台湾鉄路紀行 第六日後半(瑞芳~基隆)
暖暖
東部幹線は電化されているが、ローカル線である平渓線(ピンシーシェン)は非電化となっていて列車は気動車である。日中の平渓線は瑞芳(ルイファン)から分岐している深澳線(シェンアオシェン)と直通している。なので、この列車では基隆(キールン)まで行けないが、どのみち基隆には乗り換えないと行けないので、この列車に乗って瑞芳に行く。平渓線の沿線には観光地が多いので乗っているのは観光客が多い。何人もの乗客が猴硐(ホウトン)で降りていく。
少し空いた列車はディーゼルエンジン音を唸らせながら山間を進んでいき、山地を抜けて町に出た。瑞芳までの所要時間は7分であった。
瑞芳駅は支線と東部幹線のホームが分かれており、ホーム間の通路は地下通路となっていた。通路の壁にはガラスカバーに収められて白黒写真が展示されている。このあたりの町だろうか。落ち着いた佇まいの田舎の写真だ。この駅に限らず、台鉄の駅の通路には芸術作品の展示がされていることが多い。広告ではないところに親しみを感じ、駅構内の景観のよさも感じる。
次に乗る列車は15時35分の区間車(チュージエンチャー)なので、ホームで待つ。都市圏に入ってきたので駅に人が増えてきた。やってきた区間車もそれなりに乗車率がいい。乗り込んで、私はふとポケットに入れた切符を取り出した。
なぜそうしたのかは自分でもわからない。無意識のうちにそうしていた。切符を落としていないかの確認をしたのかもしれない。
券面を見た。猴硐から基隆までと書かれてある筈の券面には、猴硐から暖暖(ヌワンヌワン)までと書かれてあった。暖暖という駅がどこにあるのかは知らない。17元の切符だから、そう遠い所にある駅ではないだろうが支線の駅かもしれず、ひとまず一旦列車からは降りた。
私が降りて間もなく区間車は発車していった。都市部に入ってきたから区間車の本数も増えているだろうと想像していたが、時刻表を開くとその予想は外れていることがわかった。本数が増えるのは、基隆からの区間車が合流してくる八堵(パードゥー)からで、ここ瑞芳では1時間に2本くらいの運転本数である。
時刻表で確認すると暖暖は瑞芳から二駅めにある駅で、八堵の手前にあった。先ほどの区間車にそのまま乗っていればよかったわけだ。次の区間車は16時13分。ホームで30分以上待つことにする。
空は相変わらず曇ったままだ。今日はこのままかもしれない。今日晴れていたのは朝の花蓮(ファーリエン)と、先ほどの猴硐だけだ。今回の旅は好天に恵まれ、曇りだったのは二日目の海線(ハイシェン)と内湾線(ネイワンシェン)、五日目の南廻線(ナンフェイシェン)と台東線(タイトンシェン)くらいであったし、雨が降ったのは南廻線の途中と今日の蘇澳(スーアオ)くらいだった。天候のことで不満を感じたらバチが当たりそうではある。
この空いた時間を利用して明日の行程について考える。明日は基隆を朝出発して、この瑞芳まで来てから平渓線と深澳線に乗ろうと考えている。両線は多くの列車が直通運転をしているので回るのは容易だが、1時間に1本くらいの運転本数なので効率よく回れる行程を模索する。ただ乗るだけではなく現地を歩きたいし、午後には台北(タイペイ)に着いておきたくもある。明日は帰国する日であった。
16時13分発の区間車2243次は瑞芳で折り返す始発列車だった。それだからか、私が先ほど乗ろうとした区間車の出た第二月台ではなく第一月台から発車する。月台(ユエタイ)とはプラットホームのことである。
東部台湾からの自強号(ツーチャンハオ)が遅れているようだった。それを受けて区間車の発車も遅れた。定刻より5分遅れで区間車は瑞芳を発車した。
平渓線からの乗り換え客で、始発列車の割には車内はそれなりに賑わっていた。私は二人掛けの座席に座っている。座席はL字のように置かれているので、私の目の前にはロングシートがある。そこに平渓線観光の帰りと思われるカップルが座っている。顔を曲げて窓に視線を向けた。
線路は基隆河(キールンホー)に沿っている。基隆河は平渓線の沿線の方から流れている。上流は東に向かって流れているが、やがて北に方角を変え、そして西に向きを変える。猴硐のあたりでは北向きに流れていた。瑞芳のあたりから西に向きが変わり、台鉄の線路はしばらく流域を通っているが、台北市に入ったあたりから北西に向きが変わって河口に至る。方向だけでなく、流れそのものが蛇行した川で、地図で眺めていると、まっすぐ流れている箇所がほとんどないように思える。
