平成旅情列車⑨ 鹿児島でのおだやかなひととき
※写真は別の旅で撮った鹿児島市内と鹿児島市電
鹿児島でのおだやかなひととき
鹿児島の町に初めてやってきた日
初めて個人で九州を訪れた時、宮崎や鹿児島には是非行ってみたいと考えていた。実際に宮崎を訪れたのはその一年後になってしまったが、鹿児島には行くことができた。九州もさすがに鹿児島のあたりまで来ると一見でそれとわかる南国風情があるのが魅力で、街路樹がイチョウやケヤキではない歩道を歩きながら、あらゆるものに視線を向けていたものだった。
平成四年(1992)九月。鹿児島本線の久留米から乗ったJR九州自慢のスマートでエレガントな特急列車「つばめ」は、そのグレーメタリックのボディを西鹿児島(現・鹿児島中央)駅のホームへゆったりと進入させていった。時刻は14時07分だ。
高さのある三角屋根の駅舎へと向かい、改札を抜けて駅前に出ると高い亜熱帯の樹木が並ぶ道路に路面電車が停まっている。地元の人は「西駅」と呼ぶ西鹿児島は鹿児島市の玄関駅ではあるが、繁華街は別な場所にある。私は鹿児島市電に揺られて町の見物を開始した。
市電路線の東側の終点は鹿児島駅前で、JRだと西鹿児島の隣駅だが市電だと十八分かかる。駅名だけ見ると駅の周辺が栄えていそうな駅名だが、町のはずれという雰囲気が漂う。平屋のJR鹿児島駅舎から駅前ロータリーにも人の流れは少ない。
博多や熊本の方からの鹿児島本線の列車は西鹿児島までなので、鹿児島駅は宮崎方面からの日豊(にっぽう)本線の列車しか通らず、ホームもひっそりとしている。
そんな鹿児島駅のホームの向こう側には港があり、桟橋もある。海の向こうに桜島が大きく横たわる姿は迫力があり、ひっそりとした岸壁は、同じくひっそりとした駅と共に夕方の傾き始めた淡い日差しがよく似合った。
市電で西鹿児島方面に戻る途中にある、鹿児島で一番の繁華街となる天文館通(てんもんかんどおり)で市電を降りた。
天文館通には道幅の広いアーケードもあり、行き交う人の数も多い。人口五十万人都市だけあって、店の数も多い。
繁華街歩きをして、少し早い夕食に蕎麦を食べ、再び市電で移動する。日が暮れてきた鹿児島の町並みを市電の窓から眺めた。市電のゆったりとしたリズムは町を眺めるのにちょうど良く、天文館通の喧騒から、やがて住宅地の静かな空間へと変化していく様子をじっくりと堪能できた。
鹿児島市は近くに活火山桜島がそびえているからか、市内にある銭湯の全てが天然温泉であるという。その中のひとつの銭湯に行ってみるために、市電の工学部前という停留所で降りる。
住宅路の途上に銭湯はあった。構えは普通の銭湯だが、中は広々としていて、温泉だからだろうか、浴槽の湯を触ってみれば手触りが普通の銭湯の湯とは違うような気がする。
いい気分で風呂から上がると、脱衣所で親子の会話が聞こえてくる。子供の動作をしつける父親の厳格さのある口調に九州男児を感じるのは、これも湯と同様に先入観が成せるものか、その見立てが合っているからなのだろうか。
外に出ると町はすっかり夜の静けさに包まれていて、やってきた市電も空いていた。西鹿児島駅前で降り、駅の待合室に向かう。今夜は夜行急行かいもん号門司港行きが私の宿だ。
待合室のテレビはNHKのスポーツニュースが映っている。大相撲の映像をぼんやりと見つめながら、テレビの音声しか聞こえてこない待合室のベンチに佇む。
時間となりホームに出て、青い車体の客車が繋がれた急行かいもんに乗り込むと、静かで空いている車内がそこにあった。夜行列車は空いている方が居心地はいい。窓際の席に座り、リクライニングシートを少し倒しながら、のんびりと発車を待つ。23時30分、客車急行かいもんは電気機関車が引っ張るゴツンという振動とともに西鹿児島駅を発車した。宿に泊まらずに半日で去るには惜しい町。窓外から町の灯りが消えていくと、寂しい気分が心を包んでいった。
指宿枕崎線の午後と夕方
昼下がりの西鹿児島駅。駅構内のはずれにある指宿枕崎(いぶすきまくらざき)線のホームに私は立っていた。鹿児島にまたやってきたのだ。今回はホテルも予約してある。
指宿枕崎線は砂風呂で知られる指宿を経由して、カツオ漁業が盛んな枕崎へと至る全長87・8キロの長いローカル線である。午後の車内は閑散として、窓ガラスには夏から秋へと移ろい始めた九月の柔らかい陽射しが射し込んでくる。
平成七年(1995)の九月、13時20分に西鹿児島を発車した白い車体に青いラインが描かれた急行型気動車二両編成は、鹿児島市の近郊をゆったりと抜けていった。左窓の向こうには、こちらもゆったりと走る鹿児島市電の電車が道路上を走るのが見える。
