【日常にアルプス_11月27日】移住であきらめたこと
Good Morning Alps!
おはよう伊那谷。
2024年11月27日 水曜日
地方に移住して実感していることがある。
手放したもの、持ってきたもの、移住先で選び直したもの、あきらめたこと、心配いらなかったこと。人それぞれだけど、未踏の地だった長野県伊那市に、ほとんど手ぶら(私+扶養家族1人)で移住した私の場合を雑にメモしてみる。
手放したもの
縁の損切り
苦手な物事や人間関係
無意識に享受していた利便性(コンビニとか)
暇があればすぐ無印良品に行く
暇があればすぐスタバやミスドに行く
物理的な距離をおくことが一番の課題解決だなぁと実感。私は甘いおやつと他人が淹れたコーヒーか好きで、すぐにスタバとミスドに行っていた。
持ってきたもの
クルマの運転免許
本当に仲が良い友人とのつながり
大阪の勤め先への在籍(リモートワーク)
貯金
観葉植物
札幌へのダイレクト移動手段(松本空港→新千歳/丘珠空港)
クルマの運転免許なしでは私は移住できなかった。もちろんクルマの運転をしなくても移住できるとはいえ、私の中で「空間移動の自由」の重要度が高いことがよくわかった。
移住前はフルタイム会社員だったので、会社の人間関係も大きく、退職せずに移住できたのは本当に気持ち的にも経済的にも支えになっている。微々たる額でも貯金は安心材料。
移住先で選び直したもの
住まい(大きな古民家賃貸→市営住宅賃貸→ログハウス新築)
趣味(散財→キャンプとスキー)
生活習慣(睡眠時間、運動、プロテイン)
住まいに対する意識が変わったのは大きい。移住前も移住後も「一生賃貸でいいや(その方が空間移動の自由がある)」と思っていたのに、土地のお手頃さを目の当たりにし、住みたい家に出合ったことで価値観が変わった。一般的には遅い年齢とはいえ、私にとってはナイスタイミングだったと思いたい。
あきらめたこと
スタバやミスドに行く頻度
しっかり選書された本屋
おしゃれへの散財
自宅に客を招く
市内唯一のスタバとミスドにクルマで数十分かけてわざわざ行くようになった。移住前に、伊那市にスタバもミスドも、サーティワンアイスクリームもコメダ珈琲店もモスバーガーもあることはチェック済みだった。行く頻度は減ったけれど、「ある」というだけでも大きい。「本当に移住していいんだろうか」と不安になっていた私の背中を押したのは、Googleマップ上に立ったこれらの赤いピンだった。
くまざわ書店の撤退以来、まともな選書をする本屋が不在なことは本当に悲しい。大阪や東京は文化や教養へのタッチポイントが街のあちこちにあったと実感している。とはいえ、地方には、文化に渇望していて行動力がある人たちが一定数いて、伊那市でも「赤石商店」さんという文化拠点があったり、「この町で? そんな尖ったことやる?」という鋭いライブやイベントも催されている。
二ヶ月に一度の眉サロン通いを止めたので、眉はセルフケアになったし、なんかいろいろ面倒くさくなって、スキンケアはニベア青缶になった。イソップのオイルを使い続けていることが都会との接点であり、私なりのおしゃれに対する良心だ。
心配いらなかったこと
雪
寒さ
家族が環境に適応できるかどうか
グランフロント大阪がない
雪は本当に心配なかった。むしろスキーを再開したので大歓迎。冬の寒さもなんとでもなる。大阪時代の古民家の底冷えの方が厳しかった。長野県でも、寒くない家屋に住めばいい。
家族の適応が一番の心配だった。そのため、「さみしくなったらいつでも帰れる」という逃げ道を残しておき、実際に、大阪の友人とリモートでおしゃべりしたり、手紙を送り合ったり、年に数回は大阪に帰ったりする実際の行動で示していた。ここはかなり意識したことで、今では長野県で生まれたのかな?と思うくらい馴染んでくれている。移住後すぐに土地を買って家を建てたのではなく、じゅうぶんに定着した後に建てたことも結果的には最適解だった。たまたまなんだけど。
暇さえあればフラフラ歩いていたグランフロント大阪。遠のいても、私はなんとかなっている。グランフロント側も年を重ね、北梅田のあたりはすっかり様変わりしていると聞く。かつて日常だった、自宅から地下鉄谷町線に乗って数駅で着いた梅田の街を流すことが、非日常的な目標になる感じにワクワクしている。
伊那谷にグランフロントはないけれど、南アルプスはある。今のところはそれでいいかなと思っている。