列車は5分遅れを持ったまま16時28分に暖暖に到着した。降りたのは私の他に大学生風のカップルが一組だけであった。ホームは二面二線の対抗式で、降りたホームは斜面に接した幅の狭いものであった。
暖暖は駅舎のない無人駅である。今回の旅で無人駅で降りるのは、三日目に乗った集集線(ジージーシェン)の終着駅車埕(チゥーチェン)以来で二駅めだ。周囲は基隆河の作り出す低い谷に囲まれた狭い土地なのだが、駅のある位置を境に平地が広がり始める地形となっており、基隆河の向こうに高速道路が通っているのが見える。平地の方に設けられた駅前広場には車が駐車され、その先にマンションらしき建物が見える。台北市内への通勤圏なのだろうか。
跨線橋を渡り、駅前に出てみた。右を見れば渓谷、左は駅前広場とマンションという田舎と都市の混在した不思議な眺めである。基隆河に架かる橋まで歩いてみた。暖江橋という名のその橋から川面(かわも)を見る。さして幅のない川面に岩がいくつか点在している。駅にあった案内板によると、暖暖壺穴という名前がこの流域に付けられている。
天気は変わらずだが、駅名のとおり、のどかで落ち着く場所であり、暖暖はローカルから都会への入口みたいな場所だった。切符を間違えて買ってしまったことは結果的にはよかったのだ。何より駅名がいい。暖暖とは柔らかい日差しのような様を意味する言葉だそうである。1994年くらいまでは日本統治時代に造られた木造駅舎が残っていたという。その駅舎がもうないことが、この素敵なローカル駅で惜しいと感じられる一点であった。
基隆
暖暖(ヌワンヌワン)は無人駅だから券売機はない。だが、交通系ICカード悠遊卡(ヨウヨウカー)をタッチして乗車する機械が設置されていたので、悠遊卡を取り出した。今朝、花蓮(ファーリエン)で花蓮客運のバスに乗るときに使用して以来の悠遊卡である。残金はまだ大丈夫だろう。
定刻より2分遅れの16時56分、区間車(チュージエンチャー)4191次がやってきた。車内は観光客で席が埋まっていた。ドアの前で学生風の女子が車座(くるまざ)になって談笑している。車窓は変わらず基隆河(キールンホー)に沿った眺めだが、民家が増えてきて町の景色になってきた。
基隆(キールン)は幹線上の経路から分岐した支線のような線区の行き止まりにあるから、この区間車からは乗り換えとなる。そのまま乗り通しても日没前に台北(タイペイ)に着けるくらいの位置まで来ているが、今夜は基隆に泊まる。この旅六泊は異なる町に泊まることにしていた。基隆へは八堵(パードゥー)で乗り換えとなり、宜蘭線(イーランシェン)もここまでとなる。だが、何を思ったのか私は路線図を確認しないまま、次の七堵(チードゥー)まで乗ってしまった。ここが乗換駅だと勘違いしたのだ。
七堵では1分遅れにまで回復して17時04分に到着した。高架駅でホーム上が建物で覆われた大きな駅である。ホームは四面九線もあり、西部幹線の列車は基隆か、この七堵から発着する主要駅となっている。
二日間乗ってきた東部幹線から再び西部幹線の旅となった。線区が変わるだけで、風景も建物も随分と都市的になった気もしてくるが、ホーム下の連絡通路はどこか古びた彩りに思われた。全体的に演出のない無機質な雰囲気に包まれている駅だからだろうか。他の駅にあったような通路の壁の芸術作品展示もない。各ホームの列車案内は赤い電光掲示板である。台鉄の駅は地方駅でもLEDを使用しているのを見てきたから、それもまたこの駅を古色めいた駅に見せているのかもしれない。
17時17分発の基隆行きの区間車1220次がやってきた。車内はさして混んでいない。今通ってきたばかりの区間を過ぎ、八堵を出るとすぐに線路は二手に分かれていった。
列車は台地に挟まれた地勢を走り、少しずつ基隆の市街地へ入っていく。三坑(サンコン)という駅に到着した。高架上にあるホームからは随分と古びた大きな集合住宅が見える。列車が駅を過ぎると地形の起伏により線路は地平となり、周辺の建物が俄かに鄙びたものとなった。線路脇には屋根が傾きかけたような建物が林立している。置屋という小規模店舗が並ぶ色街である。線路の方は建物の裏にあたるので、通りの様子は窺えないが、狭いアーケードのようである。
