元鞘にもどりたい。
今年は毎月、プレイリストを作るようになった。
元々音楽は好きだったけれど、本の方がずっと心に感動を与えてくれていた。
社会人になって文章を読むのにも体力がいることに気がついた。文字を目で追いかけることが増えた。文字の上を目線がすらすらと滑り、ページは進めど、何を読んだか記憶にない。腰を据えて文章を読むには相応の余裕が必要で、1日のほとんどを拘束される社会人でまともに読書を楽しめる人がいるのか疑問だ。
本を読んだ後、あれこれ考えるのが好きだったし、栞を挟んで本をしまっている時でさえ、続きに思いを馳せていた。日付が変わる時間に目を覚まして、寝静まった部屋で1人ページを捲る自分に酔い、その自己陶酔すら愛していた。
文章はこちらから向き合わなければ、相手にしてくれない。
音楽は(特に今の時代は)イヤホンをしてボタンを押すだけ。
知らない音や言葉が、今や本にとって変わる楽しみになってしまっている。
僕はこのことに罪悪感情を持っている。
得られる快楽のスピードや、手軽さが読書を差し置いて音楽を聴く理由の一つとして大きすぎるから。
音楽の楽しみ方は一つではない。
ライブに行ったり、実際に演奏してみたり、もちろん聴き方ですら。
気味の悪い例え方をすると、本は前の恋人、音楽は今の恋人だ。
もっと気持ちの悪い脚色をつけてみよう。
本は幼馴染で、初めて知った異性。
キスもセックスも全部はじめて。関わった時間も長い。でも、時々ほんとに自分を好いてくれているのかわからなくなるほど不思議な接し方をするし、周りの友人からの評判も極端。
音楽はみんなの人気者。いろんな趣味があって、悲しい時は一緒に悲しむし、楽しい時はもっと楽しんでくれる。会いたい時は呼べばくるし、呼ばれることだってある。わかりやすい関係。
といった具合に例えれば、読書よりも音楽を贔屓にする具合の悪さを理解してもらえるんじゃないだろうか。
気分が悪い。
今日も読まないくせに、本読まなきゃなぁとか、本屋に行ったり。
今日も読まないくせに、本を買う。
こんな不気味な例え話をして、胸中吐露するくらいには現状に不満を感じている。
いつかはまた読書を楽しめる時がくるのか。
そうなるといいな。
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