2022 ベトナム・タイの旅③ ~ハノイ二日目~
熱風と熱気 ~2022年8月3日 ハノイ二日目~
ロンビエン駅
ベトナムにやってきて二日目の朝がやってきた。今日は特に予定を組んでいないのでアラームはかけずに寝たのだが、きっちり朝五時半に目が覚めた。昨日、一昨日は飛行機に乗る時間を考慮して朝五時半にアラームをかけて起きていた。それが癖になってしまったのか。ただ、日本とベトナムの間には二時間の時差がある。日本は今、朝の七時半だった。
今日どこに行くかなどをぼんやりと考えたり、身支度などをして、7時過ぎに散歩に出た。向かうはベトナム統一鉄道のロンビエン駅である。
ロンビエンは旧市街の北側にあり、ハノイ駅から2キロ、お隣の駅でもある。ハノイから出る列車はさして多くないが、ダナンやホーチミンシティに向かう南北線方面に対し、ロンビエン駅のある方面は中国国境の他、山間の町ラオカイや港町ハイフォンなどに向かう支線の列車が発着する。それゆえに、このロンビエン駅の区間は本線から外れた区間といった印象はある。だが、時刻表を確認すると南北線方面より少しだけ発着本数は多く、一日11往復の列車が発着している。ハノイを起点とした支線の列車があるからだろう。もっとも、一日一往復しか列車が走らない支線もあるし、今は感染症騒動でダイヤが間引きされていて更に本数は少ないかもしれない。
そんなロンビエン駅だが、本数の少なさゆえに列車に乗るのが難しいのならば駅だけでも見てみたかった。何故か? ホテルから駅までは旧市街の賑わいエリアを通るし、ロンビエン駅の横にはハノイのシンボルのひとつであるロンビエン橋もあるからだ。
街は既に朝のラッシュを迎えていた。道の規模を問わず、交通量が多い。歩いている道は地図アプリに示されたロンビエン駅までのルートだが、商店街と呼びたくなるほどの幅の狭い道であるにも関わらず、前後から次々とバイクがやってくる。バイクだけではない。隙間を縫うように自転車もやってくる。
沿道に並ぶ商店の多くは既に開店していた。ハノイの朝は早い。今歩いている道は飲食店よりも日用品の店が多く、食器などを売る店もあれば、電源コードを売る店、アルミ缶を売る店など、売り物は細分化されている。それで商売が成り立っているのかはわからないが、とにかく店主は暑そうな顔で店先に座っている。
歩道に果物を並べている露天商のおばさんもいる。通りがかったおばさんが買っていったりしている。ノンラーを被ったおばあさんが天秤棒を担いで歩いている。ぶら下がっているのは茶色い小さな果実が載ったザルで、バランスよく担ぎながら歩いている。朝の7時から活気がみなぎる道である。
ノンラーというのは円錐状の帽子で、ベトナム人の服装としてはアオザイと並んで世界的に知られるものだ。実際に現地に来てみれば被っている人は少ないのだろうと想像していたが、昨日から時々見かける。外で仕事をしている人が被っていることが多いように見受けられる。朝から帽子を被っていないと暑いほど日差しは強く、交通量が発する熱気も強い。
他の道と交差する度にバイクの波を巧く交わしながら横断し、私はひたすらロンビエン駅を目指している。道幅の狭さの割に歩道に植えられた街路樹が大きい。斜めに育って幹が車道にせり出している木も少なくない。不思議なもので、そういった樹木はバイクが走行する位置のあたりで幹をまっすぐに直して空に向かっている。だから車道が木に塞がれていることはない。
歩き始めて20分以上が経過した頃、少し大きな通りと交差し、左手に統一鉄道の線路が現れた。この辺りでは煉瓦造りの高架線となっている。その煉瓦は随分と黒ずみ年季の入ったものである。通りを渡り、線路の脇に出た。ここからは線路沿いに歩いていけば確かだ。だが、その道は脇道らしく、未舗装路となった。
