
左肩に感じる「幸福の重さ」
育休が始まって今日で3日が経ち、明後日からいよいよ妻と我が子が(妻の実家から)この家に帰ってくる。退院後すぐに育児生活がスタートしている妻に比べ、最近育休を取った私は完全に子育てというビッグウェーブに乗り遅れている。まずい。
「育児は最初が肝心だ。」
これは、ありとあらゆる本やSNSで言われているし、上司や友人にはじまり、意識の高い子育てユーチューバーまで口を揃えて言うのだから大方正しいのだろう。
何とかせねば。そんな焦りを抱きながら、今日は妻の実家へ赴き、育児生活のトレーニング(生活の流れを体験)をしてきたのだ。
目的地に着き、インターホンを押すと、妻が出迎えてくれた。私は前述した使命感から妙に緊張していたのだが、それを悟られぬよう、精一杯の平静を装いながら玄関に入っていった。
そして、久々の我が子との対面。
オムツを替え、抱き、ミルクを飲ませ、抱き、ミルクを吐き、抱き、ときにはスクワットに回転を交えたアクロバティックな動きで眠りに誘い、抱き、沐浴をし、抱いた。
そして、眠りにつく我が子。
私の左肩に頭を預ける我が子から、すやすやと小さな呼吸音が聞こえる。横目でその顔を覗けば、それはそれは安心しきった顔で寝ている。ここがジャングルだったら、こんな無防備な生き物は真っ先に捕食されているに違いない。自分で立つことも歩くこともできず、首を起こすことすらままならない、弱くて愛しいこの生き物は、私の左肩に全てを委ねて眠っている。
月並みな言葉しか浮かばず自分の文才の無さに嫌気がさすが、我が子よ、最高に可愛らしいぞ。
いま左肩に感じているこの重さは、確かにこの世に生まれた我が子という存在を噛み締める術であり、私の幸福そのものなのだ。
そんなことを思った、育休3日目。ではまた次回。