何かを成し遂げるためには権威主義にあやかる必要がある。たとえそれが反権威主義であろうと。
反権威主義とアナキズムは似ている。というかアナキズムの一部であると思う。
でもそういった思想に興味を持ってもらうには権威が必要だ。
権威を調べると「すぐれた者として、他人を威圧して自分に従わせる威力。また、万人が認めて従わなければならないような価値の力。」とある。
そうだとしたら「面白い事」も権威になるのではないか。
面白い事、は万人が認めて従っている。
というか万人に認められ従われている者は芸術家でも思想家でもアナーキストでもその者たちの行動は権威主義に基づく行動と言えるのではないか。
例えば芸術家なら「絵を書く」という行動によって万人に認められ従われているのだから、「絵を描く行為」は権威主義的な行動と言える。
もし、素晴らしい反権威主義システムができて万人が認めて従っているものになったならばそれはもう権威だ。
じゃあ、権威じゃないものってのはつまらないものなんじゃないのか?
反権威主義者として筋の通った行動とは?
というか筋が通ったらもう「権威」なんじゃないのか?
普通の学校生活を送っていた僕が初めてカウンターカルチャーに出会った時、なんて奥深いんだ。と思った記憶がある。
そして、カウンターカルチャーの思想が受け入れられない学校がとても退屈でつまらなく思えた。
僕は今、またもやそのような機会を目の当たりにしているのではないか。
反権威主義として筋の通った発言とは?
多分、それは見つけられると思う。
でもそしたら、より深い世界へ行ってしまって、カウンターカルチャーすらつまらない学校のように思えてしまうのではないか。
それは怖い。
そんなのは嫌だ。
おそらく、今の僕がそれなりに楽しく生活する方法は、「あからさまに社会に良くない影響をもたらす権威主義から権威主義に基づき逃避する事」だろう。
つまり、論文に書いてるんだから間違いではないとか、有名な教授が言ったから間違いじゃないみたいな、そういう考え方は社会を腐敗させるのには間違いはない。
社会から逸脱する行為は社会に依存するのである。
ヒッピーのような素晴らしい価値観や思想は抑圧された社会のアンサーな訳で、社会あってこその話だ。
僕らは社会から逃れられない。
逃れてしまえばつまらなく、辛い人生を送ることになる。