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平成旅情列車⑬ 大都市を走るローカル線

※ 写真は、鶴見線 国道駅と海芝浦駅。南海汐見橋線 汐見橋駅と木津川駅

大都市を走るローカル線

     鶴見線

 遠くに出かけるだけが旅ではない。旅とは非日常に触れることだ。何人もの識者がそう発言してきた。私もそう思うし、実際、近場の知らない景色に触れるだけでも楽しい。いつもは通らない道を歩いていると意外な発見もあったりする。「こんな所にこんな店が」とか「こんな絶景が都会の近くにあるなんて」という日帰り散策も旅だと思う。
 では、ローカル線の旅だとどうだろう。ローカル線という単語から連想するイメージだと山や海のそばを走る鄙びた鉄道が思い浮かぶ。少ない乗客を乗せた列車が無人駅に停車し、誰も乗り降りしないまま列車は発車していく。そんな姿を思い浮かべるのがローカル線だ。
 ところが、実は都会にもローカル線はある。東京都だとさすがに奥多摩の方まで行かないとローカル線感は味わえないが、それでも感じ方次第では、下町をのんびり走る東武亀戸線あたりはローカル線的風情は感じられなくもない。
 無理に気持ちを引っ張ることなく、初めて乗った人を心躍らせるローカル線が実は首都圏にもある。それも、東京駅から30分弱で行ける距離に存在する。その名も「鶴見線」だ。
 鶴見線は近年「知られる鉄道」になった。工場夜景を始めとした工業地帯の風景に惹かれる人が増加して、工業地帯を走る鶴見線にもスポットライトが当たっているのだ。では、鶴見線とはどんな路線かを、私の体験を踏まえて紹介してみたい。
 鶴見線は二つの支線を持つJR東日本の路線で、横浜市と川崎市の臨海工業地帯を結んでいる。支線を含めた全長は9・7キロで、区間は鶴見~扇町の本線と、浅野~海芝浦、安善~大川の支線がある。
 元は鶴見臨港鉄道という私鉄で、大正十五年(1926)に開業した。昭和十八年(1943)に私鉄線の戦時買収策に伴い国鉄線となったのだが、元私鉄だけあって駅間距離は短い。走り出してすぐ次の駅という具合である。そんな鶴見線は起点の鶴見以外は無人駅で、不正乗車対策で鶴見駅の鶴見線ホームの手前には中間改札が設けられている。
 ドーム型屋根に覆われた鶴見駅を出た列車の一つ目の駅が国道(こくどう)で、文字通り駅の横を国道15号線(第一京浜道路)が通っている。高架駅なのだがホーム下の改札部も、高架下も昼間でも夜のような薄暗さに包まれている。高架下には飲み屋が一軒あり、他には釣り船屋の看板が出ている。それら店が点在する高架下の壁には銃痕がいくつかあるが、これは戦時中の空襲によるものだそうだ。

 鶴見線の駅で国道と並んで人気があるのが海芝浦(うみしばうら)で、ここはホームのすぐ後ろが海面という立地にある。ここまで海が近い駅は他にはない。降りて散策してみたくなる駅だが、駅の所在地は東芝の工場の敷地内で、改札の外は工場の入口となっている。
 全長1・7キロの海芝浦支線が分岐する浅野は本線と支線のホームが分かれている。双方のホームは構内踏切で結ばれているが、列車本数の少ない支線側は常に閑散としている。そこに本線から大きくカーブしながら海芝浦行きがやってくる様は、屋根のないホームの姿と相まって哀愁が漂っている。
 線路は浅野を出ると旭運河に沿って走る。対岸は倉庫やタンクが並び、線路側には工場が隣接している。外には人の気配は薄い。休日の夕方に来るとその侘しい車窓に、ここが東京駅から30分ほどの位置にあることを忘れてしまうほどの異郷を感じるのだ。

 もうひとつの支線である大川支線は、かつて一両の電車が武蔵白石と大川という全長1・0キロの区間を朝夕だけ行ったり来たりしていた時代があった。使用されていたのはクモハ12というチョコレート色の旧型国電だった。
 この車両運用は、武蔵白石駅の大川支線ホームが急カーブ上に設けられていたため、他の通勤型電車が使用できなかったことによるもので、朝夕しか走らないというダイヤと、本線から離れた場所にぽつんと短い片面ホームが立つ様など、私はここに来る度に北海道のローカル線が都会に紛れ込んできたような錯覚を覚えた。
 クモハ12は平成八年(1996)春に引退することになり、その後は本線と同じ通勤型が走ることになった大川支線は武蔵白石のホームが使用できなくなり、手前の安善から本線と分岐して武蔵白石は通過するダイヤとなった。
 このクモハ12の引退に合わせて、JRは鶴見まで乗り入れる特別運転を実施し、私はこの運転日に鶴見線を訪れた。大勢の鉄道ファンで賑わう様子に「都会のローカル線」の雰囲気は消えていたが、いつも短い区間を行ったり来たりしているだけだった旧型電車が、低いモーター音を唸らせながら懸命に本線を走っている姿に胸が熱くなった。
 大川支線は今も朝夕のみの運転で、大川駅の小さなホームと小さな出入口、周辺の草生した線路群の様子はローカル駅そのものである。

