慣れの果て
もうだんだん慣れてしまっている、会わないこと、会えないことに。いわゆる「のんびりデート」なんてもう4ヶ月もしていない。やれやれだぜ。
パートナーとのLINE、インスタのスクリーンショットや写真を集めたフォルダが私のスマホの中にあるが、最近はその数が増えることはない。スクショしたくなる言葉を投げられていないから仕方ない。直近は私が書いた手紙を撮影したもの。10月24日の私はこんなことを書いていた。
正直に言うと、あなたに会えないのは、たぶん平気。ただ願わくは…(以下、省略)
「私ってめちゃくちゃ気遣いの人だな!」と思うし、「告白の言葉はZINEにして、思いを直接言わずに誰でも読めるnoteに書いて、ろくなもんじゃねぇな私」とも思う。
多忙なのはわかる。早く休みたいのもわかる。だけど、スクショしたくなる言葉をたまにはかけてくれませんか?と思う。会えないなら、なおさら、ね。
ところで、私はパートナーに瀬尾まいこさんの小説『夜明けのすべて』をしばらく貸している。私は「60年後に返して」と言ったと思う。パートナーが多忙な日々から解放されているであろう10年後、20年後、60年後は二人で穏やかでいられたらいいね、人生100年時代だもんね、みたいな話を昔はしてくれていた。
あぁ、「昔」とか「していた」とか過去形を使いたくはないけれど、昔のDMを読み返すと、「ラブラブだねぇ」と思う。書店の店主に「幸せです」って私がいる前で言ってくれていたこと、すっかり忘れていた。しかしまぁ、今は冗談抜きで冷め切っている。今の私は真顔でキーボードを叩いている。
でもずっと真顔でいるのは、やっぱり無理。パートナーが送ってくれた「ラブレター?と60年後の未来について」という文章を久しぶりに読み直した。
あなたと私の心地良さだけを選べるのであれば、どれだけ気が楽でしょうか。。
60年くらいの未来。あなたとずっと上手い事、楽しく、長くいたい。
「そんな先の話」と一蹴するのは簡単で。私はそうなればいいなと真面目に思っている。シングルマザーのパートナーとの未来を描くのは難しい。あちらが籍を入れるハードルを一気に高めたのは当然で、こどもをほったらかしにして遊ぶ母親でいてほしくもない。だから極端な話、60年後の未来を語るしかなかったのだ。今、私の左目から「すーっ」と汁が流れた。
今のあなたは「60年くらいの未来。あなたとずっと上手い事、楽しく、長くいたい」とまだ思ってくれていますか?あなたにはこの先の60年を賭ける価値があると私は思っているけれど、それでも言葉を欲する私はわがままなのだろうか。こんなことを言ったら、うんざりされるので、言わないでおく。
ここまで書いて急に悲しくなった。私が本音を言わないことに慣れたら、きっと私がいなくなっても、その未来にすぐに慣れるのだろうか、と。