誰だって彼に対してそう感じているわけもないし、実際の彼がどうかは分からないし、全然違うなんてことはめっちゃ有りうる。本人がこれを読んだら「好き勝手言っててキッショいなあ」と思うだろう。マジでごめん、本当にごめん。読むな。
それに当初私が彼に対して「もっと何かある人なんじゃないか」と感じたことは、決して「他の候補生にそういう類の奥深さを感じなかった」という意味ではない。たまたまその予感を私に感じさせたのが橋本将生だったというだけだと思う。彼があのまま3次審査の頃のような「繊細そうで儚げな、スタイルが良くダンスも歌もそこそこ良い美人」というだけだったら、私はここまで彼にのめり込んでないし、こんな大量にnoteも書いてないと思う。というかそれでは4次審査通過もしてないと思う。
ただ「どんな人なのか気になった人」が、驚くほど「色々な顔」を持っていて、しかも「自分を信じきれなくてかたくなになっていたけれど、優しさや愛に触れてやっと前に進む、夢を勝ち取ろうとする勇気を手に入れたのかもしれない」というストーリーを彼に勝手に感じてしまったのだから、もう心を掴まれるのは必然だったんだなとすら思う。
そしていまだに言語化されていない、私の中でもこんなに言葉を尽くしてもまだ言語化できていないような気がする「橋本将生の魅力」に、まだまだ色んな顔が見たいな、底なしだな、と感じてしまうわけでございます。
たーだ。菊池Pにとっては「まだまだもっと魅せないといけない」という課題を感じてらっしゃるようだ。私は菊池Pのあの橋本将生へのメッセージがanan撮影時期の、本編配信「人生遊戯チーム本番パフォーマンス+ライネクチーム前半」が終わった頃のものだとしたら、それに対する画面の向こう側の反応を思慮したものなんじゃないかと推測したことは前回のnoteで書いた。
でもそうじゃない可能性だって勿論ある。こちら側には見えていない菊池Pの思惑がある可能性は十分ある。本番直前まで「まだまだもっと意志を見せろ」という焦りに似た発破をかけていたのかもしれない。
タイプロ側がアイドルとして"めちゃくちゃ売れたい"という狙いを掲げているのであれば、確かに身近な自分たちにしか魅力が伝わっていないと感じているようではダメだろうし、私のような勝手に機微を育てるタイプのオタクにウケてもしょうがないだろうなとも思う。(再び”言わずもがな”ではございますが、"橋本将生のオンナ"の皆さまが皆そうだと言いたいわけではないです)
映画で言えばミニシアターで映画ファンだけにウケて終わるのではダメで、シネコンで多くの人々を呼び込めるものがないといけないのだと思う。
ただやっぱさあ……。
すでに5次審査に入ってからチラ見えしてる橋本将生、どんっっっどん雰囲気仕上がってません????
菊池Pのプロデュースの賜物か、その期待に応えるために本人の面構えがまた変わったのか。これ勿論完全に自分が「橋本将生を探す目」になってるからゆえの贔屓目なんだろうけど、佐藤チームのBehindの手押し相撲だったり、松島チームの鈴木くんとノアくんの自撮りの遭遇だったりで、橋本将生がフラッっと入ってくると
「出た……」
って思っちゃうんですよ。なんかすごい存在感を放ってるように見えちゃって。色気も増しているように見える。
私昔吉田大八監督の『美しい星』って映画を初日観に行ったとき、隣に座った女性2人組がどうも亀梨さんファンだったみたいで、亀梨さんが登場した途端小声で「出た……」って聞こえたのがめっちゃ面白かったんですよね。出ますよ、そりゃあ。重要なメインキャストなんですから。
でも私もその「出た……」の気持ち、めっちゃ分かっちゃいましたね。
あと橋本将生の「醸し出す雰囲気」って、さっきの存在感みたいなところもそうなんですけどもう一つ思ったことがあったんですよね。
先日私『トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦』っていう香港アクション映画観に行ったんですけど、そこで主人公サイドのマフィアのボスの右腕として信一(ソンヤッ)というキャラクターが出てきましてね。
まあイケメンなんでございますわ。
で、このキャラクターが単体で出てきてもとっても魅力的だったんですけど、「誰かの隣に来たときに画面のクオリティを1.2倍くらい引き上げる人だな」ともふと感じたんです。右腕としてボスの隣に並んでも、友人となる主人公と並んでも、「なんかこの並びいいな」って唐突に思わせる存在感の人だなって。映画もめっちゃくちゃ面白かったです。すごいオススメです。
それでなんかこう、橋本将生もそういうタイプなんじゃないかな……みたいな。一人のアーティストとして輝くというより、グループに「居る」、誰かの隣に「居る」ことでより魅力が引き上がる感じがするタイプのような気がしなくもない気がする。
