台湾鉄路紀行 第五日後半(台東~花蓮)
普悠瑪号
次に乗る列車の時刻までは、まだ40分ほどあった。駅構内の売店で何か買ってベンチで食べようかと考えたが、決めかねているうちにファミリーマートを見つけた。店内に入ると「池上飯包(チーシャンファンパオ)」が置いてあるのが見えた。値段は90元(約330円)。これはいわゆる台湾の有名な駅弁で、池上弁当の名で親しまれているものである。昼は小さいおにぎりとバナナしか食べていないことだし、少し空腹気味でもあった。何より、台湾で鉄道旅をするなら是非駅弁を食べてみたいと思っていたので、迷うことなく手に取った。飲み物は果肉入りのオレンジジュース35元を買う。
ホームに出てみると、15時20分発の431次自強号(ツーチャンハオ)が停まっていた。この列車は台北を経由して樹林(シューリン)まで走る。車両は流線形の顔を持ち、白地に赤いラインを施した精悍なデザインで、普悠瑪号(プユマハオ)という愛称のついた日本製の特急車両である。愛称の普悠瑪は一般公募で決められたもので、原住民族プユマ族の言葉で「集合・団結」を意味する。プユマ族は台東県に多く住み、漢字表記では卑南族となる。卑南(ベイナン)は現在の台東駅の周辺の地名になっており、この駅が南廻線(ナンホエイシェン)と台東線の乗換駅として開業した当初は駅名も卑南だった。
発車時刻が迫ってくると続々と観光客が乗り込んできた。白人男性グループの姿も見える。台東は南国台湾を満喫できる観光県ということだろう。西部幹線あたりの自強号の車内と比べて、用務客の姿より旅行者の方が多い。
台東からの行程は東部幹線となる。東部幹線は台東線(タイトンシェン)、北廻線(ベイフイシェン)、宜蘭線(イーランシェン)の三路線で構成されている。
発車間際に私の隣、通路側の席に女性がやってきた。荷物は軽く、旅行者というよりは地元の人らしい。
定刻に台東を発車した普悠瑪号は11分で鹿野(ルーイエ)に着いた。途中通過した駅は一つだけである。高速特急を標榜する普悠瑪号といえども、台東線ではこまめに停車してローカル輸送も務めている。隣客もこの鹿野で降りていった。台東線は優等列車の本数はそこそこあるが、ローカル列車の本数は少ないので、多少割高でも特急である自強号に乗ってしまうということだろう。
車窓は緑に包まれている。私が座っているのは6号車の26番で、この席は山側だった。指定券を買う時に席の選択は出来るが、海側はどうやら満席のようで、山側しか選べなかったのだ。だが、枯れ草も枯れ木もなく青々とした木々が密生する山の斜面を眺めるのはよいものだ。さっそく、池上飯包を開けて特急の旅を満喫することにした。
池上とは地名で米どころの町であり、もちろんこの弁当も池上産の米を使用している。タレの沁みこんだ豚肉の切り身が二切れあり、さつま揚げのような揚げ物や煮玉子も味が深くて美味しい。煮野菜もとても美味しい。ぎっしりとおかずが詰まった盛りつけがそう感じさせたのか、味のくどそうな見栄えに思えたのだが、食べやすくて飽きのこない味であった。
15時51分、駅弁の名になっている池上(チーシャン)に到着した。西にはなだらかな山並みが続き、山の手前に広がる水田の風景の中から町が出現した。そういう眺めの町である。台湾を代表するブランド米だという池上米が生まれる秘訣は、この地域が気温差が大きく日照時間が短いことに起因するという。台湾に来てからご飯がとても美味しいと感じていたが、先ほど食べた池上飯包のご飯は特に美味しかった。旨味の沁みる米という感じである。この地域での稲作は二期作で、初夏と晩秋に収穫されるそうである。
池上を過ぎたところで、車掌による車内検札がやってきた。台湾に来てから初めてのことだ。普悠瑪号が全席指定制の列車だからだろうか。車窓は町と水田が溶け込む風景で、池上に続いて停車した冨里(フーリー)ではホームの横に水田が広がっていた。時刻は16時となった。冨里からは台東県から花蓮県となる。