線路の周囲に空地が広がり始めた。側線用地の跡だろうか。それと共に古めかしい集合住宅が並び始め、列車は減速しながら駅構内に入っていく。17時29分、半地下構造の基隆に到着した。
基隆駅は駅の手前が地上で、駅構内が地下になっているが、壁からは外の光が洩れているから、さして深いわけではないようだ。行き止まりの駅だから線路の端まで行っておきたくなった。先頭部まで歩いていくと車止めがあり、そこに北口改札があった。北口から出てもよかったが、初訪問の駅だから表玄関から出たい。私はエスカレーターに乗ってホーム上の改札に向かった。
改札は駅舎の二階にあった。主要駅だけあって人の往来が多い。自動改札に悠遊卡をタッチして改札を出ると、構内売店があり、その先に商店が並ぶ通路もある。駅舎は2015年に完成した新しいもので、外から眺めるとガラス張りの植木鉢のような形をしているモダンな駅舎であった。
駅前を見下ろすデッキに出てみた。古びた商業ビルが並び、その向こうの港の方に背の高い近代的なビルが見える。新旧建築物が混在した町なようである。エスカレーターで一階に下りてみた。駅舎の一階部には特に商店などが入っている訳ではなく、横断歩道を介して駅前商店街に通じている。駅から見て駅前通りはL字型に曲がっており、南から延びてきた道路が駅前で東に向きを変えている格好となっている。
基隆は港町であり、高雄(カオション)に次ぐ台湾第二の港が駅のそばに広がっている。その港に行くには、駅舎二階部のデッキから通じる歩道橋が便利であり、私はそこを通って港の方へ向かった。
空はだいぶ暗くなってきた。駅舎の北側を東西に抜ける道路からは、地下化される前の駅構内の跡なのだろう、土と瓦礫の広い空地が横たわっているのが見てとれた。いずれはここも開発されて景色が新しくなるのだろう。
港が築かれている入り江が現れた。小型の遊覧船が船泊(ふなどまり)に繋がれている。港を眺める歩道はボードウォークになっていて、そこに多くの人が佇んでいる。いよいよ日が暮れてきたので、建物が発する照明が港を照らして雰囲気を作り出している。歩道上にはアルファベットをかたどったベンチがあり、そのベンチも発光していた。
港の前を過ぎると、そこには真新しい商業ビルがあり、日本の外食チェーン店の名が日本語のロゴのまま書かれた看板が掲げられている。現地の人が読めるのかどうかよりも、日本語読みで店名が浸透しているのかもしれない。
このあたりからが基隆の繁華街といえる地域で、例によって屋根のついた歩道が車道に沿って延び、そこに様々な商店が並んでいる。飲食店に限らず、生活用品店や携帯ショップ、更にはプライスゲームの店まである。台湾の町ではよくプライスゲームの機械を見かける。歩道の狭さに合わせた小型のクレーンゲームが置いてあったりもする。
今日泊まる宿は英語名はホテルを名乗っているが「大飯店」ではなく「旅社」を名乗る宿である。この名前の差異は、要するに宿の大きさや設備を意味し、旅社と呼ぶ場合は小規模の宿、つまり日本でいうところのビジネス旅館みたいな立ち位置の所であるようだ。
その旅社の場所がわかりにくい。予約サイトのレビューにもそれを指摘されていた。スマートフォンの地図アプリを頼りに歩いているのだが、それらしき場所は商店が並ぶ繁華街の中心で、風景の中に宿らしきものは見当たらない。少し行き過ぎた所で戻り、再び該当する通りを歩いてみる。周辺は飲食店が多く、肉丼の店もある。再び該当する住所の近くまで来た時、脇道に並ぶ雑居ビルに宿の名が記された小さな看板を見つけた。
狭い階段を上っていくと、そこに小さな受付があった。ホテルスタッフというより、カフェ店員といった気さくな雰囲気の女性店員が二人、その小さい受付に立っていた。顔は南国系で、あまり漢民族な感じはしないから、東部台湾の現住民系の人かもしれない。私は懐かしい気持ちになった。台東(タイトン)や花蓮の町を歩いたことが随分と前の出来事のような気がした。
受付はとても宿という雰囲気ではなく、狭い廊下に並ぶ部屋のドアといい、カラオケ屋を彷彿させる構えであったが、チェックインはスムーズに進行し、私はこの受付のある二階の奥の部屋の鍵を渡された。奥といっても部屋の数は少ないから、徒歩数十秒で到着する。