大きくせり出した店の日除けの下を歩いている。未舗装の道を、ノンラーを被ったおばさんが荷台に小さな果実をたくさん載せてゆっくりと通過していく。日除けの下では朝食を楽しむ人たちが例の低いプラスチック椅子に座っている。ここはもう商店街というより生活路という空気が漂い、生活のあらゆる臭いが充満している。どこかから鶏の鳴き声が聞こえてきた。
煉瓦の高架線の脇の道を抜けていくと、少し開けた場所に出た。ちょっとしたロータリーで、そこまで来ると高架線に上がる石の階段がひっそりと目立たぬように設置されているのが見えた。階段の上には青い看板が掲げられ、ここが駅の入口であることを示している。狭く古びた野ざらしの階段を上がると、目の前を線路が横切っていた。
単線の線路の横には低い片面だけのホームがあり、ホームには白い角柱が屋根を支えて日陰を作っている。一本だけの線路を渡り、ホームに接した駅舎に入った。
どこか生活臭漂う景色の路地が多い周辺と異なり、駅舎はハノイ駅のように瀟洒な洋風で、小さくはあるが待合室もあった。天井で大きな扇風機がゆったりと回っている。次の列車まではまだ時間があるが、数人ベンチに座っている。全員が列車を待つ人なのかはわからない。ホームに出て端まで行くと、すぐ先に延びているロンビエン橋が見えた。ベトナム戦争で何度となく破壊されたという橋で、フランス植民地時代に造られた橋だ。
1902年に完成した全長1700メートルのロンビエン橋は、現在は鉄道とバイク走行可の歩道の橋となっていて、古さをそのままにそびえているが、ハノイのシンボルのひとつとなっている。歩いて渡るには長く、暑さで疲労を感じ始めている私は、照りつける日差しに恐れをなして駅の見学だけで橋を渡るのは諦めた。
歩いてきた道を引き返している。飲み物を持参しないで散歩をしたことを後悔しながら、朝食の店に向かっている。朝食はバインミーを食べたいと思っている。バインミーとは揚げたフランスパンに肉や野菜を詰めて魚醤で味付けしたもので、ベトナムの名物料理のひとつである。今歩いてきた道の途中を少し横に曲がった所にハノイでもっとも美味しいバインミーの店がある。そこに行ってみることにした。
店は朝から賑わっていた。店員の女の子に声を掛けると、向かいの店のテーブルに座ってくれとのことなので、アイスクリームやジュースのメニューが並ぶ向かいの店に入る。いずれも入口にドアがない、路上に向かって開け放たれたベトナム流の店構えで、私は歩道を眼前にしたテーブルに腰を下ろし、チキン入りバインミーとビールを注文した。ビールは瓶で届いた。昨日から飲み親しんでいる赤と白のラベルのハノイビールだった。
バインミーを食べるのは実は初めてだった。ベトナムに興味を持っていた割に、予習のために日本のベトナム料理屋に足を運ぶようなことがなかったからだが、一口食べて私は「来て良かった」と笑顔になっていった。さくっと揚げたパンの風味、じわりと沁みる具の味、とても美味しい。こってりとした味付けではないのが好みだ。ハノイビールのさらっとした味ともよく合う。朝からビールを飲みながら、バイクが行き交う路上を眺めているうちに、暑さも、喉の渇きも、空腹も満たされていく。
お値段はバインミーが40,000ドンでビールが20,000ドンだった。昨夜ブンチャーを食べた時もビールは同じ値段だったので、瓶ビールの相場はこのあたりらしい。日本円に換算すると百十円ほどである。店員の女の子は案内や注文では平坦な表樹だったが、会計を済ませて店を出る時にいい笑顔を向けてくれた。ベトナムの店の店員の雰囲気の作り方はまだよくわからない。