ま! これも! 人見知りだと言っていた橋本将生に対して、「おっ! ●●くんの隣にいる! 仲良さそう!」というのが嬉しくて勝手に色づいて見えるだけかも。ワハハ。
ところで…
そういえば橋本将生の「リーク動画」がちょっと違った展開を突然見せましたね。びっくりした。
私が初めて書いた橋本将生に関するnoteでその件については追記をしているので、ここでは深く触れないんですけど、橋本将生のオンナたちが物凄く心配しまくっているところですごいタイミングだなと思った。
あと松島チームのbehindで「誰か候補生が”炭酸水”の件をイジってる…?」という疑惑も直前に出てたじゃないですか。あれ見たときに私まずは「そのやりとりが事実であれば編集さん先に気付いてカットして欲しかった…!」と真っ先に思ったのと、「これは絶対触れてはならない」と思ったんですよね。こんな関係性も経緯も分からない、ほんの一瞬のやりとりから憶測される不確かな疑惑で、候補生のファン同士が衝突することになったらマジでやばいし登場人物全員損する! って震えてたんですよ。
ただこれはあくまで「橋本将生」と検索してざっと見た感じの印象でしかないんですけど(アンチはポストするときアルファベット表記で検索避けするらしいという超怖い事実を最近知った)、結構な割合の”オンナ”の皆さまが、「悪意を弾に込めず推しへの愛を込めようぜ」という方向に切り替えてらっしゃったのが、マジで素晴らしいなと感激したというか。いや、万が一本当にイジられていたらめっちゃ傷付くのは分かりますよ。悲しくなってしまうのも当然です。怒る気持ちも分かる。でも矛先を向ける根拠があまりに薄い状態だったじゃないですか。だから「ここは一旦、納めようじゃないかあ……」という感じで言葉を鞘に納めるご様子、渋い武士道すら感じましたよね。ちょっと何言ってるか分からないですけど。
ただ誤解(を生むような切り取り方)とは言え、「過去の自分の活動姿が問題視され晒されている」と橋本将生本人が気付いたら(当時から気にしないって意見も多いかったけど、こういう時は批判の声の方がでかく映るからなあ……)、正直メンタルはキツイと思うんです。私だったら本当に怖い。だからあの動画が晒された時期と重なったであろう5次審査の橋本将生をやっぱり不安な気持ちで見てしまっていた。私もあまり書かないようにしていたけれど、本当はすごく怖かった。
そして追記ではああ書いたはものの、あの詳細が事実だったとしても、その件が全方位に対して完全に真っさらな「不問」になったかというと、私はそう簡単な話でもないのかもしれないとも思う。
3次の齊藤くんや日野くんのケースを考えると、あの動画の件が発覚した時点で5次審査中に橋本将生はタイプロ側と面談をすることになったと思う。橋本将生は自分であの動画の経緯を説明できるだろうし、芸能サイドであるタイプロ運営が、終了した番組と解散したグループの情報とは言えその裏を取ることは安易に可能だろう。私たちよりずっと先に背景を知っていたと思う。
ただ悪意のある切り取りだと分かってはいても波紋は呼んでしまった。「timelesz候補生」というだけで今か今かと叩こうとしている人々に、悪い言い方をすればエサを与えてしまった。これは多分消せない。弁解をしても聞かない。理解しようともしない。「自分が”嫌だ”と思ったらいくらでも石を投げて良い」と思っている人たちだから。たとえtimeleszのお三方が「個人的には気にしない」「取るに足らない」と思ったとしても、その点についてどういう判断をされるのかは、私には分からない。
きっと面談は橋本将生へのケアが優先だったんじゃないかと思う。このままオーディションに参加し続けるかどうか。まだ一般人である候補生がオーディション参加前の過去の活動を悪し様に晒されて傷つけられたことに対して、プロジェクトとして当たり前に行われるケアとフォローがあったと思いたい。
起きてしまったことを押してでも勝ち進みたいという意志はまだあるかどうか。timeleszのお三方に、その件を押してでも「進ませたい」と思わせられるかどうか。そんな課題が橋本将生には降りかかったんじゃないかと思う。
オーディションを受けなければ多分こんな目には遭わなかった。こんなに厳しい目を向けられることはなかった。覚悟はしていたかもしれないけれど、それでも実際にそれが身に降りかかったときに、平気でいられるかは別の話だと思う。
それでも「ここにいたい」と、「ここで変わる姿を見せたい」と橋本将生が勇気を振り絞ったのなら、頑張ると決めたなら、1位を獲ると言うのなら、私にとって彼ほど魅力的なアイドルはいないよ。
大体よ。
私の知ってる橋本将生はよ。
そう覚悟決めたら「やる」男だぞ????
