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平成旅情列車⑭ レコード店とマンションみたいなホテル
レコード店とマンションみたいなホテル
※写真は土讃線の車内から撮った高知の膿
須崎初訪問
高知県に須崎(すさき)という町がある。初めて訪れた時は特に理由はなく、時間があったので降りてみただけだったのだが、訪れてみるといい町だった。
平成六年(1994)の八月、私は四国を一周する旅をした。前夜京都を23時25分に発した快速ムーンライト高知は朝から気温の高い夏空の下、7時23分に高知に着いた。県庁所在地高知市の玄関駅だが、ホームは3番線までしかない。四国のターミナル駅は本州に比べると小ぶりな傾向にある。
朝食を摂ったりしながら時間を過ごし、高知8時33分発の特急あしずり1号に乗った。あしずりは特急だが三両編成だった。四国にはこういった短い編成の特急がいくつも存在している。特急が都市間移動で利用されていて、昔の急行のような短中距離でも利用されている。その結果、利便性向上のために短編成にして本数を増やしているようだ。
高知を出ると右窓には低い山並みが続く。平地の狭い眺めとなっていき、そこを特急は快走していく。須崎市内に入ると左手に海が近づき、市街地に入った。
9時11分、須崎到着。深く入り組んだ湾の湾口に近い位置に駅があり、市街は湾とは逆の方角となる西に広がっている。
駅前から続く商店街は昭和四十年代を思わせるひなびた趣きがあった。サッシより木枠が似合う店の玄関。看板の書体もどこか前時代風。ぶらりと立ち寄った「レコード店」はCDよりレコードやカセットテープの方が多いという、文字通りのレコード店だった。売っている商品は勿論新品だ。
歩く方向を変えて南に向かう。海岸へと続く細い道の途中、単線の線路が道を横切った。家々の隙間からひっそりと現れたその線路の、どこか遠慮がちな佇まいはローカル線そのものだったが、この線路は紛れもなく土讃線(どさんせん)のものであり、この線路を特急が走っている。私を運んできた特急あしずり1号もここを通過していった筈だ。
好ましい景色が続き楽しいひとときだったが、この日の須崎滞在は短かった。10時24分の特急あしずり3号で先に向かったのだ。そういう予定を組んで移動してしまった訳だが、私はもっとこの町を歩いてみたいと、名残り惜しい気持ちで須崎をあとにしたのだった。
須崎再訪
一回目の訪問は軽く散歩しただけだったが、須崎は泊まってみたい町になったので、次に高知を訪れた際に泊まってみようと決めた。その機会は割とすぐにやってきた。平成九年(1997)八月に私は再び四国を回る旅を計画し、愛媛県から予土線を使って高知県入りし、窪川18時01分発、須崎18時36分着の普通列車で三年ぶりに須崎にやってきた。
前回の訪問から三年が経っていたが、三年「しか」経っていないというべきなのだろう、駅も町も記憶の中の景色と同じである。
予約をしたホテルに着くと、一見マンションかと見まがうほど細長い立地にある建物で、一階にロビーはなくエレベーターホールがあるだけだ。フロントは三階にあるが、三階の雰囲気はマンションの廊下そのもので、ホテルの受付をしてくれた人は部屋から出てきて対応した。
鍵を受け取り、エレベーターで客室フロアに上がると、廊下はやはりマンション風なドアの並びである。四階と五階がホテルの部屋として割り当てられているようだった。
部屋に入ると、ますますマンションを思わせる内装だ。狭い玄関で靴を脱ぎ、ワンルームの部屋に入っていくと、突き当たりには床のところまで広がった大きなガラス窓。その窓で構成された引き戸を開けて涼しげな風を部屋に入れた。小さなベランダに立つと町の夜景を手に入れられたか、灯りは少ない。
町に出ると銭湯があった。だが閉店時間は早く、20時だという。私はここに来る前に書店を訪れ、閉店時間19時30分までいて本を購入していたので時間の余裕はない。だが、番台のおじさんは快く入れてくれた。入浴料は三百円。
夕食は酒処という看板を掲げた店でねぎとろ丼を食べ、ホテルの一階にあるコンビニやホテルの近くにある店で酒と夜食を買って部屋に戻った。
レトロな風景に触れ、住民の日常の世界に足を踏み入れ、マンションに帰宅。そう、帰宅という表現が似合う夜だったかもしれない。