暑いので一旦ホテルに帰って一休みしようと思う。時刻は9時になろうとしていた。何か飲み物でも買って、今日の行動を考えようと思っていたところにコンビニ風な構えの手頃な店があり、そこに入ってみた。だが、入ってみるとそこはコンビニではなく薬局で、それでもジュースは売っていたので、私は12,000ドンもする「KOKOZO」という名の緑色のジュースを買って部屋に戻った。
ラベルに日本語で「ここぞ」と書いてある謎のジュースはメロンジュースで、随分と甘く、寒天のようなものも入っていて、喉の渇きを癒す飲み物とは遠かった。窓際の椅子に座ってホテルの向かいに視線を向けると、ベランダに新たな洗濯物が干されていた。生活感が充満する路地で、思いのほか静かでもある。
ホアンキエム湖
チェックアウト時間いっぱいの12時にフロントに下りて鍵を渡すと、昨日も対応してくれた青年が私の背負う小型リュックサックの側面に差してあるペットボトルに手を向け、部屋のものかと尋ねてきた。「そうだ」と英語で答えると、彼はメモにペンを走らせて私にそれを見せた。冷蔵庫には水のペットボトルが入っていたのだが、それは有料だったらしい。10,000ドンだという。
海外の水道水は基本的に飲めないから、部屋に水のペットボトルが置かれてあるのが普通だが、冷蔵庫内にある飲料水が有料なのは日本のホテルでもあることだ。物が水であるので油断していた。冷蔵庫外に水は置いていなかったから必然的に冷蔵庫内の水に手は伸びる。有料ならば、どこかに明記しておいてほしかった。附に落ちない気分だが、日本円で考えれば安いものだし、青年の対応そのものは昨日から印象は悪くない。このローカル喫茶店みたいな雰囲気のロビーを持つ宿の割には、仕事の進め方はしっかりとしている。私は素直に10,000ドン札を出した。
また来てもいいかなと思えるくらいには、良い設備と楽しい立地の宿だった。私の担当者を名乗り、困ったことがあれば何でも質問してくれとメッセージを送信してきたAさんとは結局は会わずじまいだったが。
昼食の時間である。だが、バインミーを食べたのは八時半くらいだったので、まださほど空腹でもない。とりあえず昨夜は辿り着けなかったホアンキエム湖に行ってみることにした。
ロンビエン駅の往復散歩の時は快晴だった空は、今は曇り始めている。歩いてすぐに湖畔に着いた私は、風に当たりたくてベンチに腰を下ろした。
湖の周囲は広い歩道が造られていて、そこにベンチや店もある。平日の昼ではあるが観光客の姿もそれなりにあり、欧米人の姿が目立つ。昨日から街で日本人を見かけていなかったが、ここでは数人見ることができた。
ベンチの周囲は木が茂り、長く伸びた枝が湖面に当たらんばかりに垂れ下がっている。湖とは言ってもさほど大きくなく、一周1・75キロほどだ。
ホアンキエムは漢字で書くと「還剣」となる。15世紀から18世紀にかけてこの地に存在した黎朝の初代皇帝である黎利(レ・ロイ)が明との戦いに於いて湖の宝剣を使って勝利した。その後、黎利は湖上の金の亀から、湖の竜王に剣を返すよう啓示され、湖に浮かぶ小島に剣を返還した。それが湖の名の由来になったという逸話がある。
時間を忘れてのんびりと湖面を眺めている。街の中にこのような憩いの場があるのはすばらしい。そんなことを思いながら湖面を見ている。いつしか向かいのベンチに男性がやってきて、横になって昼寝を始めた。のどかな空間である。
さて、そろそろ昼食といきたいところだが、また喉が乾いてきた。湖から道を挟んでいろんな店が並んでいる。湖を眺めながらコーヒーを飲める店も何軒もある。私はハイランズコーヒーというベトナムの有名チェーンに入ってコーヒーとパンでも食べようと考えたが、あいにく店は満席で、周辺の店も混んでいた。
カフェを求めてさまよう私に、目の据わった男が近づいてきた。私の足元をしきりに指差す。ゴミでも踏んだのかと足元を確認したが、特に異変はない。尚も男は指を差し、遂には私の履いているサンダルに手を掛けて足裏から何かを取ろうとし始めた。何かをして、それを理由に金をせびる作戦か? よくわからないが、よくわからないからこそ逃げるに越したことはない。私は適当に礼を言って、急いでその場から離れた。
