我が内に秘めたる「太陽」を肥やせ(外が豪雨でもポカポカ〜)
◆記事のイントロにラップ流す人
芯まで照らす 自分差す光 後光のようにはみ出しゆくまで
探求の刃自分に突きつけ 解剖すんのさ恥濫のカラクリ
あるいはそうさ時代のタクラミ
奥の奥まで潜ってみれば 事情は違えど通じ合うかと
発信前夜 繋がる我が身/神
人間のねっこ根ざす地 幸あれ 想像を越えて目指す知 始まれ
◆前置き
先に謝っておくと、今回の記事では【承認欲求】というキーワードを、全く定義的根拠なしで曖昧なまま語っています。…誠意がないですね。もしも喧嘩ふっかけられたら重い腰を上げよう、それまでは我が固尻の根をなでていよう。
ま、雑に言うなら「自分がここにいてもいいってことを信じられないから助けて」 っていう…感じか?
(イマイチ自分の感覚と繋がってないのかもしれない。我が人生のメインテーマに入ってる四天王っぽいキーワードのはずだけど…。)
この記事凄いっすよ
入り口の懐の広さに対する最終的な奥深さが。
(好きなんですよ、星のカービィの企画コンセプトと同じなので。「初心者から上級者まで楽しめるものとは?」っていう。いい記事ってそういうものだと思う。僕はまだ意識できてませんけどッ!)
感想①
一番普遍的な承認が足りてないことによる問題は「あいさつ」が担当範囲だと思ってるな、オレは。
伝えたいことがないと存在承認されないのはあまりにも面倒くさすぎる & いびつな世界(とは思う...、思うだけ、解決の方法は知らん)。
自分語り①
他者を信頼できない星(セイ)に生まれた私のような人間は
結局のところ、他者に承認の言葉を投げかけられてもそんなに嬉しくないことがわかった。
言ってしまえば「他者から投げかけられる肯定の言葉」が、何の効用になるって、
「肯定の理論を知る」ことになると思う。
逆に言えば世間の尺度によって否定されるなんてアホらし!ってことに気づく。
だから、「他者から」ということが問題なのではないんだよな「自責からの解放」が真の効用なんじゃないかな。
え、俺すごいイイこと言ってね?(自惚れクソガキ代表選手権 関西地区出場予定)