台東を出てから約一時間、台東線の中間駅でもっとも大きい駅玉里(ユーリー)に到着した。玉里は花蓮県第三の町で、山に挟まれた秀姑巒渓(シュウグールアンシー)という川の流域に開けた町である。玉里麺という料理が名物であり、地元の人によく食べられているという。玉里麺は細い麺を、茹でたあと水で冷やすのではなく風で冷やす製法が特徴で、ネギ油やセロリを豚肉と煮込んだスープで味わう食べ方と、スープを入れない食べ方がある。冷やす時に水を使わないことで麺がもちっとした歯応えになるのだという。食べてみたいが、今回は途中下車はせずに花蓮をまっすぐに目指す。
空が曇っているからか、日が暮れるのが早い気がする。すでに東の空は暗くなり始めている。東部台湾は山の険しい地形により平地が少なく、それゆえに集落の規模も小さい。車窓には常に山地が広がり、西部台湾のような広々とした平野はなく、建物があまり多くない、のどかな風景が展開されている。そんな風景の中を、2012年に登場したという流麗な特急列車が速度を上げて走り抜けていく。
花蓮の町が近づいてきたことは、沿線に家が増えてきたことでわかった。建物の数は増えてきたが、高い建物は少ない。思っていたよりも、ずっとのどかな町であるように思われた。だが、17時20分に到着した花蓮駅のホームは大勢の人が列車を待ち、大勢の人が降りていった。
花蓮
花蓮(ファーリエン)駅は広い駅だった。天井の高い大きな跨線橋は新しく、駅舎に通じる通路は幅が広い。花蓮は東部台湾最大の町である。
それでも、西に視線を送れば山が連なっているし、町の規模そのものは西部台湾の主要都市と比べれば小さいようだ。
自動改札を抜け、駅前に出る。広い駅前広場にはタクシーやバスが停まっているが、駅が所在するあたりは市街地ではないので賑わいはない。私が今夜泊まる宿も駅から離れていた。歩く距離ではないからバスに乗る。最寄りのバス停と、そこを通る路線の系統番号は調べてある。
駅前の左手にオレンジ色の建物があり、それがバスの営業所であった。ところが、肝心のバス停の位置がよくわからない。私は、台鉄の駅窓口で筆談で切符を買う時に使っている紙を取り出し、紙の裏側にバス停名と該当する三つの系統番号を書いて、カウンターに座っている中年の職員に見せた。彼は紙を睨んで少し思案すると、その紙に時刻を書き込み、その時刻の系統番号以外を横線で消して、無言で私に返した。台湾に来て以来、素っ気ない接客に何度か接しているが、いずれの場合も仕事は忠実だから何も問題は感じていない。乗り場の場所を聞きたかったが、どう説明すれば通じるかが覚束ないので、礼を述べて退去した。
時間はまだ少しある。駅前広場を一周して乗り場の見落としがないかを確認する。花蓮は台湾の観光地を代表する存在である太魯閣(タイルーガー)渓谷へのバスが出ている。急峻な山峡である太魯閣には、一時間強の所要時間でバスが終点まで運んでくれる。その太魯閣方面への乗り場は独立しているようだが、市内路線のバスはどうやらこのオレンジ色の営業所の前から出るらしい。それを示すポールなどがないので確信はないが、何人かの人が歩道に集まっているから、そう仮定して様子を窺った。
18時00分、定刻に系統番号1121の花蓮客運のバスがやってきた。営業所の建物と同じオレンジ色の車体だ。運転席脇にある機械に悠遊卡(ヨウヨウカー)をタッチして乗車する。空はだいぶ暗くなってきた。
台東(タイトン)駅前ほど町はずれではないが、さして賑わいのない駅前通りを走ったバスは、空が夜の色になった頃に市街地へ入っていった。それにつれて道幅が狭くなり、商店街のような道に入っていく。花蓮駅から13分で最寄りの中正站(チョンジェンチャン)に到着した。