暑いのに早足になったから汗ばんだ。交差点で暑そうに立ち思案にくれている私に、今度はノンラーを被った中年女性が近づいてきた。店先に立っているようなおばさんとは異なり、顔はメイクが施され、一見怪しさはない。女性は扇子を手に取り、私の顔を無表情で煽ぎ始めた。少しばかり涼しくなったので礼を言って、立ち去ろうとした。私が暑そうに立っているので、軽く煽いでくれたのだと解釈したのだが、そうではないことをすぐに気付いた。女性の提げている鞄に扇子が何本も差してあるのが見えたからだ。
女性の言い値は、暑さしのぎに軽い気持ちで購入するには高かった。要らないと手で示して、その場を早足で去った。
店が多い場所は観光客も多い。そういう場所は押し売りの恰好の拠点になる。落ち着かないので、仕方なく湖畔に戻り、何かないかと改めて物色する。夜なら屋台がいくつも出ているようだが、昼は見かけず、レストランくらいしかない湖畔で私は困り果てている。
レストランのそばに自販機があった。日本ならば飲料水の自販機など珍しくもないが、海外では珍しい。ベトナムに来てからは初めて見た気がする。水からジュースまで一通りの品物は揃っている。お金を入れて欲しい品物の数字をボタンで入力すると品物が落ちてくる仕組みらしい。値段を確認すると、水が5,000とある。私はコーラが飲みたくなり、値段を見てみたが、コーラの下に表示された数字は「0000」とあるだけだ。
10,000ドンなのか、20,000ドンなのか。普通に考えて水の二倍程度の値段だろう。10,000ドンと判断して財布を覗く。あいにく10,000ドン札はない。先ほどホテルで水の代金の支払いに使ってしまった。私は20,000ドン札を投入した。コーラの数字を入力すると機械が動き、無事にコーラが取り口に落ちてきた。
さて、お釣りである。だが、機械を眺めてもお釣りを返却するレバーやボタンが見当たらない。数字の入力画面を見ると、数字を選択してくれというような意味の英語が表示されている。これは最初からそうであった気がする。では、コーラは20,000ドンだったのか? それは高い。店で飲む瓶ビールとコーラの500mlペットボトルが同じ値段な筈はないだろう。
私は恐る恐る、もう一度コーラの数字を入力してみた。すると機械は再び作動し、コーラが取り口に落ちてきた。呆然としながら、それを受け取り、ものは試しと、もう一度数字を入力してみたが、もう機械は動かなかった。画面の表示は相も変わらず数字の選択を促し続けている。
手元にコーラが二本となってしまった。喉は乾いているから一本はすぐなくなりそうだが、こんな甘い飲み物を立て続けに二本も飲むのは憚られる。やるせない気持ちで一本をリュックサックの側面に差して、私は湖畔を歩き始めた。時刻は間もなく午後1時になろうかという頃だ。今夜泊まるホテルのチェックインは午後2時からだが、場所が街はずれにあり、ここから歩いていくと40分くらいかかりそうな距離にある。道はわかりやすいので迷うことはないと思うので、今から歩いていくとちょうどいい時間だろう。私はコーラを一本片手にホアンキエム湖を後にして、先を急いだ。
ホアンキエム湖の西側にいた私は、そのまま南に向かって湖から離れ、旧市街を後にしていった。風景は建物が密集したものから、大きな建物が点在するものへ変わっている。商店街のような道に出たが、旧市街のような古い小さな個人店ではなく新しめの大ぶりの店が目立つ。オープンカフェ、高級時計を陳列した貴金属店、旧市街とは異なる道となっている。