市電の終点である谷山を過ぎると、窓外はにわかに畑が増え始める。鹿児島だから芋畑なのだろうか。確認をしたいところだが、列車は町中を抜けてから速度が上がり、畑は流れる景色の一部となって過ぎていった。
やがて左窓に錦江(きんこう)湾が広がり、海上に油田のタンクがいくつも見えてくると喜入(きいれ)に着く。空も海も青い。しばらく海岸線に沿って走っていた列車は、海岸沿いにホテルが林立する温泉街の風景に飛び込むように、14時42分に指宿に着いた。
指宿までは本数が多く、隣の山川までも若干本数のある指宿枕崎線にとって、指宿は主要駅である。アロハシャツを着た改札口の駅員に迎えられて駅前に出ると客待ちのタクシーの列。オレンジ地に黄色字の鮮やかな駅名看板。並ぶ土産物屋。そこは観光地そのものな駅前だった。
私は一旦、歩いてすぐの海岸に出て海を眺めたあと、駅近くの共同浴場に向かった。住宅地の中にひっそりとその温泉は存在し、その姿は銭湯の規模でさえなかったが、古い民家の引き戸を思わせる戸を開けて中に入れば、そこには狭い脱衣場と、民家の風呂よりは少し大きめな浴室が存在していた。
町を包んでいる九月の風は心地よかったが、風呂上がりに青い空の下に出てみれば、身体は熱気に包まれていく。あっという間に汗だくになった私は、次の列車の時間まで駅前の喫茶店でクーラーに当たりながらビールを飲むことにした。ドライビールしかなかったが、風呂上がりだけにそれなりに旨かった。
列車の時刻が迫りレジに向かったが店員の姿がない。常連客が代わりに受け取っておくというので、六百円の代金を払って店を出た。結果はどうなったかは勿論定かではない。
駅のホームに向かうと、16時42分発の山川行きがやってきた。山川は隣駅なので九分で到着する。
ホームは指宿の高校から帰宅する高校生で上下線ホームとも賑わっている。そんな高校生だらけの空間を、オレンジとも黄色ともつかない白っぽい西日が包みこんでいる。
指宿枕崎線は全線を直通する列車はなく、「なのはな」と名付けられた黄色い車両の快速列車も、西鹿児島からちょうど50キロの位置にある山川までしか走らないダイヤとなっている。その山川は海に面した高台に駅があり、狭い敷地に設けられたホームは片面だけとなっている。枕崎行きはどこにいるのかわからないまま、ホームに降りる。
車内にいた高校生のうち半数くらいは山川で降りるようだが、残る高校生たちの流れに合わせてホーム前方に移動する。同じホームの前方に16時52分発の枕崎行きが停まっていた。
二両編成の列車から約半数の乗客を受け取った、たった一両の気動車は高校生で満員となり、私は進行方向と逆向きの通路側になんとか空いている席を見つけた。私の座る四人掛けのボックスは全員女の子である。男子は部活などでもう一本遅い列車を利用するのだろうか。
私の座る進行方向右窓には、やがて開聞岳(かいもんだけ)が見えてきた。薩摩富士の異名を持ち、正三角形に見えるきれいな形をした山で、周囲はサトウキビ畑の平地で高い建物はないから一際雄大に見える。
列車が一両だからか、現れる駅は小さなホームの無人駅ばかりで、広々としたサトウキビ畑と相まって、南の果てに来たという印象を強く持つ景観が続く。私は開聞岳に見惚れて、通路側の席ながら景色を見るのに夢中なのだが、隣の女の子は教科書を広げて勉強に余念がなく、景色には見向きもしない。地元の人間にしてみれば、慣れ親しんだ景色だからだろう。
山川から二つ目の駅がJR最南端の駅である西大山で、サトウキビ畑に囲まれた小さなホームがボツンとあるだけの駅だが、ホームの端に最南端を示す細長い案内標が誇らしげに立っている。
一両の車内に大勢いた高校生たちは駅に着く度に少しずつ減っていき、山川から16・1キロで七駅目の頴娃(えい)を過ぎたあたりで閑散とした車内に変わり果てた。
私は誰もいなくなった進行方向左側に席を移し、まったりと景色を見つめる。傾き始めた西日で陰ができている無人駅のホームには亜熱帯樹木が小さくそびえ、少ない下車客を迎えている。
17時55分、終点の枕崎に着くと空は夜に近づき始めていた。踏切で線路を跨いで古びた駅舎に入った。
駅舎はバス会社が使用している関係か、バス乗り場の待合室になっていて、バスを待つお年寄りが木製ベンチに数人佇んでいる。私もベンチに座ってバスを待つ。港町枕崎に心惹かれるが、今夜の宿は鹿児島市内で予約している。