部屋は狭い。今回の旅で一番狭い部屋である。冷蔵庫やウォーターサーバーはあるが、デスクと呼べるものはなく椅子もない。小さな窓の向こうからは軽快な音楽が聞こえてくる。開けてみると、この宿の裏にある別の脇道がそこにあり、道には飲食店が並んでいた。
部屋は狭いが宿代はそれなりだ。日本円で4557円である。基隆は宿泊料の相場が高く、町にある安い宿となると選択肢に乏しかった。ここまでに泊まった宿を振り返ってみても決して安い宿ではない。列記してみる。円表記のものは、予約サイトからクレジットカード決済したものである。
台北 1424元(約5260円。現地決済)
台中 4302円
台南 3658円
高雄 2145円
花蓮 3574円
基隆 4557円
部屋は花蓮のホテルが一番よかったが、広さと朝食付きで味もよかったのが台南である。台南はすでに書いたようにスタッフがとても親切だった。つまり、宿代と宿の内容は一致しない。あくまで立地や町の相場次第といったところか。
冷蔵庫の上にアメニティが置いてある。必要最小限といった内容で、歯ブラシがあるので特に不満はない。そこにコンドームまで置いてあった。今回の旅で泊まってきた安宿の多くが、お二人様用ホテルも兼ねているらしい事は気づいている。これは日本でも地方の安いホテルに泊まると直面する事象だ。今回の旅で泊まった宿は全てダブルルームでしか予約できない仕様で、ベッドには枕が二つ用意されていた。この宿も同様であった。
外の喧騒をBGMにして、私はベッドに横になった。横になって、とりあえず基隆の町についてをスマートフォンで検索した。疲れが一気に出て食欲もないのだが、何を食べるか、どんな店があるのかを調べる。20分ほど横になっているうちに疲労は少しだけ和らいできた。長い時間滞在したくなる部屋ではないが、六泊の中で今夜が一番早いチェックインであり、時間がたっぷりとあった。
基隆廟口夜市
部屋を出ると、ちょうどフロントの方で男女二人がチェックインを済ませたところだった。二人の会話は日本語である。観光で泊まるのだとしたら、随分と見当違いの宿にしたと思えるが、今の二人の心境は定かではない。
ドアのロックがうまく出来ない。自動でロックが掛かるような造りには見えないから、鍵を回してみるのだが、カチっという音がして鍵を抜いてもロックされない。ドアの前で鍵をいじっている私を横目に、日本人の宿泊客は私の隣の部屋に入っていった。廊下が短いので部屋数も少ないのだ。
廊下からはフロントが見える。私の様子を見て、すぐに女性スタッフが飛んできた。Tシャツ姿の南国系の彼女が私の身振りによる説明を把握し、やり方を説明しようとした時だった。私はドアの内側のノブにボタンがあったことを思い出した。そのロックボタンを押してドアを閉める造りなのではないか。日本でも古い造りのビジネスホテルで、そういうドアに接したことがあった。それを理解した私が手振りで実演してみせると、彼女は笑みを浮かべてその通りだと「グー」と親指を立てた。理解した私も真似をする。私達は向かい合って、二度三度親指を立てて笑いあった。
宿の周囲は繁華街である。私はここに来る途中に見つけた肉丼店に行ってみることにした。店名は日本人の名前、それも古い日本人を思わせる名前であった。何か由来がありそうだが、入口に貼り出されたメニューにも台湾国語の他に日本語が併記されている。私は「厚切りサーロインステーキ丼」と併記されていた「厚切沙朗牛琲丼」を食べることにした。
店内は白を基調とした明るい造りで、テーブルが両側に並びカウンターはない。店名に基隆廟口(キールンミャオコウ)店とあるからチェーン店なのだろう。店の奥に厨房とレジがあり、注文をそこで行って席に着く流れとなっている。厚切沙朗牛琲丼は288元(約1065円)であった。
店員の女の子に教えられ、レジの右に用意されているコーナーから味噌汁と水をよそう。味噌汁がとても美味しい。味噌がいいのかもしれない。台湾では日本統治時代以来、味噌汁を食べる食文化がある。ここまで何度か食べてきて、味は日本のものと負けず劣らずであると感じている。
出てきた丼はサーロインステーキの厚切りがとても美味しかった。台湾に来てからよく牛肉を食べているが、牛肉がとても美味しいのがうれしい。私はすっかり元気になった。夜の基隆を歩いてみようと思う。