ハノイはベトナム北部の街で中国にほど近い。どこか中国の雰囲気のする街だとも言われる。私が泊まったホテルのエリアも、フランス人が建てた教会がありながら、周囲の古びた建物の雑多な並びは中華街の路地めいていた。それが古い中国の街を思わせる風景だとしたら、今歩いている道は現在の中国の匂いをそことなく感じる。根拠はないので断言はしないが、どこかに中国を感じるのだ。歩くほどに鉄筋の建物ばかりになり、マンションも現れ、その向こうにはビルも見える。
車線の多い大型道路に出た。さすがに信号が設置されている。ホテルに向かうには反対側に渡らないといけない。渡りきると歩行者用の道がなく困惑したが、どうやら道路の脇に並行するように狭い旧道があるようだ。道路から半段下りて旧道に出ると風景が一変した。右は並行する大型道路とを仕切る柵だが、左には随分と古びた家や店が並んでいた。
狭い路地が分岐している。その先がゆるやかに上り勾配となり、土手に上がるような道となっていて、道なりに木造の家が並んでいる。土手に思えるのは間違っていなくて、その先にはソンホン川がこの道路と並行して流れている。朝に訪れたロンビエン駅の脇から延びるロンビエン橋の下を流れている川だ。
それにしても暑い。また日差しが強くなってきた。一本目のコーラはホアンキエム湖で飲み終わり、ホテルから持ってきた水を手にしているが、強い日差しを受けてお湯となっている。それでも喉の渇きに耐えられず飲んでいる。川からそよぐ風も熱い。前方に道路沿いに立っているらしき車のディーラーやオフィスビルが見えている。その近代的な風景と、私のそばに続く古い家屋の風景の違いに戸惑っている。私のそばでは、おじさんが手作業で機械の部品を作っている。窓の煤けた食堂がある。入口が開け放たれた安宿が立っている。
古い街並みは大好きだ。黄昏時はいい雰囲気になりそうだ。夕方、周辺をじっくりと歩いてみようと思った。目的地はもうすぐだった。
ホアンキエム湖のほとりを出て40分。午後の強い日差しを浴びながら、ようやく予約していたホテルに辿り着いた。周辺の古びた街並みと比較して立派な構えのホテルだが、想像していたよりも小さかった。だが、ホテルの体裁はしっかり保っている。私はパスポートとプリントした予約サイトの予約画面の紙を持ってロビーに入った。
フロントには女性スタッフが一人で立っていた。私がパスポートを差し出すと首を捻るような表情を見せた。私は予約サイトの名を挙げ、予約した者であることを告げたが、今夜予約が入っている人物に日本人は居ない、そんなそぶりをスタッフは見せた。私の差し出した予約票のプリントを眺めると、彼女は納得した顔になり、スマホを取り出して何やらベトナム語を口にした。少し間を置いてスマホのスピーカーから日本語が発せられた。
「そのホテルは移転しました」
「えっ、どういうことですか?」
聞き返す私に、彼女は予約票の住所欄を指して、再度同じ台詞をスマホに発させた。納得できない顔をしている私に、彼女はスマホに別の言葉を呟く。
「ここのホテルは、そのホテルではありません」
どうやら私が予約したのは元々ここにあったホテルで、そこは別の場所に移転しているらしい。そういえば、予約後に改めて場所を確認しようとした際、地図サイトの検索では一発表示されない時があった。だが、予約サイトに掲載されていた地図ではここで間違いなかったのだ。私は事態を把握しつつ、スマホを取り出して念の為こう尋ねた。
「移転した所には、この予約で泊まれるのですか?」
彼女がスマホの翻訳アプリを駆使して会話しているように、私も翻訳アプリを起動し、日本語を吹き込んで、それをベトナム語の文に変換して、その画面を彼女に見せた。彼女は大きく頷きながら「イエース」と答えた。