やるよ、ほんとに。5次審査からずっとスタジオとかタイプロハウスでチラ見えしてる姿がよ、めちゃめちゃオーラ仕上がってて髪の揺れや視線の動きだけで美と色気が飛び散ってるんだぞ。
本番はマジでやるぞ、この男。
佐藤チームのロイくんほどのものは結構大変かもしれないけれど、それでもすごい「魅せる」ぞ。やばいと思うぞ。
彼がそこまで魅せたとして、視聴者がそれを目の当たりにしたとして、視聴者の心を動かしたとしよう。「彼はすごい」と今までよりさらに多くの人に思わせたとしよう。
それでも「あの一件」のみが理由で彼が通らないようなことがあったらよ。
そんなの全っっっっっっっ然 面白くない!!!!!!!!!!!!
良し悪しじゃない。つまらなすぎる。そんな物語、そんなエンタメ、全然面白くない。
大体タイプロというプロジェクト自体、めちゃくちゃ前代未聞の挑戦でいらっしゃるんでしょう? 事務所内の増員ですら叩かれるのに、新メンバーオーディションを一般から募集するって、そして1次審査から最終審査までずっと既存メンバーが直接候補生を審査するって、オーディション番組としてもドドドド異例なのでしょう?
それでも「守ってばかりいたら勝てない」「無茶だからこそ活路があるかもしれない」と、timeleszのお三方が踏んで自ら身を切って挑んでおられるのだろうことはすごく伝わってくるし、それをサポートする多くのスタッフの方々もその気概を買ってこのプロジェクトを絶対に成功させるという心意気を抱いてらっしゃるんだろうことは伝わるんですよ。だから私はこの番組にのめり込んだんですよ。
もし今の橋本将生が「進んで欲しい」とtimeleszのお三方に感じさせるほどの本番パフォーマンスを全力で見せることが出来たとしても、それでも結局あの一件のみが原因で一発アウトと仰るのならば、そのご判断の良し悪しを私に決める権利はない。
でも彼が過去のアイドル活動で頑張っていた姿の一部というだけなのに悪様に切り取って、彼が言い返せる立場ではないのを良いことに一方的に断罪して、独善的で感情的で雑な「アウト」を叩きつけて、自分の望み通りのもの以外は全部無価値みたいな考え方の人たちにさ、
頼むから負けないでくれよ、そんなの全然面白くないよ。
何が正しいとかセーフとかアウトとか、そんなのアイドル門外漢の私には分からないけれど、そういうの全部振り切って輝きまくって勝ち上がってみせる超カッコいい”今”の橋本将生の物語が私は見たいんだよ!!!!!
勝てよ、橋本将生!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
うわーーーーーーーん!!!!!!!!!!!!!!
ごめんなさい。取り乱しました。
もうね、無理すぎです。金曜日が待ち遠しいんだか怖いんだか、もう情緒めちゃくちゃなんです。
でも本当、信じて見守るしかないですよね。橋本将生ならやってくれるって。マジでそれしか出来ないもん。だってもう実際の5次審査終わってるし。すごいよね、このタイムラグ。
「どんな結果でも橋本将生が笑っててくれたら…」という穏やかなメンタルでいたいけれど、その反面「勝ってくれよ~~~~~!!!!!!」と駄々をこねまくって胃が捩じ切れそうになってます。元気に大暴れしてます。
マジで今回は長文で本当にすみません!!! 読むの疲れましたよね!?!?
ブルーベリーとか食べてください、ホットアイマスク使ってください。
お付き合いくださってありがとうございました。
5次通過してまだまだ私にnote書かせろよ、橋本将生。
そいでは!