繁華街に面して基隆廟口夜市(キールンミャオコウイエシー)の入口があったので、横断歩道を渡ってそちらに向かってみた。三段の黄色の提灯が店の看板上に並ぶ通りは、多くの人で賑わっていた。どの店の看板も台湾国語だけでなく英語と日本語が併記され、店名だけでなく料理のジャンルも併記されていた。これは観光客にとって非常にありがたい。町が異国人に慣れた環境であるからかもしれない、大きな港町ならではの配慮というところだろう。
居酒屋、つまり熱炒(ラーチャオ)も何軒もあって賑わっている。台湾の人はあまり酒を飲まない印象だが、港町は別ということなのだろうか。熱炒に限らず、どの店も屋台というよりは簡易店舗といった造りで、要するにテント店舗となっている。このあたりは昨夜の花蓮(ファーリエン)の夜市と似ている。ただ、花蓮は家族連れが多かったが、基隆はカップルの姿も多い。観光客かもしれない。
夜市の奥は路地の商店街と繋がっていた。その境あたりに、縦笛のような楽器を演奏している老人がいる。隣には若い女性が投げ銭用の箱を持って立っているが、あまりお金は集まっている雰囲気はない。
路地に並ぶ商店の多くはひっそりと立っているが、二十人くらいの列が出来ている店もある。並んでいるのは女性が多い。店内にはテーブルもあり埋まっている。何の店かはわからないが、何か菓子類を作っている店のようであった。
路地を軽く眺めて先ほどの夜市との境に来ると、すでに楽器演奏の老人は居なくなって、別の人が立っていた。持ち時間のようなものがあるのかもしれない。
明日の出発は早い。何時に宿を出るべきか。朝の数分は貴重な時間である。先ほどは駅から宿までを港を眺めてのんびりと向かったので、正確な所要時間が定かではなかった。夜の散歩を兼ねて、駅までの時間を計りながら歩いてみることにした。表通りは例によって歩道に段差がついているのでキャリーケースでは歩きにくい。裏道を通る経路で計ってみる。
裏道は小さな個人店が並んでいた。デザートを売る小さなカフェもあれば、麺類や小皿料理を出す店もある。いずれも玄関などなく通りに面して開け放たれている。台南もこういう造りの店が多かった。共通しているのは店構えが古いことである。
信号の脇に小さな屋台を出して果物を売るおばあさんがいる。細い歩道の商店街に煮込み料理滷味(ルーウェイ)の屋台を出しているおばさんもいる。歩道を塞がんばかりに衣類を並べている店だってある。ささやかな活気のある町である。
夜の駅は静まりかえっていた。駅前にも店は並んではいるが、人通りはさして多くない。駅舎の一階に足を運ぶと床に寝ている人がいる。他の町と比べ、基隆は人間くささの強い町であるように思われた。人と町の距離感が近い。町を彩る建物の古さもあるだろう。
宿までの帰り道にセブンイレブンに入って、明日の朝食とこれから部屋で飲む酒を買った。昨日の昼、枋寮(ファンリャオ)で買った玉子おにぎりが美味しかったので、また食べてみたいと思い、ピーナッツパンやバナナと一緒に購入した。全部で122元。
宿までの帰り道、屋根付き段差付きの表通りの歩道を歩いていると、プライスゲームの店の脇に飲料水の自販機があった。朝食用に10元の紙パック入り野菜果物のミックスジュースを買っていく。
宿の部屋に戻ると、出かける前に外から聞こえていた音楽は止んでいた。他の町でもそうだったが、夜九時を過ぎると閉まる飲食店が多い。宿の周囲もそのようだった。
風呂上がりに、先ほどセブンイレブンで買ってきた酒を開ける。この旅で毎日のようにコンビニエンスストアで買って飲んでいる台湾啤酒(ピージョウ)の葡萄(ぶどう)版で、缶の色も普通のビールが緑色なのに対して、こちらは紫色である。味は思っていたより甘いもので、ほのかに苦味があり、爽やかで飲みやすいものだった。
なぜか部屋のテレビはベッドの横の壁に取り付けられている。視聴するのが億劫になる位置であるからリモコンには手を触れず、静かになった部屋でまったりと葡萄ビールを飲んだ。空腹も満たされ、町歩きで基隆に親しみを覚えてくると、この安宿感に満ちた部屋も悪くないと思われてきた。むしろ、気ままに鉄道に乗り、町を歩いて安宿に泊まっているこの旅にふさわしいとさえ思えてくる。明日はもう、この旅の最終日である。