移転したことをきちんと画面上の地図に反映させていなかったのは予約サイトの運営のミスで、このホテルの責任ではないのだろう。彼女のスマホがこう答えた。
「車を用意します」
ここからは少し離れているらしい。その事実を知ってうんざりした気分になりかけたが、ここに泊まることはできないようなので選択肢はキャンセルするか、進言に従って車で移動するかしかなさそうだった。私は翻訳アプリに日本語で話しかけ、ベトナム語の文を画面に表示させた。
「移転した場所までは料金はいくらですか?」
彼女のスマホがこう答えた。
「50,000ドンです」
私は「OK]と告げ、彼女も頷きながら力強く親指を突き出してみせた。
私はロビーの脇の待合室のソファに通され、そこで車を待った。彼女の指示で、いつの間にか現れていた男性スタッフがソファの横の扇風機のスイッチを入れてくれた。ベトナムでは女性の方が働き者な印象を昨日から受けている。
待つほどなく車はやってきた。彼女に促され玄関に向かった私は「カムオン(ありがとう)」と告げ、頭を下げた。彼女もホッとした表情を浮かべている。騙されている、という空気は感じなかった。
玄関前に出ると、停車していたタクシーは銀色の車だった。安心会計の三社に属する会社だ。クーラーの効いた車内に入ると少しだけ気分が落ち着いた。彼女が運転手に行先を説明し、すぐに車は発車した。
ハノイ旧市街
車の中で地図アプリを立ち上げて位置を確認していた。車はホアンキエム湖に接近し、湖の北を走ったあと、旧市街の雑踏の中に乗り入れた。どこに行くのだろうと景色を見回しているうちに車は停止し、運転手は右を指した。ここだという。料金は57,000ドンだった。
ホテルは周囲の古びた商店に挟まれながら、大きなガラスの玄関を持っていた。外観だけならレストランかブティックのようである。ガラス戸を開けると広いロビーがあり、その片隅にフロントのカウンターがあって、そこに六十代くらいの女性係員が一人で立っていた。
女性は私の顔と手にした日本のパスポートを見て、「来たか」という表情を浮かべてみせた。先ほどのホテルから連絡が入っていたらしい。予約票のプリントを一瞥すると端末を叩いて、ルームキーを差し出した。そして、私のパスポートにスマホのカメラを向ける。撮影するから顔写真のページを開いて押さえてくれという。あまり気乗りしない行為だが、パスポートのコピーを取るホテルもあるし、まあ良い。
五階にある部屋に入ると、ハノイ一泊目のホテルより更に広く、新しい内装だった。一人では持て余すくらいの空間で、ベッドもキングサイズだ。水回りも十分な広さがある。快適に過ごせそうだった。予約サイトでは「デラックスダブルルーム」という名の部屋を予約していたが、料金は2570円である。好きな言葉ではないが、こういうのを「コスパがいい」というのだろう。
窓は小さかった。一泊目のホテルのように窓の向こうに生活感が溢れていることはなく、見えるのは隣の商店のトタン屋根だった。
私はリュックサックで運んできた未開封のコーラを冷蔵庫に仕舞うことにした。生温かくなったペットボトルを掴み冷蔵庫を開けると、瓶のコーラが二本だけ入っている。その横に札が置かれてあり、何か書かれてある。ベトナム語と共に「Free of Charge」とあった。
部屋の居心地の良さと、炎天下を歩いた疲れを癒すため、少しばかり部屋で佇むつもりが、時刻はだいぶ夕刻となっていた。少し早い気もするが夕食に出かけることにした。宿の位置は昼に歩いたエリアに近い。幸いにまた旧市街の中に帰ってきた訳だ。店選びで悩む必要はない。私はフォーが食べたくなっていた。ベトナム名物の米麺料理だ。
ホテルを出て商店が並ぶ筋に向かう途中、おもちゃ屋があった。幼児向けの遊び道具から、日本製かもしれないSFロボットアニメのプラモデルもある。大量に購入した客だろうか、店先に停めたバイクの荷台に商品をいくつも積んでいる人もいる。