     南海天王寺支線と汐見橋線

 大阪のJR線における南のターミナル駅は天王寺である。高架ホームには大阪環状線や関西本線の電車が行き交い、行き止まり式構造となっている地平ホームには阪和線の線路がずらりと並ぶ。
 そんな巨大駅の天王寺の片隅に私鉄駅の短いホームがかつて存在した。南海天王寺支線だ。南海の本線と天王寺を結ぶ路線なので需要は高そうに思えるが、実態は二両編成で、本数も少ない。
 天王寺支線の開業は明治三十三年(1900)で、天王寺~天下茶屋の全長2・4キロで開業した。だが、利用者の少なさなどもあって、天下茶屋駅高架化工事で昭和五十九年(1984)に天下茶屋~今池町が廃止されて南海の他線と接続しない路線となりながら細々と営業を続けたのち、平成五年(1993)に廃止となった。
 私が乗ったのは廃止前年の平成四年五月で、天王寺から乗った。天王寺支線のホームは大阪環状線のホームの隣にあったが、頭上に駅のコンコースがあるためホームはやけに暗く、都会のターミナルの片隅にローカル駅が紛れ込んできた趣きがあった。
 午前に乗ったが車内はほとんど乗客はいなかった。代わりに研修か何か南海職員の集団が乗っていて、今池町に着いて降りようとした私が座席にカメラを置き忘れていることを教えてもらったりもした。
 今池町は阪堺(はんかい)電気軌道の高架がそばを通っていて、周囲は住宅地だった。このまま折り返すよりも駅の周辺を散策してみようと思い歩いていくと公園が現れ、昼間から大人たちが酒を飲んだりしているがあった。この辺りが釜ヶ崎(あいりん地区)と呼ばれる場所であることは雰囲気ですぐに理解した。
 公園の近くに南海の萩ノ茶屋駅がある。高架下の改札付近はやけに薄暗く、ホームに上がる階段には寝ている人が何人かいた。
 今となってみれば、もう少し天王寺支線の車窓をよく見ておけばよかったと思うが、この今池町から萩ノ茶屋の町風景の印象の強さで記憶から吹き飛んだのかもしれない。尚、ルートは少し異なるが、大阪環状線沿線と天下茶屋を結ぶ鉄道は地下鉄堺筋線が動物園前~天下茶屋をその後延長開業させている。

 南海電鉄には面白い支線がいくつかあるが、汐見橋線も都会の中のローカル線である。全長4・8キロと距離は短いが、様々な部分において他では味わえない風景が存在している。
 起点は汐見橋駅だ。ここは大阪ミナミの一大繁華街難波(なんば)にほど近い。難波には南海電車の巨大ターミナル駅があり、そこから南海線と高野線の電車が出ているのだが、実はこの汐見橋線は正式な路線戸籍上では高野線に属していて、汐見橋は高野線の起点であり、汐見橋線とは通称である。高野山参拝者の輸送を目的に建設された高野線だが、利便性などの理由から電車は戸籍上の起点駅からではなく難波から発着しているのだ。
 汐見橋駅は高速道路が駅前に通る都会の片隅にひっそりと立つ。私はこの路線に何度か乗っているが、初めて乗ったのは先述の天王寺支線に乗った日だった。天王寺支線も相当に強い印象を与えてくれる路線だったが、汐見橋線はそれ以上だった。
 まず、汐見橋駅である。小さな駅舎の少し高い天井、小さな改札の上に戦前に書かれたと思われる古い路線図が掲示されていた。古い路線図だから現在とは異なる部分もいくつかあるが、それでも掲示されている。何故? と首を捻るが正解はわからない。
 改札を抜けるとすぐホームになっていて、一面二戦の島式ホームに二両編成の電車が停車している。乗客は少ない。この汐見橋も含めて沿線に大きな駅はなく、都会の片隅を走る知る人ぞ知る電車、そんな立ち位置だろうか。
 電車は住宅と町工場の並ぶ風景を走る。大阪環状線の芦原橋(あわらばし)駅がほど近い筈の芦原町駅はJRの主要路線の駅がそばにあるとは思えないほどひっそりとした住宅地の中の小駅で、乗り換え需要などはほとんどなさそうに感じられた。
 電車は木津川に近づき始め、そのままの駅名である木津川駅に着く。ここは一段とローカル駅で、小さな駅舎を包むように周囲には工場などが立ち、駅前商店などというものはない。
 閑散とした車内は人の出入りが少なく、ここが大阪市であることを忘れてしまいそうになる。ここから数キロ北に行けば、大勢の人が行き交う難波なのだ。それが信じられないくらいに閑散としている。
 電車はそうして静かな住宅と町工場の景色の中を走りながら、僅かな乗客を乗せて、津守、西天下茶屋と停まり、終点の岸ノ里に着いた。ここで南海線と高野線は分岐している。
 平成五年(1993)に岸ノ里駅周辺が高架化され、隣の玉出(たまで)駅と統合されて岸里玉出駅に生まれ変わった。汐見橋線も同様に岸里玉出を発着することになった。高架化されたあとも、汐見橋との間を区間運転するローカル線なままで、近年はその存在がネットなどを通じて広く知られてきている。
 将来的には、計画鉄道路線なにわ筋線が完成すると汐見橋線が関西空港と新大阪方面とを結ぶルートとなるため、まったく別の路線に雰囲気が変わっていく可能性がある。都会の中のローカル線を味わえるうちに、改めて再訪したい路線である。

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