バスが停まった辺りは、昔ながらの商店街といった趣きで、狭い歩道に沿って店が並んでいる。私はバスが走り去った方向を歩いていく。飲食店はもちろん、電器屋や時計屋もある。店構えは古い所が多いが、その小ぶりで落ち着いた佇まいは一昔前までの日本の田舎の商店街を連想させた。
目指す宿の近くにもバス停があった。ネットでの調べ方が甘かった訳だが、こういうことは案外現地に来てわかることでもある。その方が楽しいとも思える。明日はここからバスに乗ろうと思う。
宿は大飯店(ホテル)なのでそれ相応の設備があるだろうと思ってはいたが、町中の、それも通りから一本外れた道にあるので規模は小さく、過度な期待はしないようにしようと思っていた。だが、建物は真新しく、フロントも綺麗だった。
女性スタッフが二名いる。予約サイトの説明では日本語不可となっていた。昨日の高雄(カオション)の宿もそう明記され、その通りだったが、このホテルでは一人が片言の日本語が話せた。もっとも、チェックインで使用する言葉は片言の英語でもどうにかなるくらいには、こちらも慣れてきてはいる。
館内も外観と相違せず綺麗だった。いい宿が取れてよかったと安堵したが、ドアが開かない。鍵を回してロックが外れた感触もあるのだが、押しても開かないのだ。仕方なくフロントに戻り、片言の日本語が話せる女性スタッフにドアまで来てもらった。
鍵を左に回し、ロックが外れたあたりから少し捻ったところでドアを押す。それが正解であった。先ほど自分も同じ方法を試していた筈だが、開くポイントが狭いのでコツが必要なのであった。
部屋に入ると広い。今回の旅で予約した部屋はすべてダブルルームだ。シングルという予約項目がなかったからで、ベッドが大きいのはどこの宿も共通しているが、この花蓮の大飯店の内装は綺麗で空間にも余裕がある。くつろぎたくなる気分を抑え、夕食のために早々に部屋を出なくてはならないのだが、つい調子づいて椅子に座りながら花蓮の町について調べごとを始めてしまうのであった。
外出しようとすると、フロントにカップルがいた。先ほどドアが開かないとフロントに向かった時にも別のカップルがいた。今いる二人は男性がバイクのヘルメットを持っているから地元の人だろう。安宿なので多目的な使われ方をしているようであった。
東大門国際観光夜市
先ほどバス停から歩いた道を歩く。ここは花蓮(ファーリエン)のメインストリートのような所らしく、降りたバス停から先は更に沿道の店が増え、店の規模も大きくなってきた。デパートの類はないが、店の数は多い。やがて古い商業ビルが並ぶ区画に出て、そこを右に曲がっていくと旧花蓮駅跡に出る。駅跡は広場になっていて大きな空間であり、今でも主要駅の駅前だった雰囲気を残している。駅舎があった場所を始め、旧花蓮駅一帯は鉄道文化園として保存されており、線路跡が歩道として活用されてもいる。今は夜なので、それらの施設を充分に見学できないのが残念でもある。
1979年に北廻線(ベイフイシェン)が開業し、今の花蓮駅が花蓮新駅として開業した。それまでは、この旧花蓮駅が花蓮駅として台東とを結んでいた。花蓮と台東の区間が孤島のようになっていた訳で、1980年に北廻線が全通して台北方面と花蓮が繋がったことで、東部幹線が形成されるに至った。その後、1982年に花蓮と台東の区間の軌間が762ミリから1067ミリに改軌されたことを受けて台北方面から台東への直通運転が始まると、この旧花蓮駅は廃止され、新駅が花蓮駅を名乗るようになった。
旧駅の方が町の中心に位置しているという点は台東駅の変遷と似ている。台東の場合は新駅が出来た後もしばらくは支線の形で旧駅は残ったが、花蓮はそうはならなかったという訳だ。
旧花蓮駅のすぐ近くに東大門(トンダーメン)国際観光夜市がある。私はそこに向かった。入口に警備員が立ってバイクの誘導などを行っている。それを見るだけで規模の大きい夜市だと想像できる。中に入ってみると、台北や高雄で歩いた夜市のような、商店街を歩行者天国にしたものではなく、広い空間に設けられた夜市であった。