ホテルから東に向かい、一本目の筋がいい感じに古びていた。小さな飲食店が並んでいる。どの店も店先を開け放ち店内は丸見えである。私は昼にカフェに入れなかったことを少し悔やんでいたから、コーヒーが飲めそうな店に入ってみた。まだ十代かと思うくらいの若い男の子が店先にいる店に入った。店先の写真に飲み物が掲示されていたのだ。
私は「コーヒーOK?」とコーヒーがメニューにあるかを尋ねたが、男の子は意味がわからなかったらしく、奥で何か仕事をしていた店主らしき青年に助けを求めた。青年は「コーヒー!」と頷き、メニューを差し出してくれた。文字ばかりのメニューから、とりあえずアイスコーヒーを頼み、砂糖を入れるかと訊かれたから「ノンシュガー」と答えた。
出て来たのは間違いなくアイスのブラックコーヒーだったが、ベトナムのコーヒーは随分と濃厚な味だった。何かの本にもそう書かれてあった気がする。だからこそ、メニューとしての「ベトナムコーヒー」はとても甘いコンデンスミルクをたっぷりと投入するのだ。
氷が少し溶け始めるとほんのりと味が薄みを増して飲みやすくなり、美味しいコーヒーになってきた。一口めはブラックを注文したことを後悔した私だったが、頼んで良かったと思い直している。ベトナムはブラジルに次ぐ世界第二位のコーヒー産国で、日本の缶コーヒーの豆にもベトナム産が多く使われているという。
ローカル食堂のような構えの店で街頭を眺めながらコーヒーを飲んだ私は、その筋をそのまま歩いて次の店を探した。空はだいぶ暗くなってきた。この筋は細い道だが、帰宅のバイクがひっきりなしに通過していく。
金物屋のような店先で一斗缶にゴミを入れて燃やしている子供がいる。薄暗くなってきた街角にオレンジ色の炎が揺らめいている。観光客の姿はほとんどなく、市民の平日の夕暮れ時がゆったりと流れている。そんな一角にフォーの店はあった。
若い夫婦がやっている店らしい。店内は狭いが、鶏だしの匂いが店内を包み食欲をそそる。私はフォーと一緒にビールを注文した。すぐにやってきたのは333(バーバーバー)ビールというベトナムのブランドの缶ビールだ。いろんな地元のビールを飲みたい私は嬉しくなって、鍋からの湯気を肴にビールを傾けた。味はハノイビールより少し濃厚に感じる。
フォーがやってきた。小皿に乗ったライムをひとつ手に取り軽く絞る。フォーの麺はきしめんを連想するような平麺で食べやすい。スープもとても美味しい。入っている鶏肉も柔らかく煮込まれて美味しい。小さなローカル食堂の奥のテーブルで、私はビールを飲みながらベトナムの味に何度も頷いている。
店を出るとすっかり夜となっていた。先ほど歩いていた時にサークルKがあったのを見つけていた。ベトナムは案外コンビニは多くない。そこで明日の朝食と部屋で飲むビールを買うことにした。
サークルKはホアンキエム湖にほど近い位置にあるからか、店内はベトナム人だけでなく外国からの観光客で賑わっていた。おにぎりと麦芽飲料のミロの紙パックにサイゴンビールを買った。おにぎりは二つで31,000ドン。ミロは10,000ドン。ビールは16,000ドンで、合計57,000ドン。先ほどの食堂でフォーは40,000ドンで333ビールは20,000ドンだったから夕食代とあまり変わらない。コンビニのおにぎりは案外高めの値付けだった。
きれいで広い部屋に泊まれたので、今夜はおとなしく部屋でくつろぐことにした。シャワー上がりにサイゴンビールを開ける。龍の絵が描かれた緑の缶のこのビールは、ベトナム南部ホーチミンシティの旧名であるサイゴンの名を冠したビールである。今回の旅ではベトナム南部には足を運ばない。まだ見ぬ地の風景を頭に浮かべ、すっきりとしつつ味わいのあるビールを楽しんでいる。