エグいは以ての外「ヤバい」「すごい」から開放されたい
ぼくは所謂抽象的“若者言葉”を分節化して具体的な表現をしたい。
近頃”便利な言葉”として「エグい」「ヤバい」などが使われる。特に若い世代に。言わずもがな、何かの程度が甚だしい事を表現する時に屡々使われる。しかし、この場合何の度合い凄まじいのかが明確ではない。それにも関わらず、共通認識がある。
これは日本だからだろうか、日本人は良くも悪くも相手の意図やコンテクストを汲み取り意思の疎通を図っている(と思っている)。だがこれによって問題が発生することもある。言葉足らずで衝突が生まれたり、分かっている振りをして心得違いの蓄積がされていったりして結局は問題に繋がる。(想いは繋がってないのにね)
まあ、話を戻すと適切な記号としての言葉で表現をして心の内を相手に伝えたい。だからぼくは表現の幅を広げたいと思い、言葉を調べ、現代文の用語集を読んで、頭の中に積み重ね、自分の見えてる世界や潜在的にある情緒を最適な記号を彩り豊かに思い描き、表出したい。そうしたい。
但し、むつかしい言葉を解らない者に使うとカタカナにしか聞こえない。言葉は意味を知らなければただの音になってしまう。結局は「エグい」「ヤバい」としか言わない人達には伝わらないのである。
むつかしい言葉を使わずに便利な言葉ばかり使っていると、音や文字の記号が理解できず、文章が”読めなく”なってしまうのではないかと思う。そうすると、論文を読むことはおろか、教科書も読めず、俗に言う頭の良い人とは会話にならなくなり、理解ができる者と、カタカナにしか解らない者に二分され、常用の言葉が少なくなっていき、「エグい」「ヤバい」で説明が終わり、日本そして日本語の中にも言語が分かれていくのではないだろうか(極論)。日本語、純日本語みたいな?ネオ日本語とか?
そんな世界はエグいしヤバいので言葉を勉強して沢山お話をしようというぼくのお願いでした。(?)