この夜市は2015年に開設されたもので、市内のいくつかの夜市を一箇所に集めたものだそうである。案内板があり、区画ごとに元の夜市名を掲げて営業している。
敷地には飲食店が所狭しと並び、家族連れを中心に賑わっている。店は屋台形式ではなく、テントを張った店が寄り合って並んでいるという造りで、入口で買って持ち帰りにするもよし、テントの中に入ってテーブルに落ち着くもよしという形式になっている。
店は飲食店だけでなく、遊戯機を並べた店もあり、更にはライブスペースまである。マイクスタンドを立てて歌を披露するバンドもいれば、楽器演奏をする人もいる。飲食を楽しみくつろぐ市民の憩いの場となっているようだった。
突き当たりを曲がると「原住民一條街」という赤い電飾看板が掲げられた通りが現れた。その名に惹かれて通りに吸い込まれると、気の優しそうなおじさんが店先に立つ店が気になった。ワンタンの写真を掲げている。この店主の顔は台東で乗ったタクシーの運転手と似たような南国顔で、その控えめな笑顔に素朴さを感じ、そこに入店した。
50元のワンタンスープを注文する。隣のテントは熱炒(ルーチャオ)らしく、テーブルにビールや小皿が並び、客たちが談笑している。熱炒とは台湾式居酒屋のことである。
店主の娘さんだろうか、女性店員がワンタンを運んできた。ワンタンがたくさん入っている。ワンタンも美味しいが、スープも美味しい。セロリが入っているのだ。これがよいスパイスになっているように思われた。自分が今まで食べてきたワンタンで一番美味しいと感じた。
喉が乾いた。先ほど歩いていて、西瓜汁という札を出して売っていた店のことが気になっていた。プラスチックの容器にパックして売っているのだが、透明の容器から覗く、その赤みが美味しそうである。私は普段はスイカは食べないのだが、嫌いという訳でもない。どんな味なのか気になる。値段は35元。私が買ったもので今晩の在庫は終了らしかった。
西瓜汁を飲みながら店を眺めつつ一通り歩いた。東大門国際観光夜市は約400店舗が店を構えているという。後で知るのだが、原住民一條街は原住民アミ族の人達が店を出しているそうだ。別な通りには中国大陸の名物料理の店が並ぶ各省一條街という通りもある。それぞれの異なるルーツを持つ人が集まり、商いを行っている姿がいい。
牛肉串という看板が出ている店で25元の串を買った。注文してから焼いてくれる。青年というより少年のような店員から焼き上がった串を受け取り、テーブルが置かれた一角に向かう。辛めのスパイスが利いた串と、あっさりした風味にほんのりと甘みが漂う西瓜汁がとても合っていた。夜風も心地よい。花蓮はいい町だなと思う。
来た道を引き返し、ホテルに向かった。沿道の飲食店はまだ営業中の店が多い。空腹は満たされたので入店はしないが、入ってみたくなるような店が少なくない。
ホテルの部屋に戻り、洗濯物をまとめた。ホテルの向かいに小綺麗な自助洗衣店がある。コインランドリーである。検索すれば出てくるもので、台湾の自助洗のやり方についてまとめたサイトがあり、それをスマートフォンで見ながら実行する。
両替機の隣に洗剤の自販機がある。六種類あるが、その中から「洗衣粉」という洗剤を選ぶ。これは10元。続いて洗濯機の洗剤投入口にそれを入れ、衣類を入れ終わったら50元を投入し、番号順にボタンを押すと開始であった。
待ち時間の間、近くのファミリーマートに行って明日の朝食を買う。緑茶は20元、パンふたつと夜食のアンパンで94元、台湾ビールクラシックが30元。
一旦、部屋に戻ってから自助洗に行き、洗濯完了を待ってから乾燥機に向かう。こちらは5分で10元。温度を選択できるが強めにしたほうがよさそうであった。